経済再生担当相の西村康稔が2020年6月24日の記者会見で新型コロナウイルス感染症対策専門家会議を廃止した上でメンバーを拡充するなどして、政府内に「新型コロナウイルス感染症対策分科会」として改めて設置する考えを明らかにしたとマスコミが伝えていた。
専門家会議はあれ程安倍内閣と、勿論、安倍晋三とも一心同体でコロナ対策を進めてきたと思っていたのに、そうでもなかったようだ。この西村康稔の記者会見が開かれたのは同じ6月24日の16時00分から17時15分まで開かれていた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議構成員の脇田隆字座長と尾身茂副座長と岡部信彦構成員の日本記者クラブでの記者会見のさ中で、尾身茂副座長は記者から西村康稔の会議廃止表明を問われて、「え?もう1回言って」と聞き返したと、2020年6月27日付時事ドットコム記事、〈専門家会議、唐突に幕 政権批判封じ?政府発表前倒し―新型コロナ〉が伝えている。
要するに新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は一心同体のはずの政府から会議廃止を前以って知らされていなかったことになるが、そうではなく、記事によると、専門家会議の廃止は尾身茂副座長らの提言を受けて、既に決まっていたことで、6月25日発表の予定であったのに対して西村康稔が専門家会議の断りもなしに1日前倒しの6月24日に発表したのだという。
この点を取っただけでも、政府と専門家会議の関係が一心同体の親密期から倦怠期か、不仲期に突入していたことを物語っている。西村康稔の専門家会議廃止が1日前倒しの表明となったのは尾身茂副座長らが記者会見で何を述べるのか前以って知らされていたか、政府と専門家会議の最近の関係性から何を述べるのか予測できたか、いずれかであろう。そしてその内容が政府に不利になることを回避する意味で1日前倒しの先制攻撃ということになったはずである。
だが、西村康稔のこのような立ち回りは政府の立場からの思惑であって、自己都合という夾雑物が混ざり込み、公平な判断かどうかの保証はない。記事は前倒し発表の狙いをある政府高官の情報として、〈「専門家の会見で、政府が後手に回った印象を与える事態を回避しようとした」と断言する。〉と解説している。
つまり安倍政権は新型コロナ感染問題で専門家会議の提言を様々に受けながら、後手に回った対策しか打つことができなかった印象を専門家会議の記者会見が与えることを回避する必要があった。
だが、専門家会議を廃止して、法的な位置付けを持つ新型コロナ対策分科会へと衣替えすることの1日前の発表が後手に回った印象の払拭に繋がる効果を持つとする西村康稔の立ち回りは理解を与え難い。大体が衣替え自体が組織そのものか、その組織と政府の連絡に何らかの欠陥か障害を窺わせる。
記事は専門家会議は記者会見で、〈政府の政策決定と会議の関係を明確にする必要性を訴えていた。〉と書いている。関係明確の必要性の訴えの背景には、誰なのか分からないが、会議メンバーの発言として、「十分な説明ができない政府に代わって前面に出ざるを得なかった」と伝えている。
コロナ対策で「政府が後手に回った印象」、「十分な説明ができない政府」という二つのキーワードからは専門家会議の提言・情報に頼った政府の提言・情報という状況しか窺うことができない。
安倍政権は2020年1月30日に「新型コロナウイルス感染症対策本部の設置」を閣議決定している。本部長は内閣総理大臣安倍晋三である。新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の提言・情報を受けて、安倍晋三は新型コロナウイルス感染症対策本部に於いて自らの責任のもと、感染症防止対策の決定を行わなければならない。だが、その決定は感染症対策専門家会議の提言・情報を追随するだけでしかなかったことになる。
果たして事実はそのとおりだったのだろうか。
〈コロナ対策の責任、専門家に矛先も-問われる政府との役割分担〉(Bloomberg/2020年6月24日 17:00)に、〈安倍首相は2月の記者会見で、「大きな責任を先頭に立って果たしていく」と言及。政治は結果責任であるとした上で、逃れるつもりは「毛頭ない」と強調した。一方で、4月の国会では、緊急事態宣言の期間について問われた際、「専門家の分析、ご判断に従っている」と責任を転嫁するような発言も飛び出した。〉の一文を見つけた。
安倍晋三は2020年2月29日の「記者会見」でPCR検査への医療保険の適用や、5千床を超える病床確保等を伝えたあと、「皆さんの暮らしに直結する決断には、当然、様々な御意見、御批判が伴います。内閣総理大臣として、そうした声に真摯に耳を傾けるべきは当然です。しかし、それでもなお内閣総理大臣として国民の命と暮らしを守る。その大きな責任を果たすため、これからも先頭に立って、為すべきことは決断していく。その決意であります」と自らの責任の重大性と対策への批判を恐れない決断ある率先遂行を宣言している。
