安倍晋三靖国参拝:尊崇の念表明対象の「ご英霊」は戦前日本国家をコアなポジションで支えた要職者たちで、下級兵士は除外

2020-10-26 09:34:39 | 政治
 首相辞任という手で首相としての自身の立ち位置をコロナの影響外に一時避難させることでアベノミクス等の政治評価下落回避を狙った安倍晋三が首相退任後の2020年9月19日に続いて1ヶ月後の2020年10月19日朝、東京・九段の靖国神社を参拝したという。10月19日の参拝後に記者に問われて、次のように答えたとマスコミは伝えている。

 安倍晋三「ご英霊に尊崇の念を表するために参拝いたしました」

 靖国神社とは幕末および明治維新以後の国事に殉じた人々を英霊として祀っている。「英霊」とは「死者、特に、戦死者の霊を敬っていう語」だとgoo国語辞書が紹介している。つまり戦死者という存在に特別な意義を持たせている。「国家のために殉じた」という意味づけからであろう。

 日本の場合、この思想自体が個人よりも国家を優先させる国家主義を纏っていることになる。その国家たるや天皇独裁国家だったからである。個人の自由を全面的に認めた民主国家のために殉じたわけではない。

 日中戦争と太平洋戦争での軍人軍属の戦死者数は230万人とされている。対して靖国神社は英霊を祭神として246万6千余柱を祀ってる。「Wikipedia」によると、日中戦争での戦死者19万1250柱、太平洋戦争での戦死者213万3915柱、合計232万5165柱となる。つまり靖国神社祭神は戦前の日本の戦争の戦死者が大方を占めている。

 と言うことは、安倍晋三や他の靖国を参拝する政治家の「ご英霊」は日中・太平洋戦争の戦死者を主に対象としていることになる。
 
 靖国神社に代わる国立戦没者追悼施設建設の建設が取り沙汰されると、「戦友と別れる際、『靖国で会おう』と誓い合い、日本人の心の拠り所となってきた」、あるいは、「無宗教の追悼施設の御霊に参拝して追悼といえるのか。『靖国で会おう』と散っていった戦友たちは、どこに行けばいいのか」といった声が上がることからも、「ご英霊」は日中・太平洋戦争の戦死者が殆ど対象となっていることが分かる。

 但し安倍晋三は日中・太平洋戦争の戦死者全てを「ご英霊」の対象としているのだろうか。

 例えば2006年8月7日放送、2007年8月5日再放送のNHKスペシャル《「硫黄島玉砕戦」・~生還者61年目の証言~》では、陸海軍合わせて2万人もの兵士が送り込まれたものの、その多くは急遽召集された3、40代の年配者や16、7歳の少年兵で、中には銃の持ち方を知らない者もいたと伝えている。

 硫黄島の戦いは1945年(昭和20年)2月19日開戦、1945年3月26日組織的戦闘終結となっているが、要するに大本営は日本軍の精鋭部隊を硫黄島に送り込んだのではなく、戦い方を満足に心得ていない雑多集団を送り込んだ。この事実は当時の日本軍が置かれた戦力に関わるお粗末な実情を物語っているようにも見えるが、開戦2月19日に8日遡る2月6日策定の『陸海軍中央協定研究・案』で、「硫黄島を敵手に委ねるの止むなき」と決めていたと番組が解説していたから、大本営はどうせ捨て石にするなら、精鋭部隊を送り込むのは勿体ない、頭数さえ揃えれば十分だと、常套手段としている人命軽視を発揮、雑多集団を送り込んだ疑いは拭えない。

 そうである以上、急遽召集された3、40代の年配者や16、7歳の少年兵は戦前国家の犠牲者、戦争の犠牲者に位置づけることができる。勿論、戦前国家の犠牲、戦争の犠牲となった兵士は、硫黄島の兵士に限らない。さらに言うと、民間人の中にも戦前国家の犠牲者、戦争の犠牲者は数多く存在する。

 「Wikipedia」は硫黄島の戦いでは守備兵力20933名のうち96%の20129名が戦死あるいは戦闘中の行方不明となったと書いているから、この中に銃の持ち方も知らない者を加えた3、40代の年配者や16、7歳の少年兵も混じっていたはずで、靖国神社に「ご英霊」として祀られていることになる。

 安倍晋三はこのような「ご英霊」に対しても靖国神社参拝の際には「尊崇の念」を表したのだろうか。

 安倍晋三は国家主義者である。国家主義者とは常に国家の立場から物事を捉えて、個人よりも国家に絶対的価値・優位を置く思想の持ち主を言う。安倍晋三が国家主義者であることは自身の著書で書き出している次の一節が証明してくれる。

 『美しい国へ』(安倍晋三著・2006年7月20日発刊)

(p24~p27)
 
 大学にはいっても、革新=善玉、保守=悪玉という世の中の雰囲気は、それほど変わらなかった。あいかわらず、マスコミも、学会も論壇も、進歩的文化人に占められていた。

 ただこの頃には、保守系の雑誌も出はじめ、新聞には福田恆存氏、江藤淳氏ら保守系言論人が執筆するコーナーができたりして、少しは変化してきたのかな、と感じさせるようになっていた。

