菅義偉の「雪深い秋田の農家の長男に生まれた」がウリの庶民性はとんだ食わせ者の日本学術会議推薦会員候補6人任命拒否の思想統制

2020-10-05 06:27:02 | 政治
 菅義偉の日本学術会議候補委員6人任命拒否の直近の騒動に関わるこのブログ記事はマスコミ報道をほぼ纏めたもので、ほんの少したいして役にも立たない自分の考えを述べている。

 先ず2020年10月1日午後、各マスコミは10月1日から任期開始の日本学術会議新会員の6名を菅義偉が任命拒否したと伝えた。初めて知ったことがだ、「日本学術会議法」というのがあって、新会員は日本学術会議が推薦、その推薦どおりに首相が任命する仕組みになっているという。その6人というのは特定秘密保護法批判、安全保障関連法反対、安倍式9条改憲反対、改正組織犯罪処罰法案批判の態度を示してきた学者たちだという。

 2020年10月1日付「東京新聞」が拒否の経緯を画像に纏めているから、参考引用しておくことにする。

 要するに任命拒否された学者は安倍晋三の復古主義的国家主義思想に反対の面々ということになり、後継の菅義偉が任命拒否したということは安倍政治のみならず、安倍晋三の復古主義的国家主義思想をも引き継いで、任命拒否に法的正当性の有無に関わらず自分たちの政治思想に反する学者を排除し、一種の思想統制を謀ったことになる。

 簡単に言うと、思想面で気に入らない者は遠ざけ、気にいる者のみを近づける。このようなことは法律に縛られている人事については到底、許されない。法律に縛られない人事、例えば国家主義者団体日本会議は法律に縛られているわけではないから、特定の思想に基づいて誰を会員にするか、誰を役員にしないかは自由である。日本会議の国会議員懇談会が安倍晋三と麻生太郎を特別顧問にしようがしまいがお好きにどうぞである。

 先ず「日本学術会議法」の主な規定を拾ってみる。文飾は当方。

 「第2章 職務及び権限」

 第3条 日本学術会議は、 独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、 その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、 その能率を向上させること。

 日本学術会議は独立機関だと謳っている。独立機関である以上、「職務及び権限」が第三者の介入を受けて許した場合、第三者のヒモ付きとなって、独立機関足り得ないことになる。当然、会員任命の人事に関しても第三者の介入を受けて許した場合、独立機関としての意味を成さないことになる。

 「第3章 組織」

2 会員は、 第17条の規定による推薦に基づいて、 内閣総理大臣が任命する。

 「第17条」とは、〈日本学術会議は、 規則で定めるところにより、 優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。〉とあって、人事に関しても独立機関としての意味を成すためには日本学術会議の推薦に基づいて政府は内閣総理大臣任命という格付けを与えるに過ぎないことになる。いわば内閣総理大臣任命は取捨選択はできない法律の建付けとなっている。

 こういったことが「日本学術会議法」に対する一般的な法解釈であろう。ところが菅義偉も、官房長官の詭弁家加藤勝信も、任命拒否を「法律に基づいた人事だ」と言っている。

 京都弁護士会所属弁護士渡辺輝人氏が、「菅総理による日本学術会議の委員の任命拒絶は違法の可能性」(Yahoo!ニュース/2020年10月1日)と題した記事の中で2020年10月1日午前の官房長官加藤勝信の記者会見発言を紹介しているから、参考引用させて貰う。

 朝日新聞キクチ記者「重ねてお伺いします。今回任命に至らなかった理由として、今、明確な理由はないように私は受け取りましたけど、首相の政治判断で任命しなかったと理解してもいいんでしょうか。またあの、もしそうであれば、憲法が保障する学問の自由の侵害に当たると思うんですけれども、官房長官のご認識を」

 加藤勝信「まず一つは、個々の候補者の選考過程、理由について、これは人事に関することですから、これはコメントは差し控えるということはこれまでの対応であります。それから、先ほど申し上げたように、日本学術会議の目的等々を踏まえて、当然、任命権者であるですね政府側が責任を持って行っていくってことは、これは当然のことなんではないかという風に思います。で、その上で、学問の自由ということでありますけれども、もともとこの法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっておりますから、まあ、それの範囲の中で行われているということでありますから、まあ、これが直ちに学問の自由の侵害ということにはつながらないという風に考えています」

 要するに安倍晋三・菅義偉・加藤勝信等一派は「日本学術会議法」について「会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっている」と法解釈していることになる。