同時にこの姿勢に反する当該記事が伝えている発言は2020年4月17日(金曜日)の衆議院厚生労働委員会で飛び出している。
安倍晋三「最初に緊急事態宣言を出したときから、いわばこれは専門家の皆様の分析、御判断に我々は従っているわけでございますが、先ずは(人と人との接触を)最低5割、そして8割減らすことができれば2週間後には(コロナ感染防止の)成果が出てくる、更に2週間、そしてもう少しということで、1カ月ということで判断をしていただいたところでございます。
でも、しかし、それが十分でなければ、これは8割ということでこの1カ月(4月16日に緊急事態宣言対象区域を東京都等7都道府県から全国に5月6日目途に拡大したこと)なんですが、7割であれば更にこれは延びていくということは専門家の皆様にもお話をいただいているところだ、このように思うわけでございます」
そして今、更に加えたところについては、それは、加えた皆様が更に一カ月ということではなくて、まず、今、とりあえずは5月6日ということで合わせるべきだということが専門家の皆さんの御意見でございましたので、そこに合わせているところでございます」
要するに2020年4月7日の最初の東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象範囲とした緊急事態宣言発出にしても、4月16日の全国への対象範囲拡大にしても、「専門家(会議)の皆様の分析、御判断」に従って決定したものであることを赤裸々に告白している。専門家会議の「専門家の皆様の分析、御判断」を伺って、政府として最終的に対策を決定したとは言っていない。
4月16日から5月6日目途の対象範囲全国拡大にしても、「専門家の皆さんの御意見でございましたので、そこに合わせているところでございます」と、政府としての判断決定の関与を一切排除して、それを当然としている。つまり政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の本部長であることを忘れて、感染症防止対策の決定を専門家会議に預けている状況に自らを置いている。
専門家会議の側からすると、自分たちの「分析、判断」がそのまま政府の対策として打ち出されることになるから、安倍晋三の責任感の軽さに反して責任の重大さを自覚、感染症対策の専門家としての自負と間違った方向性を与えてはいけない緊張感から的確な「分析、判断」とその発信に前のめりな姿勢にならざるを得なかったことは容易に想像できる。
但し安倍晋三が政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の本部長を務めている関係から、コロナ感染防止対策の最終決定権者であると同時に最終責任者に位置していながら、対策の決定と責任を専門家会議任せとする後ろのめりが招いた専門家会議の前のめりという関係でなければならない。
安倍晋三自身が対策の最終決定権者であり、最終責任者であることを自覚していて、その自覚どおりの行動を取っていたなら、専門家会議が前のめりになる余地などなかったはずである。当然、「専門家の皆様の分析、御判断に我々は従っているわけでございます」といった発言も、「専門家の皆さんの御意見でございましたので、そこに合わせているところでございます」といった発言も、安倍晋三の口からは出てこない。
学校一斉休校は安倍晋三自身が独断で決めたことだということだが、子どもから子どもや大人への感染例が少ないこと、感染したとしても、感染した場合の子どもの重症者が殆ど存在しないことなどの前例から、細心の注意を払えば、学校を休校にしなくても済んだし、親に過重な負担をかけなくても済んだはずである。休校によって子どもが親と一緒に家庭で過ごすことになり、親から子供への感染が増えたのではないかと疑っている。
総額466億円の国家予算をかけた全世帯への1世帯ごと2枚の布マスク配布にしても、安倍晋三自身が決めたことで、「急激に拡大しているマスク需要に対応する上で、極めて有効であると考えている」とか、「洗うことで再利用が可能な布マスクは、そうした需要の増大を抑えて、需給バランスを回復することに大きな効果が期待できます」とマスク配布を正当化しているが、マスクは簡単に手作りできるのだから、各家庭の自助努力で解決不可能というわけではない。独居老人等の家庭に対してはマスク作りに余裕のある家庭にボランティアでの作成をお願いして配布することでも、解決はできる。
つまり466億円という大金をかけずにマスクの需給バランスを確保できることになった。466億円もの国費投入は壮大なムダ遣いに過ぎなかった。
余分なことばかりして、肝心なコロナ感染防止対策では専門家会議に頼ったのはコロナの感染に関わる知見が当初はほぼ皆無で、その予測不可能性に下手に立ち向かえば、支持率低下に繋がることから、そのことを恐れた安倍晋三の後ろのめりであって、その反動としての専門会議の前のめりということなのだろう。