 かれらの主張には、当時のメインストリームだった考え方や歴史観とは別の見方が提示されていて、私には刺激的であり、新鮮だった。とりわけ現代史においてそれがいえた。

 歴史を単純に善悪の二元論で片付けることができるのか。当時のわたしにとって、それは素朴な疑問だった。

例えば世論と指導者との関係について先の大戦を例に考えてみると、あれは軍部の独走であったとの一言で片付けられることが多い。しかし、果たしてそうだろうか。

確かに軍部の独走は事実であり、最も大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和十七、八年の新聞には「断固戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化する中、マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していたのではないか。

 百年前の日露戦争のときも同じことが言える。窮乏生活に耐えて戦争に勝ったとき、国民は、ロシアから多額の賠償金の支払いと領土の割譲があるものと信じていたが、ポーツマスの講和会議では一銭の賠償金も取れなかった。このときの日本は、もう破綻寸前で、戦争を継続するのはもはや不可能だった。いや実際のところ、賠償金を取るまでねばり強く交渉する気力さえなかったのだ。

だが、不満を募らせた国民は、交渉に当たった外務大臣・小林寿太郎の「弱腰」がそうさせたのだと思い込んで、各地で「講和反対」を叫んで暴徒化した。小林も暴徒たちの襲撃にあった。

こうした国民の反応を、いかに愚かだと切って捨てていいものだろうか。民衆の側からすれば、当時国の実態を知らされていなかったのだから、憤慨して当然であった。他方、国としても、そうした世論を利用したという側面がなかったとはいえない。民衆の強硬な意見を背景にして有利の交渉をすすめようとするのは外交ではよくつかわれる手法だからだ。歴史というのは、善悪で割り切れるような、そう単純なものではないからだ。

この国に生まれ育ったのだから、私は、この国に自信をもって生きていきたい。そのためには、先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか。その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっと大切なことではないか。学生時代、徐々にそう考え始めていた。

だからといってわたしは、ことさら大声で「保守主義」を叫ぶつもりはない。わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本及び日本人について考える姿勢のことだと思うからだ。

現在と未来にたいしてはもちろん、過去に生きた人たちにたいしても責任を持つ。いいかえれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれてきた伝統がなぜ守られてきたかについて、プルーデント(慎重)な認識をつねにもち続けること、それこそが保守の精神なのではないか、と思っている。

 安倍晋三は歴史認識は〈その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直すこと〉で成り立たせるべきだと主張、〈それが自然であり、もっと大切なことではないか。〉と言い切っている。

 安倍晋三のこの論理を当てはめると、軍部の独走は事実(ファクト)として認めるものの、〈その時代に生きた国民の視点〉は〈マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していた〉ことを以って歴史認識とすべきだと言うことになる。

 この歴史認識は戦前国家擁護をガッシリとした骨格としている。戦前国家擁護の歴史認識であることは2013年4月23日の参議院予算委員会国会答弁からも十分に窺うことができる。

 安倍晋三「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」

 この答弁は戦前の日本国家の戦争は侵略戦争ではないを真意としていて、その真意は戦前国家擁護論そのものとなる。歴史認識は〈その時代に生きた国民の視点〉から発すべきだとしている戦前国家擁護と同じ骨格となるのは整合性の点から当然の成り行きでなければならない。

 安倍晋三のこの戦前国家擁護はA級戦犯に関わる歴史認識にも現れている。

 2006年(平成18年)10月6日衆議院予算委員会

 岡田克也「A級戦犯の話について確認をしておきたいと思います。この議論は総理とも2月に予算委員会でやらせていただきました。

 まず、小泉総理は、私はA級戦犯というのはさきの戦争において重大な責任を負うべき人ではないかというふうに聞いたところ、総理はさらにそれを飛び越えて、A級戦犯は戦争犯罪人であると断言されたんですね。そのことについて、当時官房長官だった安倍さんに同じ質問をしたところ、安倍さんは、日本において犯罪人ではないと答弁されました。その御認識は今も変わりませんか。

 安倍晋三(首相)「日本において、国内法的にいわゆる戦争犯罪人ではないということでございます。遺族援護法等の給付の対象になっているわけでありますし、いわゆるA級戦犯と言われた重光葵氏はその後勲一等を授与されているわけでありまして、犯罪人であればそうしたことは起こり得ない、こういうことではないかと思います」

 安倍晋三の「重光葵」云々は詭弁そのものである。「Wikipedia」によると、重光葵はA級戦犯として有罪・禁固7年の判決を受け、4年7ヵ月の服役の後、巣鴨拘置所を仮出所、1952年の講和条約の発効後、規定に基づいて恩赦により刑の執行終了を経ている。日本では政府や軍の要職にあって戦争遂行に関わった誰をもその罪を問わなかったゆえに戦後の活躍となったのである。しかも巣鴨拘置所にA級戦犯として拘置されたまま勲一等を授与されたわけではない。

