名のもとに生きて

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気高い精神に敬意を表して、その生涯を追う

皇女マリアに憧れた ルイス・マウントバッテン

2015-09-12 20:51:43 | 人物
ロシア皇女マリアに憧れていたイギリス王族
ルイス・マウントバッテン卿



Louis Mountbatten
1st Earl of Mountbatten of Burma
1900~1979



ルイス・マウントバッテンは1900年6月25日にイギリスで生まれる。父はルイス・アレグザンダー・マウントバッテン(のちに初代ミルフォードヘイヴン公爵)、母はヴィクトリア女王の孫ヴィクトリアである。


ヴィクトリア女王女系の曾孫であるルイス。
母ヴィクトリアはヘッセン家出身、ヴィクトリアの母は、ヴィクトリア女王の娘アリス。
ヴィクトリア女王から出現した血友病保因子は娘アリスに受け継がれている。
アリスには4人の娘がおり、上からヴィクトリア、イレーネ、エリザベス、アリクスであるが、このうちイレーネとアリクスは男子に血友病が出ており、エリザベスは子供はなかった。
長女ヴィクトリアにおいては、その後の女系3代にわたって16人の男子に1人も血友病は出ていない。兄のジョージとルイスは血友病を免れたが、プロイセンの従兄のヴァルデマールとロシアの従弟のアレクセイは血友病だった。

ルイスの母ヴィクトリア
マリアの母であるロシア皇后アレクサンドラはルイスの母の妹にあたる
ルイスとマリアは母方の従姉弟


皇帝一家の別荘にて
左から ルイス、タチアナ、マリア、アナスタシア


ルイスとアレクセイ

ロシア皇女のオリガ、アナスタシア、ロシア皇太子アレクセイ、ヘッセン大公世子ゲオルク=ドナトゥス、ヘッセン大公子ルートヴィヒ、ギリシャ王女マルガリタ、セオドラ、イギリス王子ルイス
後方中央に皇女マリア、後方左はアレクセイのお付きの水兵デレヴェンコ


ニコライ皇帝、叔父ヘッセン大公エルンスト(ルイスの母の弟)、従兄ヴァルデマール、従兄ジギスムント(ルイスの母の妹イレーネの子)、座っているのがルイス


王室の従兄弟姉妹たちは皆、バカンスの遊び友達であった。ヘッセン家やデンマーク王室の子供達はもちろん、ロマノフ家の皇女たちとも親しく過ごした。そうしているうちに、ルイスはロマノフ家の三女マリアに一途な恋心を抱くようになった。

マリアは1899年6月26日生まれ。ルイスよりほとんど1才の年上である。








当時のルイスのマリアへの想いが綴られている。

“I was mad about her,
and determinated to marry her.
You could not imagine anyone more
beautiful than she was.
She was far more beautiful than
her photographs.
She was absolutely lovely.
When I was 18 she was killed
at the age of 19.
All my life, I never forgot her.”




まだ10代の少年の真っ直ぐな恋心。
飽かず眺めたであろう写真よりも、本当の彼女はずっと美しいのだと力説する。
彼を夢中にさせたマリアがどのような女性であったか、から記したい。


皇女マリアはロシアのニコライ皇帝の三女である。ニコライの子女は、

長女オリガ 1895年生
二女タチアナ1897年生
三女マリア 1899年生
四女アナスタシア 1901年生
皇太子アレクセイ 1904年生

左からマリア、タチアナ、アナスタシア、オリガ、アレクセイ





オリガ
穏やか、素朴、優しい性格。思慮深い。
家事は嫌い。
適齢期を迎え、縁談も持ち上がっていた。
ルーマニア王太子カロル、イギリス王太子エドワード、、。国内でも皇帝の推すドミトリー大公のほか、コンスタンティン・コンスタンティノヴィチ大公の三男コンスタンティン公はオリガに憧れていた。

タチアナ
長身で、皇室らしい高貴な顔立ちで美女の誉れが高かった。そのゆえか取り付きにくい様相もある。母皇后と通じるところがあり、姉妹の取りまとめ役であった。器用で家事もよくこなし、病臥中のアレクセイの世話もした。
セルヴィア王は王太子アレクサンダルとの縁談を望んでいたという。

アナスタシア
姉3人と比べると器量は劣るが、強烈な個性で人々を虜にした。頭の中は悪戯のプランでいっぱい、足を掛けて転ばせたり、とんでもないことを言ったりするため、時に人を不愉快にさせることもあり、ともに遊んだことのある身内の子供達は蹴ったり引っ掻いたりする彼女を意地悪だったと追想している。
物真似上手な道化者、木登り好きなお転婆娘は、同じく悪戯者の弟アレクセイを楽しませるのが誰よりもうまかった。

