徳光和夫があさ5時から元気に生放送~
07:00~◇「徳さんの千客万来」ゲスト:湯川れい子さん(音楽評論家、作詞家、DJ
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湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年1月22日[2] - 86歳)は、日本の音楽評論家・作詞家・翻訳家・USEN放送番組審議会委員長。
本名・湯野川和子(ゆのかわ かずこ)[3]が田村駿禮(たむら たかのり)と結婚して田村和子に成る。のちに離婚したが、本名はそのままにしている。
吾妻麗子名義で女優として活動したこともある[4]。東京都目黒区生まれ・山形県米沢市育ち。東京都世田谷区在住。
東京府青山師範学校附属国民学校(現・東京学芸大学附属世田谷小学校)在学中(1944年4月12日)に父が肺炎のため死去。
疎開先・山形県米沢市にて1944年6月から1947年3月まで過ごして東京に戻り、鷗友学園を卒業する。
高校時代から現代俳優協会の研究生となり、1953年には日本青年館で舞台『未亡人』に出演し、女優としてデビュー[7]。
また山本薩夫監督『太陽のない街』に「夫人部員」の端役として出演した他[7]、今井正監督『ここに泉あり』に女教師役で出演[8]。日活配給のB級映画『天下の若君漫遊記』にも端役で出演した[9]。
芸能プロダクション「土曜会」に所属し、有島一郎の髷物コメディ『ありちゃんのおかっぱ侍』というテレビ番組に「芸者・駒子」役で短期間レギュラー出演した他[10]、芸人として米軍基地を慰問していたこともある[11]。
芸能活動のかたわら、当時恋人だった大学生の影響で有楽町のジャズ喫茶「コンボ」に通い、ジャズに親しむ[12]。
1959年秋、湯川れい子名義(当時の肩書きは「CMタレント」)[13]による『スイングジャーナル』誌への投稿が大きな反響を呼んだことがきっかけで[14]同誌編集部員の岩浪洋三から声がかかり、インタビュアーならびにジャズ評論家として1960年に同誌にて執筆開始。
その後ラジオのDJやワイドショーのコメンテーターなどでメディアに自ら出演。
作詞、翻訳、ノンフィクション作家など活躍の場を広げる。日本作詩家協会会長、日本音楽著作権協会(JASRAC)理事、日本大衆音楽文化協会理事も務める。日本ペンクラブ会員。
ー略ー
1966年6月29日(水)にビートルズが訪日した際に湯川は「『ビートルズが欲しがっている』という警備腕章をビートルズに届ける」という名目でビートルズが泊まっている東京ヒルトンホテル客室10階に7月2日(土)夜に行きビートルズに面会するがジョン・レノンは無視。
1966年6月29日(水)にビートルズが訪日した際に湯川は「『ビートルズが欲しがっている』という警備腕章をビートルズに届ける」という名目でビートルズが泊まっている東京ヒルトンホテル客室10階に7月2日(土)夜に行きビートルズに面会するがジョン・レノンは無視。
ビートルズ解散後に湯川はジョンにインタビューした際に「あの時なぜ私を無視したんですか?」と質問するとジョンは「あの頃、僕らのホテルにまで入って来られるのは権力者かコネのある売名目的のつまらない連中ばかりで、俺らはそういう連中にウンザリしていて君もそういう人間なんじゃないかと疑ってしまったんだ」と回答[16]。
エルヴィス・プレスリーの熱烈なファンでありライナーノーツを数多く書いている。ラジオのDJ歴は数十年である。ラジオ日本の「アメリカン・トップ40」でのDJは特に有名。
ー略ー
鳩山幸・細川佳代子・下村満子と共にコーラスグループ「スワンシスターズ」を結成し音楽活動を行っている。
鳩山幸・細川佳代子・下村満子と共にコーラスグループ「スワンシスターズ」を結成し音楽活動を行っている。
また、亀渕友香をコーチとしたゴスペルグループ「東京女声合唱団」を結成。常に40名ほどのメンバーとボランティアに近い演奏活動をしている。
原発問題・放射能問題についての団体「オペレーション・コドモタチ」の賛同者でもある[24]。
「14世ダライ・ラマ法王と中国政府首脳との直接対話を求める声明文」に賛同者として名を連ねている[25]
ー略ー
〇21歳の時に腹膜炎を発症した際、C型肝炎ウイルスを持つ血液を輸血されてC型肝炎に感染し、完治まで60年間ほどかかっている。
〇反核運動[編集]
日本文化人の中でも盛んに社会活動を行う人物の一人。
政治的問題に踏み込むことも珍しくない。
女優時代、18歳の時に受けたインタビューで既に「どうか原水爆禁止運動を推し進めてください」と語っている[26]。
1980年代中期には芥川也寸志が会長をつとめる「反核・日本の音楽家たち」という会に所属[26]。
環境問題や反戦平和運動などボランティア活動も積極的に行っている。
このため、社会民主党から東京都知事選挙への出馬を要請されたことがあるが、辞退をしている。
1996年には内閣府の原子力政策円卓会議の構成員として原発に反対意見を述べる[27]。
1999年、東海村JCO臨界事故の発生時には原子力長期計画策定会議に在籍し、やはり原発に反対している[27]。
「原発ゼロをめざす7.2緊急行動」(2011年7月2日東京。福島第一原発事故関連。他に市原悦子・根岸季衣などが参加)にも呼びかけ人として加わった[28]
