何とまあ、粗雑にして単純なる安倍晋三の頭の中

2006-03-30 04:34:44 | Weblog

 ディスクトップ内を検索する必要があって、そうしていたら、すっかり忘れていたのだが、次のようなメモ書きに出会った。「スットプ・ザ・アベ」には格好の内容ゆえ、加筆・訂正して文章に仕上げ、俎上へ提供することにした。

05年9月19日と、ちょっと古い話だが、テレビ朝日の「TVタックル」で安倍晋三は次のように発言している。

 「アメリカは原爆を2発落として、ポツダム宣言を受諾しろと威した」

 ポツダム宣言は、1945年7月26日に対日降伏勧告宣言として発せられた。

  * * * *
 (以下、出展『Wikipedia』)
 宣言の骨子
a.. 日本国軍(注:政府ではない)の無条件降伏、及び日本国政府によるその保   障
b.. 領土を本州、北海道、九州、四国及び諸小島に限定
c.. 戦争犯罪人の処罰
d.. 日本を世界征服へと導いた勢力の除去
e.. 日本軍は朝鮮半島および台湾から直ちに撤退する
  * * * *
 国体護持(天皇制維持)への言及がなかったために、日本は黙殺した。8月6日に広島、8月9日に長崎へと原爆投下。

 7月26日にポツダム宣言を発して11日後である。ポツダム宣言の黙殺に対する連合国側の回答ではあっても、日本側に関して言えば、国体護持(天皇制維持)への固守を前提とした経緯からの到達点であって、そのような因果性を抜きに「アメリカは原爆を2発落として、ポツダム宣言を受諾しろと威した」と短絡化するのは、粗雑にして単純な頭の持ち主でなければできないご都合主義と言わざるを得ないが、そのご都合主義の正体たるや、日本の悪者性をアメリカに転嫁し、日本を善人と見せかけるペテンに過ぎない。日本民族優越意識に端を発した、侵略戦争ではなかったとしたい願望の一環ではあろうが、やはり粗雑にして単純な頭の持主でなければできない誤魔化しである。

 日本は国体護持(天皇制維持)を最優先事項としていた。広島・長崎を合せて30万人近い原爆死者は、その代償でもあったのである。安倍晋三が粗雑にして単純に言うように、「アメリカは原爆を2発落とし」たということだけではなく、国体護持(天皇制維持)が後押しした原爆投下でもあったのである。

 日本は戦後天皇制を維持できた。そのことと抱き合わせに原爆後遺症者を日本の社会に維持することとなったことを忘れてはならない。天皇制維持がつくり出した原爆後遺症者でもあるからだ。安倍晋三の粗雑にして単純な頭には、そんなことは毛ほども刻み込まれてはいないだろうが。
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 (再度、出展『Wikipedia』)
 「同日(長崎原爆投下の8月9日)日ソ中立条約を結んでいたソ連が突如満州に侵攻したことに衝撃を受けた日本政府は、8月9日の御前会議で「国体の護持」を条件に受諾を決定し、10日に連合国に伝達した。

 翌日(8月11日)返答したアメリカは、
 「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」
 「降伏の時より、天皇および日本政府の国家統治の権限は連合軍最高司令官に従 属する(subject to)」と宣言の内容を繰り返してきた。

 "subject to"の訳について、「制限の下におかれる」とする外務省と「隷属する」とする軍部の間の対立があったが、国体がどうなるか曖昧なまま、日本は14日の御前会議で改めて宣言受諾を決定した。15日正午、玉音放送(天皇の声を「玉音」と言った)により、日本国民と陸海軍に降伏が伝えられた」
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 原爆2発とソ連の満州侵攻にびっくり仰天して、慌てくさって「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を決定したのだが、ポツダム宣言が「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」としているものの、国体護持(天皇制維持)に関しては明記がなく、「国体がどうなるか」気にしている余裕も失って、「曖昧なまま」の状態で「受諾を決定した」のである。

 つまり、原爆2発とソ連の満州侵攻という食わなくてもいい余分な道草を食ってから、国体護持(天皇制維持)への言及がないという最初の状態に戻り、素直に受諾していれば何事もなく済んだポツダム宣言を往生際悪くもやっと認知したのである。

 ソ連の満州侵攻で、関東軍兵士のことはどうでもいいが、その家族や民間居留民がどれ程犠牲になったことか、このことも高過ぎる代償ではあったが、日本はソ連が日本との間に締結していた中立条約の一方的破棄という卑劣のみを言い立てている。日本はロシア革命の直後の1918(大正7)年に革命への干渉を目的にイギリスやアメリカと共謀してシベリアに出兵し、米英などの撤退後も、今で言う単独行動でシベリアに居座り、その挙句に黒竜江河口の要衝尼港(にこう)で日本守備隊と居留民がバルチザン軍の攻撃を受けた「尼港事件」と、捕虜となった居留民と将兵130人余がバルチザン軍の撤退に合わせて殺害された事態を口実としたその後の北樺太の保障占領といった一部始終は、革命側に〝いい勉強〟をさせた忘れられない出来事であり、その勉強がソ連の満州侵攻に反映されていなかったとは完全には言い切れまい。歴史は主役を代えて25年後に繰返したのである。