マリア
穏やかで優しく、5人の真ん中として目立たない存在であったが、温かみのある美しさでは際立っていた。姉2人にいいように使われることもあり、耐えかねて激しく抗議することもあった。勉学には興味がなく、結婚や家庭を夢見る。幼い頃からロシアの兵士と結婚したいと言い、こどもがたくさん欲しいとも。
結婚に憧れる10代少女は夢見がちで、少々怠け者でもあった。


マリアは左利きだったと言われています
この写真では左手で絵を描いているようです


1910年にマリアは片思いで悩み、母に心配をかけている。オリガと破談になったカロル王太子が、のちにマリアとの結婚を望んできたが若すぎるとしてニコライが断った。
戦時中、父や弟をモギリョフへ訪ねた時、その地で出会ったデメンコフ将校に恋し、その後幾度かお茶会で会ったり、電話で話したり、シャツを縫ってプレセントしたり、父への手紙に「デメンコフ夫人より」などとふざけて書いたり、まさに恋に生きようとする愛らしい女性であった。


マリアが恋したデメンコフ

思春期に入ってからは太り始め、本人も母親も心配していた。そのためか、大人の男性も持ち上げられるほど力持ちだったので、病気のアレクセイに度々「僕を運んで」と呼ばれた。
マリアは美しい水色の大きな眼が特長で、家族に「マリアのソーサー」と呼ばれていた。
最後の幽閉先イパチェフ館においても、マリアは警護兵と親しく話した。タチアナも会話に加わることがあった。仲良くなった警護兵はマリアの誕生日にこっそりケーキを持ち込んで、隠れて二人で祝っていたところを見つかり、警護兵は追い出され、マリアは、兵士らと距離を置こうとする母やオリガにひどく叱られ、軽蔑されたというエピソードが伝わっている。


ルイスの夢中になったマリアは、どうやら別の方向へ恋心を向けていたようだ。
しかし、少年の日の憧れの気持ちはその後も彼の心の奥で灯され続けるのである。




アナスタシアとマリア お転婆なアナスタシアが悪戯して誰かを困らせるとマリアが代わりに謝っていた



マリア、オルガ、ルイスの兄ゲオルク



病院へ戦争で負傷した兵への慰問に訪れたマリアとアナスタシア

姉妹の容貌は皆それぞれで似ていないがマリアと弟アレクセイは似ている。
アレクセイ誕生のとき口さがない貴族たちは、皇太子は当時のアレクサンドラの愛人(本当に愛人であったかは疑わしい)の子だと囁いていた。しかしアレクセイがマリアとこれだけ似ていれば根拠のない噂になり下がるはずである。


アレクセイ(上)とマリア(下)が似ている

ルイスの父ルートヴィヒ・フォン・バッテンベルクは、ヘッセン=ダルムシュタット大公家から貴賎結婚により分家した伯爵家。ルートヴィヒは14才からイギリス海軍に所属し、イギリスに帰化した。ヘッセン大公家のヴィクトリアと結婚し、2男2女に恵まれた。上から、アリス(ギリシャ王子アンドレオスと結婚、エリザベス2世王配フィリップの母)、ルイーズ(スウェーデン王グスタフ6世と結婚)、ジョージ、ルイス。
一番上のアリスとルイスは15歳離れている。

父母と姉アリス、姉ルイーズ、兄ゲオルク、母の膝にルイス







姪達と

姉アリスの夫アンドレオスとその娘マルガリタと

イギリス海軍学校へ 母と




ルイスは11歳から王立海軍学校へ。第一次大戦も経験している。
イギリス王太子エドワードと親しく、よく遊び、ハワイのワイキキビーチでサーフィンもした。

1922年7月18日、ルイスは裕福な貴族の女性エドヴィナ・アシュレイと結婚する。
奇しくも、マリアの命日7月17日から4年と1日が経過していた。

Davidこと王太子エドワードと











細身でハリウッド女優のように美しいエドヴィナ
1901~1960


エドヴィナはルイスの兄ゲオルクの妻ナデジタと度々一緒に旅行に出かけ、とても仲が良かったため、同性愛を疑われていた。ナデジタは他でも同性愛を疑われていた。また、インド総督夫人時代からネルーとも親しく、訪問を重ねていた。一方、ルイスの方にも一時期愛人がいたし、同性に関心を持っていたとも言われている。



第二次大戦が始まると、ルイスは海軍将校として再び戦場へ向かう。1942年のディエップ港奇襲作戦で大損害を被るが、その後、東南アジア地域連合軍(イギリス、アメリカ、中華民国、オランダ、オーストラリア)に転属し、日本軍とビルマで戦った。

