A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

大阪ことば

2005年04月09日 | 旅の破片
 朝、コーヒーショップで朝食を取っていると、隣の若い2人連れの女性の話声が聞こえて来る。仲の良い友人の打ち解けた会話という感じだ。
 「わたし、5日に生まれたから、いつ子(逸都子?)っていうのんよ」
 「ああ、そうなんやあ」
 「そやから、人が誕生日よう覚えてくれはるわ」
 手振り、身振りを加えて、明るい声で笑う。脚を組んだり、指で髪に触ったりのしぐさが優雅な2人であった。
 元もとの大阪人の女性のことばが、聞いているととても心地持ちいいことがある。敬語や人称や言い回しが豊富で、ニュアンスに富んでいて、逆に標準語の底の浅さを感じてしまう。男のことばの方は、仕事で切り結ぶことが多いので、そんな感じになることはない。というか、こっちとしてはどうでもいいからか。
 京都に1年、大阪に3年住んでいたので、関西弁は慣れているが、こちらに来ると、一時的に大気圏突入の抵抗感を感じる。しばらくすると、意識しなくなり、下手な大阪弁で喋りたいという下心に駆られる。
 谷崎潤一郎は、この関西の女性のことばにまことに敏感で、東京から関西に移り住み、松子夫人のうつくしい関西ことばの世界で日常を送った。昨夜は駅の書店で「細雪」を買ってホテルに入った。ベッドで読み始めたら、妹雪子の見合い相手の品定めの場面で、最初のページから、美しい大阪ことばの世界が立ち上がっていた。明治以後の小説家の中で、最も文学的な天才に恵まれていたのは、やはり谷崎であろうと思った。

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