A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

9月3日

2009年09月04日 | 越中八尾 おわら風の盆
9月3日
未明にホテルに戻ってきて、ベッドに潜り込む。朝9時と夜10時に職場から電話がかかって来るので、ちょっと寝たかとおもうと、それですぐに起こされる。メールを打ったり、風呂に入ったりしていると、またたく間にお昼になった。風の盆最終日は、夜7時スタートなので、まだ時間的には余裕がある。八尾だけに行って、富山に全く寄らないのも、気が引けるので、総曲輪へ行ってみる。去年の10月以来。Felicaの7階の紀伊国屋書店へ入り、荷物になるとは知りながら、去年出版された「おわらの恋風 胡弓の謎を追って」(横田庄一郎 朔北社)を買う。
著者は音楽評論をやっている人のようで、内容は胡弓の起源を探る話。胡弓は中国渡来の楽器と思われているが、どうもそれは正しくない。胡弓という名前は日本だけのもので、中国の二胡とは、構造も違うし、奏法も異なっている。中国では、胡琴と呼ばれている。いろいろな文献検索の結果(途中省略)、キリシタンが持ち込んだ「らへいか」(ポルトガル人宣教師が持ち込んだ擦弦楽器の総称)が、その後日本で三味線の形を取り入れ、独自の発展を遂げたというのが著者の主張するところ。キリスト教の禁制とともに西洋音楽の痕跡が表面上消えるが、その後西洋音楽の影響を底に残した近世邦楽が一斉に花開く。胡弓もそのひとつという解釈。最初3分の1は、おわら風の盆の胡弓の話で、松本勘助が明治期に胡弓をおわらに取り入れたという一般にいわれている見解と、江戸期にもおわらで胡弓が使われていたという相矛盾した記述が併記されている不思議にふれている。
夕方、八尾駅へたどり着くとポツポツ雨が降り始めた。天気予報は降水確率80%である。雨が振ることは仕方ないこととして、問題はいつ止むかだと踏んだ。ところが十三石橋を渡らぬうちに、雨は止み、そして結局のところ、その後降ることなく、風の盆は予定どおり進行したのである。天気予報はこの3日すべてはずれた。去年の最終日のようなことにならなくてよかった。
明日香の前まで来ると、店内はいっぱいで、おわらwatcherのみなさんが店の前のベンチにお揃いであった。そのうち大西明さんが出てきて、三味線のこと、胡弓のこと、唄のうまい、へた、のど自慢の審査のことなどたのしいお話をしてくださった。半分はよく分からないが、興味深い話であった。明日香はいっぱいのようなので、きれいになった浜寿司へ行き、夕食。
沢田カメラへ行き、沢田明87歳のおわら唄い弾きCDを欲しいと言うと、娘さん(?)が、えっと驚いた様子で、「聞いてみなくていいですか」と言うのである。隣にいた沢田明さんご本人は「これはいいですよ。あたしがやってるんです」ときっぱりおっしゃる。本人がそう言うのだから間違いない。娘さん(?)もきれいな方で、「モモちゃんのお宅ですよね」「今年が最後なんです。お知り合いですか?見てやってください」「・・・知り合いではないんですが、毎年見させてもらっていたので、残念ですね。カメラ屋さんは長いことやってらっしゃったんですか?」「いえ、もうねえ、フィルムもカメラも売れないですから、開けてないようなもんで」と娘さんが言う横で、沢田明さんが「いや、開けてる」とおっしゃるのである。
そのままおたや階段へ行くと、鏡町の演舞が近いのにあまり込んでいない。中段くらいのところに陣取って、余裕で見られた。女性の衣装は、お馴染みの、白の地に紫の雲の裾模様。黒帯に赤の帯留め。モモちゃんの踊りはは、ゆったりとした正確な所作で、指先、所作の移動まで神経が行き届いていて美しい。
いつも見逃す東新町、西新町を見る。正式行事が終わり、曳山会館のベンチで横になっていると、半袖で肌寒い。深夜は、1時半頃、上新町でスタートし、鏡町へスイッチ。モモちゃんはすでに、雲の柄の揃いの浴衣から、バラ柄の浴衣へ着替えていた。諏訪町通りを少し下りて、坂上の諏訪町へスイッチ。しばらく諏訪町を下り、さらに鏡町へ戻った。
長谷川さんや、町外から参加している長身の奏者の胡弓を存分に聴く。胡弓の擦弦音の滑らかな繋がりが風の擬音にふさわしく、風の盆という名称が、胡弓の音色から来ていることが分かる。おわらは、唄と三味線だけでも成り立つだろうが、風の盆は胡弓がなければ成立しないだろうと思われるのは、たぶんこのせいだ。
鏡町の広場で「浮いたかひょうたん」になり終了。すぐに上新町に取って返すと、一行は公民館上まで戻っていた。正面から、がんがんフラッシュを炊く、ハイアマチュアっぽいカメラマンがいて、傍らの女性とふたりで、八尾ではフラッシュ禁止なんですよと注意するのに、よけいいきりたって「町によって違う」と言い立て、制止を全く効かない。後味の悪さを残した。
公民館前で終了し、一休みした後、今年最後のおわら。空はすっかり開けて来て、5時半頃本当に終了。
ガイさんに「また来年」と別れの挨拶をして、一気に坂を下った。各町内では後片付けが始まっている所もちらほら。八尾駅に着いた時には、始発の一番列車は出た後で、見送りおわらも終わっていた。男女の踊り手がまだ残っていて、輪になって、今年卒業する仲間をねぎらっていた。富山行きの列車は、通勤の勤め人や学生が半分で、もう日常を取り戻しかけていた。
ホテルで荷造りをして、帰りのはくたかに乗った。帰り道は暴睡のため何も覚えていない。そのためテレポートしたように、あっというまに帰り着いたのであった。
八尾のみなさま、今年も「おわら 風の盆」ありがとうございました。すばらしかったです。明日香のみなさま、お疲れのところ、ありがとうございました。たのしかったです。もっと話したかった。
今年の3日間の人出20万人。