 「法律上可能」と法解釈するためには可能と解釈し得る文言の所在を指摘しなければならない。「ここにこれこれこういうことが書いてある。依って一定の監督権を行使することに何の差し障りもない」と説明し、その説明の正当性を周囲に納得させ得て初めて、任命拒否は妥当性を持つ。ところがそういった説明は一切なしで「法律上可能」を一方的に言い立てている。

 国家の上層に位置する政治集団によるこのような説明を尽くさない一方的な言い立ては民主主義を蔑ろにする独裁・専横の意思を僅かなりとも潜ませていないと成り立たせ得ない。

 「日本学術会議法」には政府による会員の人事等を通じた一定の監督権行使を可能と解釈し得る文言はどこにもない。単に「法律上可能」を一方的に主張しているに過ぎない。一方的に主張すれば、主張していることの正当性・妥当性を獲ち得るとする態度は国民に対して丁寧な説明をするという謙虚さを欠き、政府を何でもかんでも正当づけるための強弁を働いているに過ぎないことになる。要するに国民をバカにしている。安倍晋三や菅義偉、加藤勝信等にはふさわしい態度であろう。

 渡辺輝人氏の記事が加藤勝信の発言と1983年(昭和58年)11月24日の参議院文教委員会での国会答弁との矛盾を指摘していることに案内されて、質疑を国会会議録検索システムから参照、関係箇所を列記することにしたが、渡辺輝人氏とは列記箇所が異なるところもあるから、異なりについては渡辺輝人氏の記事を参照して貰いたい。

 1983年11月24日の参議院文教委員会

 吉川春子(共産党参議院議員 2007年7月引退)「日本学術会議の発会式、昭和24年の1月のことでございますが、その中で総理大臣(吉田茂)の祝辞として次のように述べられているわけです。

 まず、『新しい日本を建設することを決意した私どもは、単に自国の平和と自国民の幸福をはかるのみならず、文化の発達、なかんずく科学の振興を通じて、世界の平和と人類社会の福祉に貢献しようとする大きな理想を持たなければなりません。まことに科学の振興こそ新日本再建の基礎であると共にその目標であると思うのであります』と述べまして、そしてその『日本学術会議は勿論国の機関ではありますが、その使命達成のためには、時々の政治的便宜のための制肘(わきから干渉して人の自由な行動を妨げること。goo国語辞書)を受けることのないよう、高度の自主性が与えられておるのであります』と、こういうふうにこのときの総理大臣自身が述べているわけですが、そういうことも踏みにじって今度の法改正を急ぐ。

 これは、政府の意のままに動く学術会議にしようとする、悪く言えば御用機関化しようとする何物でもないというふうに思うわけです。そういう意味では学術会議の自主性尊重、自主改革尊重と言ってきたのはウソだったのじゃないかと、そういうことがこういう経過で明らかになっているんじゃないかというふうに思うんですが、今度の法の改正の中で、政令事項についても、政令事項に大分任されているわけですけれども、学術会議と相談しながら進めると言っておりますけれども、いままでのこういう経過を見てくると、もう学術会議の意思を踏みにじって政令も何か決められちゃいそうな懸念があるんですけれども、その点長官、いかがですか」

 丹羽兵助(総理府総務長官)「ただいま、これが設立された当時の総理が、そのお祝いの席で述べられた挨拶でございますか、それはその気持ちと、そして学術会議がこういう性格のものであるというようなはっきりしたことを言っておられますが、そのことについてはいまも私は少しも変わった考えは持っておりません。あくまでこれは国の代表的な機関であると、学術会議こそ大切なものだという考え方、政府がこれに干渉したり中傷したり運営等に口を入れるなどという考えは、少しも、ただいま申し上げましたように、総理がその当時言われたことと変わってはおりませんし、変えるべきではないと思っております。

 ただ、今度の改正は、そういう大事な学術会議でございますから、学術会議がりっぱに機能あるいは使命を果たしていただくために選出方法を、近ごろいろいろと選出方法について意見も出ておりまするし、また学者離れだ云々というような嫌なことも耳にしておりまするので、今度はいわゆる推薦制にしていこうということでございまして、その推薦制もちゃんと歯どめをつけて、ただ形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく、こういうことでございますから、決して決して総理の言われた方針が変わったり、政府が干渉したり中傷したり、そういうものではない」

