安倍晋三「戦争に巻き込まれることは絶対ないと断言したい」 不遜にもいつから歴史の裁断者になったのか

2015-07-31 09:44:40 | 政治

 7月30日の参議院特別委員会で、安倍晋三が集団的自衛権の行使を容認しても、「(他国の)戦争に巻き込まれることは絶対にないと断言したい」と述べたと、「asahi.com」記事が伝えている。 

 安倍晋三は傲岸・不遜にも、いつから歴史の裁断者となったのだろう。

 裁断者とは物事の善悪・正邪を判断して断定する者のことを言う。

 2014年8月と11月、2人の邦人が「イスラム国」に拘束された。

 安倍晋三は犯行主体が「イスラム国」の可能性を認識していながら、翌年の2015年1月17日、エジプト・カイロで日エジプト経済合同委員会合で政策スピーチを行った。

 安倍晋三「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと戦う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」――

 「ISIL(「イスラム国」)がもたらす脅威を少しでも食い止める」ためと「ISILと戦う周辺各国」の人材開発やインフラ整備――いわば国造りの一助に総額で2億ドル程度の支援を約束した。

 「ISILと戦う周辺各国」に対して「イスラム国」の勢威を食い止めるお手伝いをします、そのために必要な2億ドルを支援しますと約束したのだから、「イスラム国」から見たら、日本の安倍晋三からの宣戦布告と見たとしても不思議はないだろう。

 「イスラム国」は2邦人拘束に対してメールで身代金を要求したが、安倍政権は無視、多分、最後通告の意味でだろう、安倍晋三の対「イスラム国」宣戦布告となるエジプトスピーチから3日後の2015年1月20日、インターネット上に人質2邦人の姿を写した動画を掲載した。

 「イスラム国」の一員らしき黒尽くめの男が英語で話しかけた。

 「日本の総理大臣へ。日本はイスラム国から8500キロ以上も離れたところにあるが、イスラム国に対する十字軍に進んで参加した。我々の女性と子どもを殺害し、イスラム教徒の家を破壊するために1億ドルを支援した。だから、この日本人の男の解放には1億ドルかかる。それから、日本は、イスラム国の拡大を防ごうと、さらに1億ドルを支援した。よって、この別の男の解放にはさらに1億ドルかかる」

 安倍晋三はテロリストとは交渉せずの姿勢を取り、身代金要求を無視した。日本が連合国側のポツダム宣言受諾要求を無視したために広島と長崎に原子爆弾を落とされたが、その被害規模は格段に違っても、無視に対する報復の構造は似ている。

 その後、色々と経緯はあったが、日本時間の2月1日、「イスラム国」が再びネット上に投稿した動画は2人のうち、残された1人の殺害された姿を映し出していた。黒尽くめのテロリストは次のように警告を発した。 

 「日本政府はおろかな同盟国や、邪悪な有志連合と同じように『イスラム国』の力と権威を理解できなかった。我々の軍はお前たちの血に飢えている。安倍総理大臣よ、勝てない戦争に参加した向こう見ずな決断によってこのナイフは後藤健二を殺すだけでなく今後もあなたの国民はどこにいても殺されることになる。日本の悪夢が始まる」

 海外の日本人に対すると同時に日本国内でのテロを予告した。

 安倍政権が強行採決で安全保障関連法案を成立させて法として施行後、集団的自衛権行使権と後方支援活動権を手に入れた場合、有志連合の指導国としてアメリカは「イスラム国」空爆を実施しているが、国際平和支援法の後方支援に関して武器の提供は含まないが、弾薬の提供や武器・他国の兵士の輸送、さらに給油や給水の提供が許されることになることから、それらについて米政府は日本政府に対して自衛隊の支援を要請することになるだろう。

 このことは昨日7月30日の参議院特別委員会で生活の党の山本太郎共同代表がイラク戦争時日本の航空自衛隊が輸送を担った内の約6割が米軍要員であったことを問い質して、防衛相も認めているから、間違いない。

 つまりアメリカやその他の国の空爆によって「イスラム国」戦闘員が殺害された場合、その爆撃機の燃料の一部は日本が提供したものと看做される。イラク軍が使用する弾薬も「イスラム国」戦闘員を殺害する直接物として一部は日本が提供した弾薬と見る可能性も出てくる。

 もし「イスラム国」がこの報復として日本国内で大勢の日本人が集まる場所でテロを発生させて多くの犠牲者を出した場合、あるいは海外で日本人が多人数集まるイベント等でテロを発生させて相当数の犠牲者を出した場合、危機管理上次のテロも想定しなければならない関係上、集団的自衛権発動の新3要件が言う、〈国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険〉の切迫に該当し、国民の生存に関わる危機事態は国家そのものの存立危機事態と考えなければならないことから、「イスラム国」によるアメリカやイラク等の密接な関係にある他国に対する武力攻撃が行われている上での国家及び国民の危機事態ということで日本政府は集団的自衛権の発動に迫られることになる可能性は絶対的に否定できない。