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東日本地域の原発と火力発電サイト例:
〇品証,弧状列島19/8,避難民を受け入れていた女川原子力発電所,地球史教訓を生かす原発建設仕様
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/a08a0e7c2ee65e024562d886f8519b51
〇品証,弧状列島19/8,避難民を受け入れていた女川原子力発電所,地球史教訓を生かす原発建設仕様
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/a08a0e7c2ee65e024562d886f8519b51
〇品質保証,弧状列島,15/2耐災害強化,新潟火力発電所,女川原子力発電所
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/8517f98c67854ef8ca41555c195996ad
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〇九条の会[編集]
「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人[30]、「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている[31]。
九条の会(きゅうじょうのかい、英: Article 9 Association)とは、日本が戦争を永久に放棄し戦力を保持しないと定めた第9条を含む日本国憲法の改定阻止を目的として作家9人により結成された社会運動団体である
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「憲法9条を守れ」と叫ぶ人たちが見て見ぬふりする「最大の矛盾点」/2018.02.09/長谷川 幸洋
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/38ebf156bfa278fd50717aba2a33224d
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/38ebf156bfa278fd50717aba2a33224d
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〇意見広告7人の会[編集]
北朝鮮による日本人拉致問題解決を求める意見広告をニューヨーク・タイムズに掲載する運動を行なった「意見広告7人の会」呼びかけ人に名を連ねる(残りの6人は有田芳生、勝谷誠彦、加藤哲郎、重村智計、高世仁、日垣隆)
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〇パーソナリティ:徳光和夫
〇パーソナリティ:徳光和夫
<徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年(昭和16年)3月3日〈戸籍上は3月10日〉 - 81歳)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者。元日本テレビエグゼクティブアナウンサー。本名:德光 和夫(読み同じ)
入院生活
2001年6月=60歳に、急性心筋梗塞を患い緊急入院したが、同月末に現場復帰。
息子・正行の著書によれば、年齢不相応の不摂生が原因であるという。
<徳光和夫「心筋梗塞になる前は、たばこ1日100本以上吸っていた」2018/03/22長谷川拓美
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/c6a8d6489ae56d654dc807f43b6e95ff
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/c6a8d6489ae56d654dc807f43b6e95ff
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「健康に気を遣うということが、既に不健康である」というのが自身のモットーであったが、後にこの認識は改めざるを得なかったと後に語っている。
この経験により、2008年からはアステラス製薬が展開する、コレステロール適正管理キャンペーンに起用され、CMなどで日常での健康管理の重要性を呼びかけた。
なお、2001年の『24時間テレビ24』の総合司会は、最初と最後を除き、みのもんたが代行をした。
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〇アシスタント:石川みゆき
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石川 みゆき(いしかわ みゆき、1960年6月16日[1] -62歳 )は、フリーアナウンサー。現姓:石井。
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〇ゲスト:湯川れい子
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