 安倍晋三は重光葵の例を以って、「日本において、国内法的にいわゆる戦争犯罪人ではない」と東条英機にまで免罪符を与えていることになる。戦前国家擁護の歴史認識でなくて、何であろう。

 戦前国家擁護は安倍晋三が常に国家の立場から物事を捉えて、個人よりも国家に絶対的価値・優位を置く国家主義者でなければ成し得ない事柄そのものである。

 もし個人よりも国家に絶対的価値・優位を置く国家主義とは正反対の、個人の意義と価値を重視し、その権利と自由を尊重する個人主義に立っていたなら、個人の自由、思想・言論の自由に著しい制限を加えていた軍部が天皇に代わってその独裁体制の実質的な運用主体であった天皇独裁体制の戦前日本国家を擁護することはあり得ない。例え国家のために尊い命を殉じた「ご英霊に尊崇の念を表する」行為を装っていても、その行為自体が戦前国家擁護そのもとなる以上、安倍晋三は決して個人主義の立場に立っているわけではなく、国家主義と一心同体であることの証明としかならない。

 いわば戦前国家擁護と国家主義は同義語の関係にある。国家主義を自らの思想としていなければ、戦前国家を擁護できないし、戦前国家を擁護できるのは国家主義を体現しているからこそである。

 当然、安倍晋三が戦前国家を擁護する国家主義者である点を考慮すると、安倍晋三が靖国神社参拝で「ご英霊」として「尊崇の念を表する」対象者は主として軍部が代行していた天皇独裁の大日本帝国国家をコアなポジションで支えて戦前の戦争遂行に大きな役割を果たした政治家、外交官、軍人等のうちの処刑されたり、戦死したりして靖国神社に祀られることになった要職者と言うことになって、硫黄島の戦いの例で言うなら、急遽召集された3、40代の年配者や16、7歳の少年兵を含む下級兵士は対象者から排除していなければならない。

 もし下級兵士までをも「ご英霊」として「尊崇の念を表する」対象者に入れていたなら、国家の立場から物事を捉えて、個人よりも国家に絶対的価値・優位を置く国家主義の原理から外れることになる。国家主義者はあくまでも個人に対してよりも国家に価値を置き、その優位性を体現し続けなければならないからである。

 大体が急遽召集された3、40代の年配者や16、7歳の少年兵等々をほんの一例として加えた、人命軽視からの数知れない多くの戦前国家の犠牲者、戦争の犠牲者を「ご英霊」として「尊崇の念を表する」こと自体、悪趣味そのもので、「尊崇の念を表する」「ご英霊」の対象に入るはずはなく、特に国家主義の立場からすると、対象者として論外な扱いとするはずである。

 犠牲者の側からすると、人命軽視を受けていながら、“尊崇の念を表される” 対象となる皮肉な結果を突きつけられることになって、許しがたいふざけた行為に映るはずである。

 要するに天皇独裁・軍部代行の戦前日本国家の国家主義が戦争遂行に当たって下級兵士をいとも簡単に人命軽視の犬死の犠牲に付すことができ、一般国民までをもその犠牲に巻き込むことができたのはあくまでも国家主義から発しているお国のための国家優先だったからであり、そのような戦前日本国家を安倍晋三自身も国家主義者として擁護しているからこそ、心置きなく「ご英霊に尊崇の念を表する」参拝を可能としているのであって、参拝の対象となっている「ご英霊」
はやはり安倍晋三自らの国家主義との関係上、大日本帝国国家を政治や外交や軍の分野などなどをコアなポジションで支えて戦前の戦争遂行に大きな役割を果たした要職者たちであり、下級兵士たちは除かれていなければ国家主義の座りを悪くすることになるはずである。

 簡単に言い直すと、安倍晋三は国家主義者である以上、靖国参拝によって「ご英霊」として「尊崇の念を表する」対象には下級兵士は決して入っていないということである。同じ軍人でも、国家主義によって将校と下級兵士では命の価値そのものが大きく違っていたこと、その国家主義を安倍晋三は受け継いでいることが最大の理由となる。

 安倍晋三は自著『美しい国へ』で、「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」ことを歴史認識とすべきであると述べているが、A級戦犯を「日本において、国内法的にいわゆる戦争犯罪人ではない」と答弁した、先に挙げた2006年10月6日の衆議院予算委員会では歴史認識について次のように答弁している。

 安倍晋三「あの大戦についての評価、誰がどれぐらい責任があるのかどうかということについては、それはまさに歴史家の仕事ではないか、政府がそれを判断する立場にはないと私は思います」

 一方では「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」ことを以って歴史認識とすべきだと言い、もう一方では後世の歴史家が決める歴史認識だとしている。ご都合主義者らしい安倍晋三の言い分となっている。

 参考までに。

 《「硫黄島玉砕戦」から読み解く原爆投下 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》(2007年8月12日)


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