 「日本学術会議法」はこの参議院文教委員会が開催された1983年(昭和58年)11月24日4日後の11月28日に何度目かの改正となっている。この改正に「日本学術会議」は昭和58年5月19日の「第89回総会」で反対意思を示している。

 従来の会員公選制を廃止して、全面推薦制の採用となっていること、会議の独立性の制度的保障となっている公選制が全く否定されていること、公選制廃止によって「日本学術会議」の会員外の選挙権を有する23万の学者の意思が活用されないこと等を挙げている。野党も同調することになって、吉川春子議員も改正に対する危惧の念を示すことになったのだろう。

 吉川春子議員は「日本学術会議法」改正は政府による組織の「御用機関化」ではないのか、「学術会議」の意思を踏みにじっているのではないのかと追及。対して、丹羽兵助は吉田茂が昭和24年1月の「日本学術会議」発会式で「時々の政治的便宜のための制肘を受けることのないよう、高度の自主性が与えられておるのであります」と、吉田「総理がその当時言われたことと変わってはおりませんし、変えるべきではないと思っております」と確約、いわば「政府がこれに干渉したり中傷したり運営等に口を入れるなどという考えは」は毛頭ない、高度の自主性尊重に何らの変化はないといった趣旨で政府側の法解釈を示している。

 さらに会員の選定は公選制から推薦制に変わるが、「形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」歯どめを設けているから、つまり任命を拒否するといった政府側の意思を示すことはないのだから、「決して決して(吉田)総理の言われた方針が変わったり、政府が干渉したり中傷したり、そういうものではない」と、ここでは学会の推薦と任命に関わる法解釈を明確に示している。

 事実、「日本学術会議法」の「第3章 組織」2が〈会員は、 第17条の規定による推薦に基づいて、 内閣総理大臣が任命する。〉となっているのだから、丹羽兵助の答弁は当然の法解釈を示しているのだが、菅義偉も、官房長官の詭弁家加藤勝信も、1983年当時の政府の「形だけの任命をしていく」、いわば “任命をそのまま受け入れる”とする法解釈を違えて、法律上可能となっている一定の監督権行使可能に基づいた任命拒否、いわば“任命どおりとはしない”とする法解釈を示していることになる。

 同じ法律でありながら、こうも正反対の法律解釈を可能とし得る根拠を政府という立場上、当然、国民に対して説明責任を負うことになる。だが、加藤勝信は詭弁家らしく、懇切丁寧な具体的説明はしないままに「会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっておりますから」と一方的に言い立て、「人事に関することですから、これはコメントは差し控えるということはこれまでの対応であります」と、法律解釈でありながら、説明責任放棄を貫き通して正々堂々・平然としていられる。

  加藤勝信が一定の監督権行使可能の主張を何に依拠させているのか、教えている記事がある。参考のために全文引用することにした。

 〈18年にも任命拒否検討 内閣府、法制局に法解釈照会「拒否できるでいいか」〉(毎日新聞2020年10月3日 20時40分)

 菅義偉首相が科学者の代表機関「日本学術会議」から推薦された新会員候補6人を任命しなかった問題に関し、内閣府は2018年と今年9月の2回にわたり、任命権を巡る日本学術会議法の解釈を内閣法制局に照会していた。このうち、18年は「任命は拒否できるということでいいか」と尋ねており、この際も任命拒否を検討していたことになる。政府関係者が3日、明らかにした。菅政権と第2次安倍政権より前は学術会議の推薦通りに任命されているため、法解釈や運用が変更された可能性がある。

 日本学術会議法は17条で「優れた研究・業績がある科学者のうちから会員候補者を選考し、首相に推薦する」と定め、7条で「推薦に基づき首相が任命する」としている。中曽根康弘首相(当時)は1983年の参院文教委員会で「実態は各学会が推薦権を握っている。政府の行為は形式的行為」などと答弁。このため、学会側が実質的な任命権を持つとの法解釈が成り立つという指摘がある。

 内閣法制局は2日、立憲民主党など野党が国会内で開いた合同ヒアリングで、18年に内閣府から照会があったと認め、「法令の一般的な解釈ということで内閣府から問い合わせが来て、解釈を明確化させた」と説明した。今年9月2日にも内閣府から口頭で照会があり、「18年の時の資料を踏まえ変更はない」と回答したという。

 ただし、18年の照会で「明確化させた」という法解釈について、政府は詳細な説明を避けている。加藤勝信官房長官は今月2日の記者会見で、照会の中身について「推薦と任命に関する法制局の考え方が整理されていると承知している」と述べるにとどめた。

