僕は、壱岐市郷ノ浦町鳥帽子崎にいる。
海はとても美しい。
ここの海岸は砂浜ではないが、海の透明度は高く沖に向かい淡いブルーからマリンブルーのグラデーションとなる。
水平線上に、広い幅でうっすらと陸地が見える。
対馬島である。
対馬島は、対馬海峡上に壱岐島から北西に約64kmのところにある。
僕たちの遠い祖先である古代人たちは、朝鮮半島から対馬島、対馬島から壱岐島、そして九州へと島影を追って移動して来たに違いない。
(対馬島の島影)

博多からのジェットファイルで壱岐島に来ている。
福岡市の博多港から島の南西部の郷ノ浦港まで約67km、1時間程度の船旅だった。
壱岐島には一泊の予定だ。
1日目に島内を車で移動した。
郷ノ浦町に泊まり、
いつものように早起きして夜明け前から街を散策した。
人通りは殆ど無い。
途中で散歩を楽しむ地元の人と出会う。
挨拶をいただき、とても嬉しかった。
(2010.07.26 長崎県壱岐市郷ノ浦町にて)
海はとても美しい。
ここの海岸は砂浜ではないが、海の透明度は高く沖に向かい淡いブルーからマリンブルーのグラデーションとなる。
水平線上に、広い幅でうっすらと陸地が見える。
対馬島である。
対馬島は、対馬海峡上に壱岐島から北西に約64kmのところにある。
僕たちの遠い祖先である古代人たちは、朝鮮半島から対馬島、対馬島から壱岐島、そして九州へと島影を追って移動して来たに違いない。
(対馬島の島影)