日本は欲をかいて推し進めたインパール作戦で泥沼にはまり、自滅していく。また、日本一国で多国籍軍と対峙するために、防衛線が延び、維持できなくなっていた。1945年、日本の降伏にルイスも立ち会った。
その後、1947~1948年はインド総督となり、インドーパキスタン分離独立を導いた。
数々の輝かしい功績を持ち、数知れず受勲しているが、その紹介は割愛させていただく。
敵国であった日本を嫌い、遺言で自分の葬儀に日本からの参列は認めないこととした。





マウントバッテン夫妻とネルー


ルイスは子供の頃からDickeyと呼ばれ、David(王太子エドワード)の良き友であったばかりではなく、姉アリスの一人息子フィリップの育ての叔父でもあり(フィリップは家庭の事情で祖母ヴィクトリアに引き取られてルイスとともに育てられた)、チャールズにとっては祖父にかわる存在だった。



若いエリザベスとその妹マルガレーテを初めてフィリップに会わせたのはルイスであった。
Davidには、独身を謳歌して享楽的に生きることを勧める一方、のちに若い女性としっかりとした結婚生活を持つようにとアドバイスしたが、年上人妻とばかり交際するDavidは結局、年下だが2度の離婚歴のある平民女性との結婚を望み、一年足らずで王位から降りた。
孫のように慈しんだチャールズへは、自分の孫との縁談を持ちかけていた。相手が若いため、周到な段取りの計画を、チャールズとともに進めていて、1980年にチャールズとルイスはインドでお相手と会う計画をしていた。

しかし、それは結局破談になった。
1979年8月、ルイスはIRAによって爆殺された。家族とともに。

ルイスはアイルランド、ドネゴール湾の小さな古城でいつものように娘夫婦や孫たちとバカンスを過ごす。しかし、この年、IRAの動きは過激化し、北アイルランドに近いこの地は危険であると警告されていたが、ルイスは気に留めず、警護もほとんどつけず、家族たちと自分のボートで出かけようとした。

双子の孫ニコラスとティモシーを抱く


孫たちと過ごすルイス

9.1メートルの木製ボート。そのエンジンに、ラジオコントロールの爆弾23キロが仕込まれていたのである。
ボートが岸を離れてまもなくだった。
爆音とともに砕け散ったボート。
エンジンの真上で操縦していたルイスは両脚が吹き飛ばされた。近くで漁をしていたボートに引き上げられた時はまだ生きていたが、岸に着くまでに息がなくなった。
同乗していた人のうち、14歳の孫ニコラス(長女パトリシアの8人の子のうち一番下の双子の1人)、娘の夫の母ドリーン、双子の友だちでボートの漕ぎ手として同乗していた地元の15歳の少年が巻き添えで亡くなった。



“All my life,I never forgot her.”


その言葉通り、ルイスのベッド脇のテーブルには永年ずっと、彼のその死の日にも、
皇女マリアの写真が飾られていたという。










マウントバッテンの葬儀でのフィリップ

Mountbatten Death of a Royal(動画)



マリアの死からは61年。
マリアはロシアの帝政が滅びるのとともに命を断たれた。
イギリスの王政は今も存続している。
ルイスの生きた1918年以降の61年間、最後は海軍元帥となった立派な「兵士」であり、英国貴族としても王室に影響を与える人物であった。

家族とともに銃殺され、未来を閉ざされたマリアは、その遺体も硫酸をかけられ、切断され、火に焼かれている。そして土に埋められた。

ルイスも身はちぎれ、海に飛散した。

遠い地で、遠い時間を隔て、ともに暗殺によって一瞬で散っていったマリア、ルイス。
20世紀のロミオとジュリエット、というには淡い恋にすぎるかもしれない。





love of my life/Queen



これは犠牲となったニコラスの双子ティモシーの回想です。生死に引き裂かれた双子の悲しみが語られています⬇︎
My twin brother was dead(Daily Mail)


上記記事からの抜粋と訳です。


'I was utterly devastated. Nick was my soulmate. I didn't think I'd know how to lead my life without him.'

'Nick's heart started beating next to mine, three weeks after our conception, and we'd hardly been separated in the 14 years and nine months since our birth. Not to have that last goodbye was utterly wrong.

'I could imagine his presence on the landing above and I surprised myself by calling out his name.
'Then it was as if he'd come downstairs and sat on the sofa opposite me. I started to scratch out the words I wanted to say to him: "I love you, miss you. I'd choose to come back again as a twin, if I could have you again."
'And as I wrote, the tears convulsed me. At the end I had unlocked such a bucketful of deeply-held and pinned down inner grief that I knew this was a defining moment in my life.'

For Tim it marked the end of his mourning; the final lifting of an emotional burden. He has not spoken to his twin since - although he often speaks of him - and for him this is a happy conclusion: he has regained a degree of peace and finally said his proper goodbye to Nick.