 政府関係者によると、18年の照会は会員の補充人事の際のもので、「学術会議から推薦された候補を全員任命しなければならないわけでなく、拒否もできるということでいいか」という趣旨だったという。16年の補充人事の際にも政府が複数の候補者を差し替えるよう求めたが、学術会議が応じず、一部が欠員のままになった経緯がある。

 野党合同ヒアリングでの内閣府の説明によると、今回の新会員人事は内閣府が9月24日に推薦候補者リストを起案し、28日に首相官邸が決裁した。内閣府は6人の名前が削除された時期や理由は明らかにしなかった。【佐藤慶、宮原健太】

 要するに内閣府は、安倍晋三の指示と、菅義偉の指示も受けてのことなのだろう、内閣のトップの指示なくして内閣府が動くわけはない、2018年と今年2020年の9月の2回に亘って内閣法制局に対して任命権を巡る日本学術会議法の解釈を照会したと政府関係者が10月3日に明らかにした。

 〈2018年の照会は会員の補充人事の際のもので、「学術会議から推薦された候補を全員任命しなければならないわけでなく、拒否もできるということでいいか」という趣旨だった〉。2020年の9月の紹介内容は6人の任命拒否の結果を見れば、2018年の紹介内容と同じということになる。

 要するに「日本学術会議法 第3章 組織 2」の、〈会員は、 第17条の規定による推薦に基づいて、 内閣総理大臣が任命する。〉の条文に対して1983年(昭和58年)11月24日の総理府総務長官丹羽兵助の「形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」、いわば “任命をそのまま受け入れる”とした法律解釈を内閣法制局は “任命をそのまま受け入れなくてもよい”とする法解釈に変え、任命拒否可能のお墨付きを菅内閣に与えたことになる。

 当然、このような法解釈の変更による任命拒否可能のお墨付きに正当性があるか否かの問題が生じる。記事が、〈内閣法制局は2日、立憲民主党など野党が国会内で開いた合同ヒアリングで、18年に内閣府から照会があったと認め、「法令の一般的な解釈ということで内閣府から問い合わせが来て、解釈を明確化させた」と説明した。〉と伝えていることからして、内閣法制局は法制局としての立場から「日本学術会議法」の推薦に対する総理大臣の任命に関して「法令の一般的な解釈」、いわば一般的な法解釈を示したということになる。

 但し「一般的」という言葉の意味は「特殊な事物・場合についてでなく、広く認められ行き渡っているさま」(goo国語辞書)を言う。法律は内閣や内閣府、内閣法制局のためにあるのではなく、国民のためにあるという点からしても、内閣府にしても、任命拒否可能を広く認められる法解釈とし得るかどうかの観点から内閣法制局に照会しなければならないし、内閣法制局にしても、任命拒否可能を広く認められる法解釈とし得るかどうかの観点から照会に応じなければならないことになる。

 だが、報道を見る限り、菅内閣にのみ認められる法解釈の変更としか見えない。菅内閣の利益を最優先事項とする結果、菅内閣は内閣法制局の法解釈の変更を国民に広く知らさないままに内閣法制局の法解釈の変更一つで任命拒否に出ることになった。しかもこのように国民に広く知らさないという不誠実この上ない保身的な経緯を取りながら、菅義偉も、官房長官の詭弁家加藤勝信も、「法律に基づいた人事だ」と自己正当化を謀り、加藤勝信に至っては任命拒否は「人事に関することですから、これはコメントは差し控えるということはこれまでの対応であります」と、国民に広く知らせることに注力を注がずに、さも慣例となっているかのような薄汚い誤魔化しを言う。

 菅義偉は「雪深い秋田の農家の長男に生まれた」との庶民性をウリにしている。だが、その庶民性に反して内閣法制局の法解釈の変更を国民に広く知らさないままに変更した法解釈で安倍晋三や自身に都合のいい人事を行った。

 しかも任命拒否のその人事たるや安倍晋三の国家主義的強権的政策に反対した学者ばかりである。任命拒否という形で安倍晋三の政治思想を拒絶する学者を排除したのだから、一種の思想統制に当たらないはずはない。ある組織に対する思想統制は共産党元参議院議員吉川春子が同じ言葉を使っているが、その組織に対する御用機関化の意思なくして成り立たない。

 御用機関化の意思を潜ませた思想統制の片棒を菅義偉は担いだ。「雪深い秋田の農家の長男に生まれた」だと。とんだ食わせ者としか言いようがない。

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