昨日9月27日、自民党総裁選が国会議員票199票、地方票300票の投票によって行われ、谷垣禎一候補が国会議員票120票、地方票180票の共に過半数獲得の300票で総裁に選出された。
対して反派閥政治の河野太郎の得票数は議員票が35票、地方票109票の144票、西村が議員票43票、地方票11票の54票。残る1票が議員の無効票。
存在感誇示のために(?)、あるいは腹癒せのチャチャを入れるために(?)麻生太郎は麻生太郎と書くべきだったと思うが、そういったハプニングは起きなかったのだろうか。無効票の1票が「麻生太郎」だったら、麻生の空気を読まないで口にする冗談も見直せるというものだが、無効票となっているからには、白票ではなく、何か書いてあったのだろう。
それとも余りの大敗、余りの議員減、その体たらくに「バカヤロー」とでも書いてあったのか。
今回の総裁選劇が全くバカげた一幕に映っていたなら、「そのまんま東」(東国原英夫)の名前を書く議員が一人くらいてもよかったと思うのだが、もし無効票の1票が「そのまんま東」であったなら、麻生内閣の支持率危険水域エンジン停止状態のまま東国原「総裁の椅子」騒動のドタバタを経て麻生降しのドタバタ、そして衆議院選挙大敗のドタバタまでのすべてのドタバタをその1票に象徴させることとなって、田舎芝居の続きを見るようで拍手喝采が起きたと思うのだが、無効票1票で片付けられてしまっている。
自民党の解党的出直し総裁選だ、自民党がこのまま終わるのか、再生できるのかは総裁選にかかっていると、その重大さが盛んに喧伝されていながら、地方票の投票率が46・7%。今回と同様の方法で実施された06年総裁選の61・5%を約15ポイント下回った(スポニチ)というから、ドタバタが治まらない総裁選だったと言うことができるのではないだろうか。
谷垣禎一新総裁選出後の弁。
「党の改革はまったなし。思い切った改革が必要でございます。我が党が、もう一回、政権に復帰できるように全身全霊を傾けて、職務に当たらせていただきたい、このように思っております。
この選挙戦を通じまして、私が標語としてまいりました、『みんなでやろうぜ』(絶叫)この言葉で、もう一回、党員のみな様、そして国民のみな様に、お訴えをしたいと存じます」(TokyoMX動画)
「この総裁選は自民党の再生をかけた戦いだった。そしてこの私に『先頭に立て』という命令をいただいた。このままズルズルと土俵を割ることは許されない。みんなでやろうぜ! この言葉をもう1回党員と国民の皆さまに訴えたい」(msn産経)――
「お訴え」を「国民のみな様」よりも先に「党員」向けとし、「再生」を先に約束する。自民党議員を養っているのは国民ではなく、金融機関や製造業等々の「党員」からの政治献金だと思っているからだろう。
「この総裁選は自民党の再生をかけた戦いだった」――果して谷垣新総裁選出で 「自民党の再生」は約束されるのだろうか。
「解党的出直し」という言葉をキーワードとすると、自民党の再生は派閥政治の弊害の扱いを重点課題としなければならないはずだ。谷垣自身も18日の総裁選3候補の共同記者会見で言っている。
「派閥の弊害というのは乗り越えていかなければいけないと思うんですね。例えば人事を壟断(利益を独り占めにすること)するとかね。えー、党あって、派閥あって、党なし、おー、いうようなことが行われるようではいけないと。やはり人事は、おー、何て言うんでしょうか、特に政権交代ということになればですね。えー、派閥の情実人事であると、順送りであるとか、あの人は次の選挙で引退するから、閣僚にしてやろうとか、こういう人事であっては、あー、政権交代、この可能な時代には、負けてしまう」
自民党に於いて議員同士の力関係が派閥の力学に支配され、それが政策にも影響して特定の地方、特定の企業や特定の組織に利益配分する不公平を生じせしめていた。となると、“解党的出直し”、あるいは“自民党の再生”は従来的な派閥型の支配構造を変えることから出発しなければならない。派閥の頭数、あるいは派閥の領袖の影響力――派閥の力関係が支配して人事や政策を決めてきた支配構造を変えることを重点項目としなければならない。
