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タイの生活と日本の生活

タイの蝶の写真と、タイの風俗習慣生活等を紹介できれば、と思っています。日本ではタイの雑貨等を輸入販売しています

高知の春野町 吉良神社 7人みさき

2016-02-20 17:22:07 | パタヤビーチ
七人みさき
 
 今ではもう「七人〔しちにん〕みさきのたたり」などと言う人はいないでしょうが、今のお年寄りが子どもだった頃には、きのうまで元気であった人が急に寝ついたりすると、「七人みさきにおうたからだ」などとよく言ったものです。
 七人の怨霊〔おんりょう〕‐実際は八人になりますが‐悲惨〔ひさん〕な最期を遂げた吉良親実〔きらちかざね〕以下の人びとの怨霊がいつも空をさまよっており、それに行きおうた人は大病になるというわけで、人びとはこの目に見えない魔ものを大変恐れたものです。
 親実が長宗我部元親〔ちょうそかべもとちか〕の怒りを受けて、小高坂〔こだかさ〕で切腹したのは天正十六年十月四日のことです。腹真一文字にかき切り腸をつかみ出すところを、検使〔けんし〕の宿毛甚左衛門〔すくもじんざえもん〕が大刀を振りおろしたわけです。
 この夜は、親実は小高坂の下村某の家で碁〔ご〕を打っていたのですが、元親の使いという二人の者が現われ、「元親の命である。」と言って切腹を申しわたしました。親実は打ちかけの一局を収め、沐浴〔もくよく〕して体を清め、静かに半膳の食事をしたためました。そうして左右の者に言いました。
「自分は秦〔はた〕家





















タイ バンコックの見本市より。

2016-01-23 17:33:33 | パタヤビーチ
タイ バンコックの見本市より。
タイの見本市は毎年何回か開かれます、東京のビッグサイトより大きく、
一日では見れないぐらい商品が豊富です、日本との違うところは、
バンコックの主要ホテルから、毎日シャトルバスがでて、おくりむかえしてくれます。
会場では、ATM専用バスも出て、お金の引き出しにも便利です。世界中からバイヤー
が着ています、言葉はタイ語と英語が通じます、










飛行機雲

2015-12-11 08:47:23 | パタヤビーチ
飛行機
飛行機雲は、主に次の2つの原因によって生ずる。

エンジン排気中の水蒸気が主因であるもの
翼付近の低圧部に起因するもの
2.よりも1.によって生成された雲の方が長く安定して残る傾向にある。これは、1.では大気中の水蒸気量そのものが増加するためである。

また、飛行機雲は地上からでも自機が発見される目印となるため、軍用機(特に機動力の劣る輸送機や爆撃機など)にとっては(レーダー対抗技術が発達したとはいえども)脅威といえる存在である。このため、いかに飛行機雲を少なくするかについては発生原因とともに研究が続けられている。その成果として、アメリカ空軍のB-2には、塩化フッ化スルホン酸を排気に混ぜ、飛行機雲の発生を抑える機能が備わっている。






クリスマスケーキとおせち料理が町に氾濫

2015-12-08 16:01:34 | パタヤビーチ
クリスマスケーキとおせち料理が町に氾濫
各コンビニはもちろん。ドラッグストア、寿司屋、家具や、弁当屋とか
ありとあらゆるところが、予約を取っています、、
迷惑するのは、町のケーキ屋さんとか、仕出し屋さんです、これからの商売
たいへんだということがわかります、






馬運車を見つけた、

2015-12-07 14:59:10 | パタヤビーチ
馬運車を見つけた
走馬用馬運車の一般的な構造としては運転席、厩務員スペース、競走馬スペースの3箇所に区切られている。一般的に競走馬は1台で1~6頭を乗車させる。トラックベースとバスベースがあり、車体後部には馬が乗り降りするためのゲートが取り付けられている。サスペンションは空気バネで、競走馬スペースは厩舎と同じ様に側部の高い位置に明り取り用の窓があるほか、馬に余計な負担をかけないように冷暖房が装備されている。車体前後には「競走馬輸送中」「競技馬輸送中」の表示がされる。








萩市椿東の赤童子立像 重要文化財です、

2015-11-29 15:02:48 | パタヤビーチ
くぞう   あかどうじりゅうぞう
木造 赤童子立像
指定年月日 : 明治35年7月31日
所有者 : 宗教法人 大照院
所在地 : 萩市大字椿
員数 : 1躰
 赤童子像は他にほとんど類例がなく、奈良県大和郡山市の植槻神社に赤童子の絵画(室町時代)があるくらいである。
 本像は像高61.2cm、ヒノキ材寄木造り、極彩色、玉眼に水晶入りの像で鎌倉時代の作である。この像で特筆すべきことは、中国の宋朝様式が混入していることである。上衣の肩の曲線文の飾り、両襟の渦巻形円文などは宋朝様式の影響を示すものである。また頭上の鋼製の宝冠は長い年月の間に失われて、現存するものが少なく、製作当初のものが残っているのは珍重すべきことである。
 躰は唐服をまとい、上腹部に帯をしている。左右に束ねた髪や袖口の反り、裳の上腹部あたりの厚ぼったい感じは鎌倉末期ごろの作といえる。