中国の現代美術家として注目を集めているアイウェイウェイ氏の個展が、六本木の森美術館で開かれていると聞いて、今日その作品に直接触れてきた。
数ヶ月前、ミズマ・アートギャラリーを主宰している三潴末雄氏が、中国の草場地にギャラリーをオープンした話を聞き、その場所に最初に住宅とギャラリーを建てた中国の有名な詩人を両親に持つ、特異な現代アーティストがいることは承知していた。
しばらくして、雑誌”pen”でアイウェイウェイ氏の特集記事が出て、古木や、日常的なものを使って自らの思想を表現する反体制派の芸術家という紹介記事であった。
氏は昨年の北京オリンピックのメインスタジアム、鳥の巣にもスイスの建築家ヘルツオークドムーロンと協同したが、基本的にはオリンピックには反対で開会式にも出なかったというような噂話も聞いたことがあった。
もう一つ、最近私は海老名さがみ野の桜並木のあるまちづくりに参加する機会があり、寿命が来て倒壊した事件が起きたと言う、樹齢60年の桜の木を切る話があった。
切って何もなくなるよりはその痕跡を残す工夫を、残材をアート化して出来ないかと言う、思いつき発言をしたことが気になっていたこともあった。
どんな作品なのか、とにかく解説も読まず最初は展示されたものだけを見ようと白い美術館の中を歩いてみた。
予想どうり私には何の感動も伝わってこない。
再度入り口から、今度は作品の解説を読みながら作品を再び一つづつ丹念に見る。
最初は中国茶のプーアール茶をブロックにし、積み上げて立方体にしただけの作品、じっくり見るとお茶の香りが微妙に伝わってきてテクスチャーにも感心する。
次は天井に蛇のような連続する布のユニットがとぐろを巻いている。
これは例の四川の大地震で被害にあった中学生の多くのリュックを発掘し、それを集めて長く連結させアート化したものだと言う。
そう聞くとなるほどと納得しその行為と発想に感動する。
氏はアーティストと言うよりは、確かに社会思想家であると思う。
日常性をアート化した現代美術の祖と言われる、マルセルデュシャンの手法に似ていると言う人もいるが男性用便器を泉と名付け、世に出したデュシャンの作品はそれはそれで今見るとアートの香りを多分に含んでいた。
様々な矛盾を含んで発展を続ける中国現代社会。
その只中に身をおき、幼少期から政治的な出来事に翻弄された過去を持つ氏の発想は、芸術と言えどもすべからく社会の改革へと向かう。
”アートは結果ではなく始まり。基本的な構造や枠組みを提供する事だと思う”と。
アートには心の自由や社会を変える力があると信じる氏の作品は、白い美術館の中に納まるものではなく、もっと大きな自然や日常性の中でこそ、本当の息吹を放つものだろうと思った。