加計孝太郎の安倍晋三との面会否定:疑義・異論・反論を受けつけないその言いっ放しは否定を成立させ得ない

2018-06-11 09:35:16 | 政治
 安倍晋三:従軍慰安婦強制連行否定2007年3月16日閣議決定

「政府が発見した資料の中には、軍や官憲がいわゆる強制連行を
直接示すような記述も見当たらなかった」
とする
“政府発見資料”とは如何なる資料か、公表すべき

 愛媛県の中村知事が参議院の要請に基づいて2018年5月21日に提出した加計学園に関わる文書には2015年2月25日の日付で、加計学園理事長と安部井晋三が15分程度の面談を行い、加計孝太郎から獣医師養成系大学空白地帯の四国の今治市に設置予定の獣医学部では、国際水準の獣医学教育を目指すことなどを説明。安倍晋三から「そういう新しい獣医学大学の考えはいいね。」とのコメントあったことが記されていた。

 安倍晋三も加計孝太郎もこの面談を否定し、5月26日になって加計学園は、〈当時は、獣医学部設置の動きが一時停滞していた時期であり、何らかの打開策を探しておりました。そのような状況の中で、構造改革特区から国家戦略特区を用いた申請に切り替えれば、活路が見いだせるのではないかとの考えから、当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と(今治)市に誤った情報を与えてしまったように思うとのことでした。その結果、当時の担当者の不適切な発言が関係者の皆さまに、ご迷惑をお掛けしてしまったことについて、深くおわび申し上げます。〉といった面談を否定するコメントを発表した。

 5日後の5月31日には加計学園事務局長渡邉良人が愛媛県庁を訪問して謝罪、その後記者たちに安倍晋三・加計孝太郎の“なかった面会”の情報発信源は「3年前のことですから、多分、自分が言ったんだろうというふうに思います」とか、「もしあのとおりのメンバーから言えば、もう僕しか言うのはおらないだろうということで」とか、不確かながらの曖昧肯定で自分だと認めた。

 記憶そのものを限りなく曖昧にすることで、記憶の対象である面会のニセ情報自体をさも重要ではないと思わせる魂胆で謝罪に臨んだのかもしれない。

 この加計学園事務局長渡邉良人の5月31日愛媛県庁訪問・謝罪の前日5月30日、立憲民主党と国民民主党の国会議員が加計学園加計孝太郎に対して加計学園が5月26日に愛媛県の内部文書に記載されている安倍晋三との面談を否定するコメントを発表した経緯の説明などを求める質問状を提出したという。

 対して加計孝太郎は6月4日、ファックスで回答したと2018年6月5日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 「学内で検討した結果、事実関係を公表すべきとの考えに至った。国家戦略特区を用いた申請に切り替えれば活路が見いだせるとの考えから、実際にはなかった安倍総理大臣との面会や会食を引き合いに出し、愛媛県などに誤った情報を与えてしまったことについて、深くおわび申し上げます」

 5月26日の加計学園の面談否定のコメントとほぼ同じ内容、同じ趣旨となっている。

 これまで何度かブログに書いてきたが、愛媛県と今治市に安倍晋三と加計孝太郎のニセ面会情報を吹き込み、信じ込ませたとしても、愛媛県も今治市も国家戦略特区制度を用いた獣医学部認可に何の権限も持たないのだから、「国家戦略特区を用いた申請に切り替え」たとしても、両自治体がニセ面会情報をどう利用できるものでもない。できるとしたら、加計学園獣医学部認可が事実「首相案件」となっていたなら、認可実現に備えて自治体として如何に資金援助ができるか、額はどのくらいか、公的支援の算段をすることぐらいであろう。

 もし2015年2月25日の面会が事実で、安倍晋三が加計孝太郎と獣医学部について話し合ったとなると、今治市新設の獣医学部の事業主体が加計学園であることを知ったのは面会から約2年後の2017年1月20日開催の「第27回国家戦略特別区域諮問会議」でそのことを認められたときが最初であるとしてきた国会答弁、その他の発言が全て虚言となって、安倍晋三としても加計孝太郎にしてもどうしても面会を事実とすることがはできない事情にある。

 そのような事情からの面会否定なのか、実際にそのような事実はなかったことからの面会否定なのか、後者の否定とするためには、「国家戦略特区を用いた申請に切り替えれば活路が見いだせるとの考えから」のニセ面会情報の愛媛県と今治市への提供だとするなら、その先の説明が必要となる。

 愛媛県と今治市にニセ面会情報を提供した場合、獣医学部認可に向けでどう活路を見い出すことができると目論んだのか、その目論見の順を追った説明である。

 勿論、獣医学部認可にそのニセ面会情報が結果的にどう役立ったのか、どの程度役立ったのか、あるいは何も役立たなかったのかの説明も必要となる。

 いわばニセ面会情報の「活路」獲得の貢献度である。

 ところが、5月26日の加計学園の面会否定のコメントにしても、6月4日の加計孝太郎のファックスを使った面会否定にしても、面会否定の言いっ放しで終えている。

 どのような疑義・異論・反論も受け付けない否定の言いっ放しは否定としての体裁を取りようがない。受け付けて初めて、否定は否定としての体裁を整える。

 警察がある犯罪の重要参考人として警察に呼び、取調べを行う。その参考人による犯行の事実を否定する言いっ放しのみでその人物の犯行ではないことを認めるだろうか。

 あるいはその重要参考人が社会的地位ある有名人で警察での取調べを嫌って、犯行を否定する警察向けのコメントを発表したとすると、そのコメントのみでその人物の犯行ではないと認めることができるだろうか。

 それと同じで、いくら加計学園や加計孝太郎が面会否定のコメントを発表しようとも、疑義・異論・反論を受けつけないその言いっ放しは否定として罷り通らせるわけにはいかない。

 事実面会がなかったことなら、正々堂々と国会に出てきて疑義・異論・反論を受けつけた面会否定を展開すべきだろう。


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