自衛隊の制服組トップの河野克俊統合幕僚長が2017年5月23日に日本外国特派員協会で記者会見した発言が自衛隊法61条の「政治的行為の制限」に触れるのか触れないのか話題となっている。
2017年5月23日付「産経ニュース」の《会見要旨》からその発言箇所を引用してみる。文飾は当方。
記者「安倍晋三首相が最近憲法を変えたいと発言している。今の日本国憲法、法律の中で、自衛隊に関して「今は制限されてできないが、今後していく必要がある、できるようにすべきだ」と考えることはあるか。「自衛隊の存在そのものが憲法違反だ」という考えの専門家もいるが、それについての考えは」
河野統幕長「自衛隊の役割をこれから拡大するかどうかということだが、これはもう、いつに政治の決定によるものであり、私からお答えすることは適当ではないと思う。安倍首相が言われた憲法を変えるということについてだが、憲法という非常に高度な政治問題なので、統幕長という立場から申し上げるのは適当ではないと思う。ただし、一自衛官として申し上げるならば、自衛隊というものの根拠規定が憲法に明記されるということであれば、されることになれば、非常にありがたいなあとは思う」
官房長官菅義偉の翌日の5月24日記者会見で自衛隊員の政治的行為を制限した自衛隊法との関係を問われて次のように発言をしていることを5月24日付「ロイター」が「共同通信」電として伝えている。
菅義偉「高度に政治的な件について、統幕長として答えることは適当ではないと明確にした上で、個人の見解という形で述べた。全く問題ない」
要するに菅義偉は河野克俊が統合幕僚長としての見解を述べたたわけではなく、「個人の見解」としての発言だから、「全く問題ない」とした。
だが、河野克俊は「憲法という非常に高度な政治問題なので、統幕長という立場から申し上げるのは適当ではないと思う」との文言で統合幕僚長としての見解ではないとしたが、「一自衛官として申し上げるならば」と断って、菅義偉が言う「高度に政治的」な憲法について一国の首相としての政治的な立場にある安倍晋三が望む改憲の考えに添う講釈を垂れたのである。
この「一自衛官」としての見解を菅義偉は「個人の見解」だと巧妙にすり替えている。
自衛隊法第61条は、「政令で定める政治的行為をしてはならない」と禁止規定を設けている。そして自衛隊法施行令第86条で、「法第61条第1項に規定する政令で定める政治的目的は、次に掲げるものとする」として、「特定の政党その他の政治的団体を支持し、又はこれに反対すること」、「特定の内閣を支持し、又はこれに反対すること」、「政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し、又はこれに反対すること」等を定めている。
自衛隊トップの統合幕僚長は将たる自衛官であって、自衛官であることに変わりはないから、上記禁止規定は上は統合幕僚長から下は一般の一自衛隊員までが法の適用を受ける。
河野克俊が、それが「一自衛官」の立場からの見解であったとしても、「自衛隊というものの根拠規定が憲法に明記されるということであれば、されることになれば、非常にありがたいなあとは思う」との発言は、自衛隊法施行令が第86条で禁止する“特定の内閣の支持”に抵触しないはずはないし、“政治の方向に影響を与える意図の特定の政策の主張”に抵触しないはずはない。
百歩譲って「一自衛官」としての見解を菅義偉がゴマカシたように「個人の見解」であると認めたとしても、記者会見の場で自衛隊制服組トップの河野克俊が統合幕僚長として記者会見に応じて口にした自衛隊の根拠に関わる発言のその個所のみを「個人の見解」だとすることは許されるだろうか。
もし許されるとしたら、その「個人の見解」と自衛隊制服組トップの統合幕僚長としての見解は異ならなければならない。ウソ偽りなく異なって初めて合理性を手にすることができる。
だが、異なるとしたら、余りにも非合理的で、奇妙なことになる。
実際には「一自衛官」の体裁を取りながら、自衛隊制服組トップ統合幕僚長である河野克俊の見解を希望する形で口にしていたに過ぎない。
役目としての見解の場合は法律に抵触するからと、抵触しない方便として役目を離れた一自衛官の見解だ、一個人の見解だと発言することが許されるなら、法律の機能を奪う反社会的行為となるばかりか、法律を侮辱する卑劣な行為となる。
安倍晋三が自民党総裁としての憲法改正の考え方と首相としての憲法改正の考え方は同じでありながら、自民党総裁として発信した憲法改正論だからと国会で首相としては説明を拒否した卑劣さと本質的には同レベルにある。
菅義偉がどう擁護しようと、統合幕僚長河野克俊の見解は自衛隊法及び自衛隊法施行令に対する重大な違反に相当する。菅義偉の擁護自体が薄汚いゴマカシに過ぎない。