専門家会議はあれ程安倍内閣と、勿論、安倍晋三とも一心同体でコロナ対策を進めてきたと思っていたのに、そうでもなかったようだ。この西村康稔の記者会見が開かれたのは同じ6月24日の16時00分から17時15分まで開かれていた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議構成員の脇田隆字座長と尾身茂副座長と岡部信彦構成員の日本記者クラブでの記者会見のさ中で、尾身茂副座長は記者から西村康稔の会議廃止表明を問われて、「え?もう1回言って」と聞き返したと、2020年6月27日付時事ドットコム記事、〈専門家会議、唐突に幕 政権批判封じ?政府発表前倒し―新型コロナ〉が伝えている。
要するに新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は一心同体のはずの政府から会議廃止を前以って知らされていなかったことになるが、そうではなく、記事によると、専門家会議の廃止は尾身茂副座長らの提言を受けて、既に決まっていたことで、6月25日発表の予定であったのに対して西村康稔が専門家会議の断りもなしに1日前倒しの6月24日に発表したのだという。
この点を取っただけでも、政府と専門家会議の関係が一心同体の親密期から倦怠期か、不仲期に突入していたことを物語っている。西村康稔の専門家会議廃止が1日前倒しの表明となったのは尾身茂副座長らが記者会見で何を述べるのか前以って知らされていたか、政府と専門家会議の最近の関係性から何を述べるのか予測できたか、いずれかであろう。そしてその内容が政府に不利になることを回避する意味で1日前倒しの先制攻撃ということになったはずである。
だが、西村康稔のこのような立ち回りは政府の立場からの思惑であって、自己都合という夾雑物が混ざり込み、公平な判断かどうかの保証はない。記事は前倒し発表の狙いをある政府高官の情報として、〈「専門家の会見で、政府が後手に回った印象を与える事態を回避しようとした」と断言する。〉と解説している。
つまり安倍政権は新型コロナ感染問題で専門家会議の提言を様々に受けながら、後手に回った対策しか打つことができなかった印象を専門家会議の記者会見が与えることを回避する必要があった。
だが、専門家会議を廃止して、法的な位置付けを持つ新型コロナ対策分科会へと衣替えすることの1日前の発表が後手に回った印象の払拭に繋がる効果を持つとする西村康稔の立ち回りは理解を与え難い。大体が衣替え自体が組織そのものか、その組織と政府の連絡に何らかの欠陥か障害を窺わせる。
記事は専門家会議は記者会見で、〈政府の政策決定と会議の関係を明確にする必要性を訴えていた。〉と書いている。関係明確の必要性の訴えの背景には、誰なのか分からないが、会議メンバーの発言として、「十分な説明ができない政府に代わって前面に出ざるを得なかった」と伝えている。
コロナ対策で「政府が後手に回った印象」、「十分な説明ができない政府」という二つのキーワードからは専門家会議の提言・情報に頼った政府の提言・情報という状況しか窺うことができない。
安倍政権は2020年1月30日に「新型コロナウイルス感染症対策本部の設置」を閣議決定している。本部長は内閣総理大臣安倍晋三である。新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の提言・情報を受けて、安倍晋三は新型コロナウイルス感染症対策本部に於いて自らの責任のもと、感染症防止対策の決定を行わなければならない。だが、その決定は感染症対策専門家会議の提言・情報を追随するだけでしかなかったことになる。
果たして事実はそのとおりだったのだろうか。
〈コロナ対策の責任、専門家に矛先も-問われる政府との役割分担〉(Bloomberg/2020年6月24日 17:00)に、〈安倍首相は2月の記者会見で、「大きな責任を先頭に立って果たしていく」と言及。政治は結果責任であるとした上で、逃れるつもりは「毛頭ない」と強調した。一方で、4月の国会では、緊急事態宣言の期間について問われた際、「専門家の分析、ご判断に従っている」と責任を転嫁するような発言も飛び出した。〉の一文を見つけた。
安倍晋三は2020年2月29日の「記者会見」でPCR検査への医療保険の適用や、5千床を超える病床確保等を伝えたあと、「皆さんの暮らしに直結する決断には、当然、様々な御意見、御批判が伴います。内閣総理大臣として、そうした声に真摯に耳を傾けるべきは当然です。しかし、それでもなお内閣総理大臣として国民の命と暮らしを守る。その大きな責任を果たすため、これからも先頭に立って、為すべきことは決断していく。その決意であります」と自らの責任の重大性と対策への批判を恐れない決断ある率先遂行を宣言している。