世代交代して若手が総裁になっても、派閥領袖として居座っている古い政治家の手のひらの中で誕生させられた、息のかかった総裁では世代交代の意味を失う。
このことはベテランや中堅の議員にも言えることで、「世代交代」云々が問題ではなく、派閥の力学から離れたところで党の人事や政策を実行できるか否かがカギとなる。
と言うことは、各候補の自らの新総裁選出に向けた主張は上記経緯に添った発言がより重要となる。
谷垣禎一の総裁選に立候補してからの派閥問題に関する発言をいくつか見てみる。
「ま、これは総裁になりましたら、どういう人事をするか。やはり、これは何と言うんですかね。えー、総裁が全責任を持って、自分の判断できちんと選んでいくんだと、この挙党態勢を揺るがしたらいけないんだと思います。そして、そいう中で適材適所。先程、あのー、甲子園野球のこと、喩えを申し上げましたけども、今の自民党には、あー、何て言うんでしょうか、人事の遊びをしている余裕はないんだと、それぞれのベストメンバーを当てていくんだと、えー、今度野党になった総裁は、その信念を徹底しなければいけないと思います」(09年9月18日・自民党総裁選共同記者会見)
「先程から派閥の議論が色々と出てきておりますが、私は、あの、誰を排除せよ、彼を排除せよっていう議論をやってますと、300何人いるときは、それでよかんたんだが、衆議院議員が百人ちょっとしかいなくなったときに、これはなかなか全員野球でやらなきゃダメだなあっと、オー、私は、そう思っております。うー、ただ勿論、先程西村さんからご質問ありましたように、適材適所、きちっと、派閥の横車は排除していかなければならないことは明らかです」(09年9月19日「日本記者クラブ共同記者会見」NHK)
もし谷垣が派閥の弊害に苦々しいばかりに拒否感情を持っていたなら、「派閥の横車は排除」は最初に口にしただろう。だが、そうした場合、あとから続けることになる「全員野球」云々は論理的に成り立たなくなる。「派閥の横車は排除」を最後に持ってきたところに谷垣の派閥の立ち位置が現れている。
(新総裁就任後の記者会会見で党人事に関して)「いろいろな意見に耳を傾ける必要があるが、最後は自分がきちんと判断するのが総裁たるものの責任だ。適材適所で指名させてもらいたい。神奈川と静岡の参議院の補欠選挙が目前に迫っているので、そう時間を取るわけにはいかず、今晩、ゆっくり考えて結論を出したい」(NHK記事)
人事は「それぞれのベストメンバーを当てていく」、「最後は自分がきちんと判断する」、「適材適所」と言いつつ、全体を通して主張している基調は「全員野球」であり、「みんなでやろうぜ」であった。誰が見ても明らかなようにそこに重点を置いている。
西村が議員票43票も獲得して、反派閥政治の河野の議員票の35票に8票も上回っていた。西村が谷垣と同じく「老壮青」を掲げた派閥政治容認派と見ると、森が影のオーナとなっている最大派閥町村派から出馬した西村は谷垣が各派閥の領袖を始め、その所属議員等から派閥横断的に支持を受けたその擁立の派閥横断性に対する目くらましに過ぎないと見るべきだろう。そして派閥政治容認が谷垣の議員票120票と西村の議員票43票を合わせて投票した自民党議員199人のうち163票も占めることになる。
この二つの事実からも分かるように「全員野球」、「みんなでやろうぜ」、あるいは「老壮青」は聞こえはいいが、派閥の弊害に目をつぶるこにいなる「全員野球」、「みんなでやろうぜ」、「老壮青」なのは明らかである。
先に「谷垣総裁選出は森喜朗が主役の派閥政治の延命治療」のブログをエントリーしたが、まさしく谷垣新総裁選出は派閥を力の源泉としている派閥のボスたちが大方の自民議員共々派閥政治延命治療をテーマに演出して舞台に乗せた、森喜朗や古賀誠、伊吹文明、町村、安倍、麻生といった古い政治家たちに心地よい眠りを約束する総裁劇だったに違いない。
その恐れはなかったろうが、万が一河野太郎新総裁となったなら、心地よい眠りは約束されない日々を送ることになったろう。
このような派閥政治容認の経緯に「自民党再生」の約束が入る余地があるのだろうか。あるいは「再生」の約束を入れる余地を果たして見出すことができるのだろうか。これまで安倍から福田、福田から麻生と顔を替えてきたのと同じく、谷垣では単なる顔の付け替えにしか見えない。