博多からのジェットファイルで壱岐島に来ている。
福岡市の博多港から島の南西部の郷ノ浦港まで約67km、1時間程度の船旅だった。
壱岐島には一泊の予定だ。
1日目に島内を車で移動した。
郷ノ浦町に泊まり、
いつものように早起きして夜明け前から街を散策した。
人通りは殆ど無い。
途中で散歩を楽しむ地元の人と出会う。
挨拶をいただき、とても嬉しかった。
(2010.07.26 長崎県壱岐市郷ノ浦町にて)
万関橋からさらに国道382号線を北上し、小船越(こふなこし)に着く。
先ほど通ってきた大船越(おおふなこし)と対をなす地名である。
元々対馬には、東の海と西の海である浅茅湾(あそうわん)を結ぶ水路がないため、人々は陸路で船を運んでいたようです。
今からは想像もできませんが、
今と違い手漕ぎ船の時代なので、陸路で船を運ぶ方が南北に100Km程もある島を回っていくより、陸路で船を運ぶ方が労力も時間も少なくすんでいたからです。
この頃、大型船が陸路で越す場所を「大船越」、そして小型船が越す場所を「小船越」と名づけられ、今もその地名が残っています。
西暦1671年以前に、21代対馬藩主 宗義真公 が大船越を堀切り船の航行が出来るようにしてからは陸路は使われなくなりました。
これらの地名にも、人々の暮らしの歴史が刻まれていました。
僕は、小船越から国道を右折し、東方向の鴨居瀬(かもいせ)に向け沖島(美津島町)へと向かう。
沖島には、海に面し住吉神社があった。
この写真はそこから見た海と漁船である。
海は透明でとても美しい。
(沖島へ着くまでの行程)
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
(対馬への思い)
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 美津島町沖島にて)
先ほど通ってきた大船越(おおふなこし)と対をなす地名である。
元々対馬には、東の海と西の海である浅茅湾(あそうわん)を結ぶ水路がないため、人々は陸路で船を運んでいたようです。
今からは想像もできませんが、
今と違い手漕ぎ船の時代なので、陸路で船を運ぶ方が南北に100Km程もある島を回っていくより、陸路で船を運ぶ方が労力も時間も少なくすんでいたからです。
この頃、大型船が陸路で越す場所を「大船越」、そして小型船が越す場所を「小船越」と名づけられ、今もその地名が残っています。
西暦1671年以前に、21代対馬藩主 宗義真公 が大船越を堀切り船の航行が出来るようにしてからは陸路は使われなくなりました。
これらの地名にも、人々の暮らしの歴史が刻まれていました。
僕は、小船越から国道を右折し、東方向の鴨居瀬(かもいせ)に向け沖島(美津島町)へと向かう。
沖島には、海に面し住吉神社があった。
この写真はそこから見た海と漁船である。
海は透明でとても美しい。
(沖島へ着くまでの行程)
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
(対馬への思い)
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 美津島町沖島にて)
万関橋から東側の三浦湾(みうらわん)を望む。
万関瀬戸を通り三浦湾へと出て行く漁船が見えた。
(万関橋へ着くまでの行程)
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
(対馬への思い)
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
万関瀬戸を通り三浦湾へと出て行く漁船が見えた。
(万関橋へ着くまでの行程)
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
(対馬への思い)
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
万関橋から東側の三浦湾(みうらわん)を望む。
久須保漁港へ出入りする漁船が見える。
(万関橋へ着くまでの行程)
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
(対馬への思い)
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
久須保漁港へ出入りする漁船が見える。
(万関橋へ着くまでの行程)
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
(対馬への思い)
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
万関橋から東側の三浦湾(みうらわん)を望む。
久須保漁港へ出入りする漁船が見える。
(万関橋へ着くまでの行程)
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
(対馬への思い)
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
久須保漁港へ出入りする漁船が見える。
(万関橋へ着くまでの行程)
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
(対馬への思い)
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
万関橋から東側の三浦湾(みうらわん)を望む。
山の木々が少し紅葉していた。深い海色と木々の緑に映え美しい。
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
山の木々が少し紅葉していた。深い海色と木々の緑に映え美しい。
上坂から山道を下り厳原に着く。
そこから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋の上を歩く。
つい「対馬旅情」を口ずさみたくなる。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
35年ほど前、僕は厳原で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
再び会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
万関橋から東側の三浦湾(みうらわん)を望む。
山の木々が少し紅葉していた。深い海色と木々の緑に映え美しい。
上坂から厳原に向かう。
厳原から国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋を歩く。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
35年ほど前、僕は対馬で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
山の木々が少し紅葉していた。深い海色と木々の緑に映え美しい。
上坂から厳原に向かう。
厳原から国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋を歩く。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
35年ほど前、僕は対馬で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
万関橋から東側の三浦湾(みうらわん)を望む。
上坂から厳原に向かう。
厳原でから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋を歩く。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
35年ほど前、僕は対馬で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
上坂から厳原に向かう。
厳原でから国道382号線を北上し比田勝方向へと向かう。
鶏知、大船越を過ぎ万関橋で車を停めた。
新しくなっていた赤い橋を歩く。
橋の東側は三浦湾(みうらわん)。そこには漁港があり、西の浅茅湾(あそうわん)側には白嶽が見える。
35年ほど前、僕は対馬で車の免許を取得した。
自動車教習所では島の若者たちと仲良くなり、皆で初心者マークを付け島を南北にドライブした。
上坂では漁火を見たり、曲がりくねった道を比田勝近くまで泳ぎに行ったりと懐かしく楽しい記憶である。
島で活躍されているのだろうか?
会いたいものだ。
(2010.11.01 対馬島 万関橋にて)
早起きして、大船越漁港を散策する。
灯台に向かって防波堤の上を歩く。
その途中、海岸へ降りてみた。
砂利浜である。
浜から岸辺に切り立つ黒い岩が身近に見える。
水分で黒光りしている岩肌に草木の緑が映えて美しい。
気の遠くなるような時間の中で、1層また1層と堆積し、固まり岩となったものが隆起し、今僕の前にある。
どの海で、いずれの大河がこれらの堆積物を蓄えたのだろうか?
遠くの海では、定置網の作業が始まっていた。

(2010.07.15 対馬市 美津島町 大船越漁港の海岸にて)
灯台に向かって防波堤の上を歩く。
その途中、海岸へ降りてみた。
砂利浜である。
浜から岸辺に切り立つ黒い岩が身近に見える。
水分で黒光りしている岩肌に草木の緑が映えて美しい。
気の遠くなるような時間の中で、1層また1層と堆積し、固まり岩となったものが隆起し、今僕の前にある。
どの海で、いずれの大河がこれらの堆積物を蓄えたのだろうか?
遠くの海では、定置網の作業が始まっていた。

(2010.07.15 対馬市 美津島町 大船越漁港の海岸にて)
早起きして、大船越漁港を散策する。
灯台に向かって防波堤の上を歩く。
その途中、海岸へ降りてみた。
砂利浜である。
浜には、日本語、中国語、韓国語で書かれた漂流物がある。
これは、中国の漁具である。
アジアを身近に感じる。
(2010.07.15 対馬市 美津島町 大船越漁港の海岸にて)
灯台に向かって防波堤の上を歩く。
その途中、海岸へ降りてみた。
砂利浜である。
浜には、日本語、中国語、韓国語で書かれた漂流物がある。
これは、中国の漁具である。
アジアを身近に感じる。
(2010.07.15 対馬市 美津島町 大船越漁港の海岸にて)