 いわば後方支援に始まって、集団的自衛権を発動させてアメリカやイラクと共に戦う偶然が(必然かもしれない)訪れない保証はない。

 であるにも関わらず、「戦争に巻き込まれることは絶対ないと断言したい」と言い切ることができる。そもそもからして新3要件を条件にアメリカを主対象として集団的自衛権の発動を想定していながら、そう言うこと自体、矛盾しているし、神ならぬ身の安倍晋三が歴史の裁断者であるかのように断言するのは不遜且つ傲慢以外の何ものでもない。

 そのように断言できるのは、安全保障関連法案がそれぞれに用意しておかなければならないそれぞれの危機管理が最悪の事態を想定していないという矛盾した構造を取っているからだろう。

 自衛隊員に関しての想定しなければならない最悪の事態とは自衛隊員に犠牲者が出るという事態であり、あるいは部隊が全滅する事態であり、国に関して言うと、戦争に巻き込まれる事態である。

 想定しない危機管理は福島第1原発事故のように起きた場合の危機に対して混乱や無秩序を招いて、的確に対応できないことになる。想定することによって、危機をよりよく制御できることになる。

 安倍晋三の最悪の事態を想定しない、言ってみれば「安全神話」に立った安全保障関連法案は全く以って信用できない。

 もし想定していながら、法案を通すために隠蔽して、無理やり「安全神話」を成り立たせているのだとしたら、尚更に信用できない。


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 過去の戦争・過去の歴史に謙... | トップ | 安倍晋三の北朝鮮拉致被害者... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2015-08-02 03:26:02
こちらには助けられる権利があるが、こちらが助けに行く義務は無い。それが、今日まで続く日米安保のみならず、日本国の防衛に巣食う歪みであると私は思う。では、日米安保をやめればよいと言う考えもあるが、それは愚かとしかいいようが無い。世界最強の軍事国家であるアメリカ合衆国と何らかの形で軍事的繋がりを持つことはグローバルスタンダードであり、それに反するのは、戦後秩序への宣戦布告、あるいはグローバル社会への挑戦に他ならないからだ。それが国益を損ねる事になるのは言うまでもないだろう。
 積極的平和主義と言う言い方は気に食わないが、とはいえ、これによって日本が本来負うべき義務を全うし、集団的自衛権という権利を獲得できる事は事実である。そもそも、義務の放棄が、義務に伴う権利の停止を意味する事は法律の基本であるのだが、そうではなく日本の一方的な義務の放棄にも拘らず、アメリカが日本に対する集団的自衛権の権利を停止しなかったのは、戦後秩序を形成するにあたって日本を70年に渡って歪め続けてきた彼らの責任に他ならない。しかし、アメリカはその責任を放棄しつつある。ここに、日本はある意味正しいのであるが、集団的自衛権を喪失するのだ。
 集団的自衛権を持たざる国家として、スイスが存在する。しかし、彼らは核兵器を所持し、スイス傭兵はバチカンを守護する等、彼らは実質的には集団的自衛権を行使可能であり、なおかつ最終兵器を所持しているが故の確かな防衛力があるのだ。核を持たず、世界的宗教からの庇護も無い日本国が独りで国家を防衛できるなどと言う幻想を抱く事は、小説家でも存在しない。故に、核が無いならば、自国の防衛力を遥かに上回る存在が敵として出現した場合、集団の力でそれに立ち向かう事はごく正常の流れである。アメリカとて、イラクに対して集団で戦争を行ったのだ。現在の戦争で一国体一国になる場合はほぼ存在せず、そして常に敗北してきたのが非集団である事は歴史が証明している。この期に及んで自主防衛に願望を抱く間抜けは、救いようが無い自殺志願者と同義であろう。
 結論を言えば、集団的自衛権そのものは、国家の安全、ひいては一億三千万の人々の生命を、戦争によって喪わないためにも必要不可欠であり、これを否定する事は国民の生命への冒涜といえる。では野党はどう戦えばよいのか。それは、共に戦う相手国を選ぶ時、そしてその他国が日本の派兵を要請している時、本当にその派兵は正当であり、日本が義務を負うものであるのかを判断する時こそ、野党は国民の代理人として国益に叶った判断をし、議論しなくてはならない。それが、野党が戦う場である。
 国民も、与党も、野党も、この集団的自衛権を甘んじて受け入れなくてはいけない。それが、過去70年に及ぶ歪みの清算につながり、義務無き権利を甘受していた我々の咎だ。逃げる事は、もう出来ない。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

政治」カテゴリの最新記事