 安倍晋三が粗雑にして単純にも言う「威」されてポツダム宣言を受諾したという成り行きは、日本人自体が権威主義を行動様式としていて、「威」されて言いなりになる行動性を民族的に生来的なものとしている性向とも符合する。いわばそのような民族的な刷り込みに整合性を与えたい無意識の自虐性が同じ日本人として安倍晋三もつい無条件に働いて、「威」されて受諾したものと読み取ってしまった部分もあったのかもしれない。

 と言っても、「威」されて言いなりになる行動性とは主体性の欠如の言い直しに過ぎず、自分の意志、自分の考えを持たないからこそ、言いなりになれるのであって、そのような無意志・無考えが日本人は合理的論理性が欠如しているとよく言われていることの原因を成している。安倍晋三は政治家なのだから、なお一層欠けていても、無理はないのかも知れない。次期首相候補だというのだから、日本も捨てたもではない。

 「TVタックル」には民主党の下らない面々も顔を出している。日本の政治が如何に下らないか競い合って証明し合っているようなものであろう。

 安倍晋三はまた、「中国は共産党一党独裁で、国民の自由もない。国民の不満を抑えるために、日本軍を破り、中国を解放したのは中国共産党だと、一党独裁の正統性を訴えるためにも、愛国教育を利用している。首相の靖国神社参拝に反対するのも、中国国民に日本を悪だと説明している手前からで、中国の言うことを聞いて、参拝をやめたとしても、それだけで終わらない」といった内容のことを話していた。
     
 粗雑にして単純にできているからこそできる情けない対中認識である。安倍晋三の言っていることが事実だとしても、そのような中国と政治的にも経済的にも関係を維持していかなければ、日本の立場を失う。経済的にとは言うまでもなく、競争力をつけるための安い人件費及び安い資材と販売市場を中国に大きく依存していることであり、現在の景気回復も、アメリカ経済だけではなく、中国経済にも恩恵を大きく与った動向であるはずで、そのことを都合よく忘却の彼方に置き忘れてしまっているらしい。

 政治的には、アジア地域に於ける主導権・存在感の問題であって、日本の対外的影響力に関わってくる。日本は経済力で、言ってみればカネの力で存在感を誇示してきた。政治力は期待されていなかった。期待したくても、期待できる程の政治力を発揮できなかったからだろう。無意志・無考えからは特段の政治的創造性は生まれてこない。

 しかし中国はアジアとは陸続きであるから、歴史的に侵略と被侵略を繰返すことで、権謀術数・政治的駆け引きを伝統的に磨いてきた。その政治性は日本人性善説を唱えて自己満足に浸っている甘っちょろい日本の比ではない。

 現在もロシア、インド・ベトナムといった大国、あるいは潜在的大国と国境を接していて、過去に紛争を繰返している。アジアの国々は、日本は経済的に無視できない国であっても、政治的には無視できない国ではない。中国とは国境を接しているか、接していなくても陸続きであるゆえに、隣国が中国の影響下に入れば、二次的に国境を接することとなり、経済的にも政治的にも無視できない影響力を秘めている。ただでさえ中国の対外影響力・対外主導権は日本と比較して増大している。裏返すなら、アジア各国は対日重視から対中重視へと比重・軸足を移しつつあると言うことである。

 その現実を踏まえずに、中国は共産党一党独裁だと、如何に陰湿・凶悪であるかを際立たせることのみにエネルギーを注いでいる。カネで手に入れただけの対外存在感を政治的・外交的存在感につなげるだけの政治的創造性を持たないから、バカの一つ覚えのケチをつけることしかできないのだろう。

 靖国神社首相参拝を中止しただけでは問題は解決しないというなら、政治家なのだから、解決できる別の方策を講じるべきだろう。首相の靖国参拝を中止しないで済ませる、いわば対案に当たる解決策である。野党はただ反対するだけではなく対案を出せと一つ覚えの念仏のように繰返しているが、首相の靖国参拝問題を解決し得る「対案」を示し得ずに、野党を非難する資格はない。

 「対案」を示し得ないままでいたから、中国に日本の安保理入り反対の理由の一つにされたのであろう。参拝を中止したとしても何も解決しないのではなく、解決させるための方策を見い出して、日本の方から働きかけなければならなかったのである。それを、何も解決しない、何も解決しないを繰返すだけで、問題を放置してきた。

 ということは、何も解決しないを靖国参拝継続の口実にしていただけのことだということである。解決するなら考えもするが、何も解決しないから、靖国参拝は続けるべきだというわけである。

 日本はアメリカの背後で外交力を発揮しているに過ぎない。中国は安保理事国として、一国で活動できるだけの力を持っている。その手の上げ下げ一つで、世界情勢を大きく変えることもできる。だから、日本も安保入りを果たしたくてウズウズしているのだろうが、果たしたとしても、アメリカの意向に従った手の上げ下げしかできないだろう。アメリカの圧力という「威し」(いわゆる外圧)に簡単に言いなりになる民族的な非主体性(権威主義に於ける下が上に従う行動様式)が、そう仕向けるだろうからである。

 首相の靖国参拝に対する中国の非難を、内政干渉だ、中止したとしても、何も解決しない、一国の首相がお国のために命を捧げた者を追悼するのは当然の行為だ等々、国内向けの正当性しかアピールできないのだから、粗雑にして単純と言うだけではなく、日本の対外的影響力は推して知るべしである。そういったお粗末な状況は安倍晋三が次期総理となったとしても、何も変らないだろう。

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