同時にこの姿勢に反する当該記事が伝えている発言は2020年4月17日(金曜日)の衆議院厚生労働委員会で飛び出している。
安倍晋三「最初に緊急事態宣言を出したときから、いわばこれは専門家の皆様の分析、御判断に我々は従っているわけでございますが、先ずは(人と人との接触を)最低5割、そして8割減らすことができれば2週間後には(コロナ感染防止の)成果が出てくる、更に2週間、そしてもう少しということで、1カ月ということで判断をしていただいたところでございます。
でも、しかし、それが十分でなければ、これは8割ということでこの1カ月(4月16日に緊急事態宣言対象区域を東京都等7都道府県から全国に5月6日目途に拡大したこと)なんですが、7割であれば更にこれは延びていくということは専門家の皆様にもお話をいただいているところだ、このように思うわけでございます」
そして今、更に加えたところについては、それは、加えた皆様が更に一カ月ということではなくて、まず、今、とりあえずは5月6日ということで合わせるべきだということが専門家の皆さんの御意見でございましたので、そこに合わせているところでございます」
要するに2020年4月7日の最初の東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象範囲とした緊急事態宣言発出にしても、4月16日の全国への対象範囲拡大にしても、「専門家(会議)の皆様の分析、御判断」に従って決定したものであることを赤裸々に告白している。専門家会議の「専門家の皆様の分析、御判断」を伺って、政府として最終的に対策を決定したとは言っていない。
4月16日から5月6日目途の対象範囲全国拡大にしても、「専門家の皆さんの御意見でございましたので、そこに合わせているところでございます」と、政府としての判断決定の関与を一切排除して、それを当然としている。つまり政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の本部長であることを忘れて、感染症防止対策の決定を専門家会議に預けている状況に自らを置いている。
専門家会議の側からすると、自分たちの「分析、判断」がそのまま政府の対策として打ち出されることになるから、安倍晋三の責任感の軽さに反して責任の重大さを自覚、感染症対策の専門家としての自負と間違った方向性を与えてはいけない緊張感から的確な「分析、判断」とその発信に前のめりな姿勢にならざるを得なかったことは容易に想像できる。
但し安倍晋三が政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の本部長を務めている関係から、コロナ感染防止対策の最終決定権者であると同時に最終責任者に位置していながら、対策の決定と責任を専門家会議任せとする後ろのめりが招いた専門家会議の前のめりという関係でなければならない。
安倍晋三自身が対策の最終決定権者であり、最終責任者であることを自覚していて、その自覚どおりの行動を取っていたなら、専門家会議が前のめりになる余地などなかったはずである。当然、「専門家の皆様の分析、御判断に我々は従っているわけでございます」といった発言も、「専門家の皆さんの御意見でございましたので、そこに合わせているところでございます」といった発言も、安倍晋三の口からは出てこない。
学校一斉休校は安倍晋三自身が独断で決めたことだということだが、子どもから子どもや大人への感染例が少ないこと、感染したとしても、感染した場合の子どもの重症者が殆ど存在しないことなどの前例から、細心の注意を払えば、学校を休校にしなくても済んだし、親に過重な負担をかけなくても済んだはずである。休校によって子どもが親と一緒に家庭で過ごすことになり、親から子供への感染が増えたのではないかと疑っている。
総額466億円の国家予算をかけた全世帯への1世帯ごと2枚の布マスク配布にしても、安倍晋三自身が決めたことで、「急激に拡大しているマスク需要に対応する上で、極めて有効であると考えている」とか、「洗うことで再利用が可能な布マスクは、そうした需要の増大を抑えて、需給バランスを回復することに大きな効果が期待できます」とマスク配布を正当化しているが、マスクは簡単に手作りできるのだから、各家庭の自助努力で解決不可能というわけではない。独居老人等の家庭に対してはマスク作りに余裕のある家庭にボランティアでの作成をお願いして配布することでも、解決はできる。
つまり466億円という大金をかけずにマスクの需給バランスを確保できることになった。466億円もの国費投入は壮大なムダ遣いに過ぎなかった。
余分なことばかりして、肝心なコロナ感染防止対策では専門家会議に頼ったのはコロナの感染に関わる知見が当初はほぼ皆無で、その予測不可能性に下手に立ち向かえば、支持率低下に繋がることから、そのことを恐れた安倍晋三の後ろのめりであって、その反動としての専門会議の前のめりということなのだろう。