昨夜、尾道から新幹線で帰宅した。海沿いに歩くと聞こえる船のエンジンの音と、国道側を歩く時の、列車の音が、まだ耳の奥に残っていて、旅のけはいが完全に失せてしまったのではないのを感じる。
先ほど、モノクロフィルムを現像して、水洗用のトレイに沈めたところ。
私の父は、戦時中に十代で、呉の海軍工廠で働いていた。尾道はたまの休日に遊びに出かける町であったらしく、繰り返し、懐かしそうに話すことがあった。だから私は行ったこともない尾道のことを、子供の頃から知っているような気がしていた。
ヘミングウェイは、1920年代を過ごしたパリについて「移動祝祭日」というエッセイを書いた。その中でこう言っている。
「もし君が幸運にも、青年時代にパリに住んだことがあるなら、君が残りの人生をどこで過ごそうとも、パリは君についてまわる。なぜならパリは、移動祝祭日だからだ。」
私も同じように、こう言ってもいいはずだ。
「子供の頃を尾道で過ごした人は幸福である。何故なら尾道は移動祝祭日であるから。」
先ほど、モノクロフィルムを現像して、水洗用のトレイに沈めたところ。
私の父は、戦時中に十代で、呉の海軍工廠で働いていた。尾道はたまの休日に遊びに出かける町であったらしく、繰り返し、懐かしそうに話すことがあった。だから私は行ったこともない尾道のことを、子供の頃から知っているような気がしていた。
ヘミングウェイは、1920年代を過ごしたパリについて「移動祝祭日」というエッセイを書いた。その中でこう言っている。
「もし君が幸運にも、青年時代にパリに住んだことがあるなら、君が残りの人生をどこで過ごそうとも、パリは君についてまわる。なぜならパリは、移動祝祭日だからだ。」
私も同じように、こう言ってもいいはずだ。
「子供の頃を尾道で過ごした人は幸福である。何故なら尾道は移動祝祭日であるから。」