歴史民族資料館に長宗我部元親の像ができました。 2015-06-13 19:00:32 | 蛙をたべる 歴史民族資料館に長宗我部元親の像ができました。 長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名である。長宗我部氏第21代当主。位階は従五位下で死後に正五位[3]、昭和3年(1928年)には正三位が贈られた。 長宗我部国親の長男で、母は美濃斎藤氏の娘。正室は石谷光政の娘で斎藤利三の異父妹。 土佐国の守護職を兼ねる細川京兆家当主で管領の細川晴元より、京兆家の通字である「元」の一字を受けたため、かつて同じく細川氏より「元」の字を受けた15代当主(長宗我部元親 (南北朝時代))と同名を名乗ることとなった。 土佐の国人から戦国大名に成長し、阿波・讃岐の三好氏、伊予の西園寺氏・河野氏らと戦い四国の覇者となる。しかし、その後織田信長の手が差し迫り、信長の後継となった豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知となった。豊臣政権時戸次川の戦いで最愛の息子・信親を亡くすと性格は荒れ、家中を混乱させたままこの世を去った
高知市 桂浜の竜馬館を見てきました。NO3暗殺現場 2015-04-18 06:58:35 | 蛙をたべる 高知市 桂浜の竜馬館を見てきました。NO3 暗殺現場にあった 血がついた屏風です。左下部分ですが、写真にはうつりませんでした。
坂本竜馬のふるさと才谷屋です。 2015-03-29 08:59:17 | 蛙をたべる 坂本竜馬のふるさと才谷屋です。 3回にわたり写真を掲載したいと思います。 高知自動車道高架下を通り、才谷の集落を抜け龍馬公園を目指していくと其の奥に鎮座しています。才谷龍馬公園の木戸を潜り自然堂前を通り過ぎると、坂本龍馬先塋(せんえい)の地の案内があります。更に突き当たり左奥に神社の参道があり、台輪鳥居が立っています。境内には石祠の社殿が建立されており、その奥に坂本家二代・彦三郎と三代・太郎左衛門の墓がひっそりと立っています。
庭の花が咲きました、貝母ゆり、バイモユリ 2015-03-21 18:15:57 | 蛙をたべる 庭の花が咲きました、梅母ゆり、バイモユリ 茎高50cm程度、葉は三〜五輪生し線状披針形で無柄。上部では互生し、先端が反巻する。花期は早春で、茎頂に2つほどの花を下向きに咲かせる。花被片は淡緑色で6個ある。花径約3cmで鐘状花であり、内側に黒紫色の網目状斑紋を持つ。そのため編笠百合の名がある。地下に鱗茎を持ち、梅雨頃から休眠する。鱗茎は二枚の厚い貝状の鱗片が相対しており、貝母の名のもととなっている
庭のカワズ桜が咲きだしました。 2015-02-27 17:39:19 | 蛙をたべる 5年前に買って鉢植えに植えて いましたが、3-4年前から毎年咲いてくれます、 カワヅザクラ(河津桜)は、日本にあるサクラの一種である。オオシマザクラ (Cerasus speciosa (Koidz.) H.Ohba, 1992 ) とカンヒザクラ (Cerasus campanulata (Maxim.) A.N. Vassiljeva, 1957 )の自然交雑種であると推定されている。 カワヅザクラの学名は Cerasus lannesiana Carrière, 1872 ‘Kawazu-zakura’