A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

分子人類学についてお勉強

2007年10月26日 | その日その日
「日本人になった先祖たち DNAから解明するその多元的構造」(篠田謙一 NHK BOOKS)を読む。おもしろい本なのに、題名がよくないと思う。
 
 十年位前に「ミトコンドリア・イブ説」というのが言われて、これは学問なのかSFなのかと思っていたら、立派に分子人類学という学問になっていた。
 ミトコンドリアDNAは、受精の際に、性別に関係なく、母のものがそのまま子に伝わり、父のものは関与しないので、もし突然変異がなければ、ずっと母から子へ同じものが伝わって行く。実際には、ある一定の確率で突然変異が起こり、変化して行くので、その違いを系譜をたどって行くと、分岐した年代を計算することができる。
 それによると、人類のすべての先祖は、10~20万年前の東アフリカの一人の女性に行き当たる。それをミトコンドリア・イブと呼んだのであった。
 分子人類学では、人類の、あるひとつのグループだけが、7~8万年前に出アフリカを果たし、アジア、ヨーロッパへ広がって行ったというのが定説らしい。その時のグループは、150人くらいの少人数であったとも推定されていて、しかも繰り返し、出アフリカを行ったのではなくて、せいぜい数回以内で成功させたというのである。
 インドと東アジアの間に大きな断層があるが、基本的に日本人のハログループの分布は、東アジア、東北アジアのグループに含まれている。特別なところはない。
 ミトコンドリアDNAによる人類史の解析には弱点があって、母方の系譜しかたどれないということと、本来エネルギー産生のためATPを作り、熱を発生させる器官でしかないので、形質の発現には関与しておらず、人類の形質の違いにからめて比較検討することができないということだ。
 一方核内のY染色体DNAは、父親の塩基配列のみを伝えて行くので、父系の系譜をたどることができる。それによると、人類の父親は7万8千年前に東アフリカに住んでいた一人の男性に行き着く。ミトコンドリア・イブと同時代である必要はない。
 このあたりが広く解析されると、人類の起源、移動の歴史が分かるわけである。しかしながら、核内Y染色体遺伝子は、ミトコンドリアDNAに比べて、塩基配列の数も3000倍と桁外れに多いのと、旧石器人のような古い骨にはほとんど残っていないので、それらが解析を困難なものにしている。
 日本人のミトコンドリアDNAが東アジア一帯とほとんど違いがないのに対して、Y染色体DNAは、2つのハログループにおいてはっきり違いが出て来ている。ミトコンドリアDNAのハログループが旧石器時代からの母の系譜を伝えているのに対して、Y染色体DNAのハログループの違いは、歴史時代に入っての、大陸における歴史的民族的な興亡、父の系譜の変化を伝えていると推定されている。このあたりが今後の研究成果が期待される点か。