「僕はひどくショックを受けた。ニックはぼくの心友だったのだ。彼なしで僕が生きていけるだなんて思えなかった。

受胎3週後からニックの心臓はぼくのとなりで動き始めた、そして生まれてから14年と9か月後、ぼくたちは引き離されてしまった。最後に別れの言葉が言えなかったことは非常によくないことだった。


(ティムはある日、人手に渡る前のあの城を一人で訪れた)

ぼくは彼の降臨を想像できた、そして自分でも驚いたことにぼくは彼の名を叫んでいた。

するとまるで彼が階段を下りてきて、ぼくの向かいのソファに腰掛けたかのようだった。ぼくは彼に言いたかった言葉を吐き出した。

『きみを愛している、きみがいなくて寂しいんだ。もう一度きみを取り戻せるなら、また双子としてやっていこうと思ってるんだ。』

涙が滝のように流れた。最後には、深く止め置かれた心の底のあふれるほどの悲しみは解放されて、これがぼくの人生にとっての決定的な瞬間だったことがわかった」

ティムにとってそれは彼の弔いの終わりを示した。感傷的な重荷の最終的な消失になった。彼はあれ以来その時まで、双子のかたわれに語りかけることはなかったが、今は語りかけている。いい結末となった。彼はある程度平和を取り戻し、ついにニックにきちんとした「さよなら」を言えたのだ。



画像、動画はお借りしました
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4 コメント

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素晴らしい!の一言に尽きます (静香)
2015-09-14 13:34:12
『皇太子アレクセイ/オフィシャルスタイル』『皇太子アレクセイ/デイリースタイル 』『皇女マリアに憧れた ルイス・マウントバッテン』の記事は何度も繰り返し、拝読させて頂きました。アレクセイの礼服、軍服などは初めて見る写真も多く、ここまで服飾や装飾について詳細に特集を組んで下さった記事は、日本ではかなり珍しいのではないのでしょうか。とても貴重だと思います。

geradeaus様のすべての記事に共通していることですが、簡明で流麗な文章が心地好くて大変読みやすいせいか、まるで上質なドキュメンタリーを見たかのような感動に包まれます。そしてgeradeaus様の博識さに、ただただ感嘆するばかり。このブログに巡り逢えて、心から良かったと思えます。丁寧に説明して下さるので、勉強になることが多くてありがたいです。

4人の皇女達のこともさっそく取り上げて下さり、本当にありがとうございました。嬉しさの余り、胸がいっぱいになりながらも一気に読んでしまいました(笑)どうか、これからも頑張ってください。長々と失礼しました。
静香様ありがとうございます (ブログ主より)
2015-09-14 20:23:18
読んでいただけるだけで感激ですのに、コメントもいただいて本当にありがとうございます。
たくさん褒めて下さって、一生のうちにこんなに褒められたことあったかな?どうもないような、、、? 今日は嬉しい日です!
静香さんは同じgooブログで俳句や絵を発表していらっしゃるでしょうか?
もしお人違いでなければ、私もぜひ拝読したく存じます。

予備知識もほとんどない中、ざっと知り得たことを勢いだけで文を書くような私の粗雑な記事は、言葉を磨き上げる俳句や詩歌の世界には及ばず、憧れる世界でもあります。言葉や文をていねいに使うように心がけようと思います。

皇女のことを今回書きましたが、ほんとにざっくりとしか書いていなくてごめんなさい。今回はマウントバッテン主役なので少ししか書いていませんでした。いつかアナスタシア伝説についてを書くことを構想しています。そのときにまたお読みいただけるなら幸いです。

コメントいただき本当にこころから感謝いたします。嬉しかったです!
ありがとうございました。
ありがとうございます (静香)
2015-09-15 23:24:38
昨日はコメントにお返事を頂いて、こちらこそありがとうございました。それにしても「ブログ主様」とお呼びすれば良かったですね。以前コメントをお返しして下さったときに記されていたアルファベットを、お名前だと早とちりしてしまいました。すみません

ところで私はアナスタシアがきっかけでロマノフ王朝に興味を持ったようなものなので、ブログ主様の「いつかアナスタシア伝説について書くことを構想している」とのコメントを読んだときには、思わず胸が高鳴ってしまったほど嬉しかったです。昔のヨーロッパの王室や世界史などは大好きなジャンルなので、本当に感激です。

それから、以前は他の所でブログを開設していたこともありましたが、残念ながらgooではブログを読ませて頂くのが専門な私です。とりわけgooのなかでも、やはりブログ主様の「名のもとに生きて」が一番のお気に入りです~これからも様々な記事、楽しみにしております。

季節の変わり目ですので、お身体ご自愛ください。
ご期待に添えますように (ブログ主より)
2015-09-16 00:11:33
まだまだ勉強不足で、アナスタシアの記事を書けるようになるまではずいぶん寄り道するかもしれませんが、ガッカリ、にならないよう、静香様の励ましを頼りに頑張ります!
どうぞお身体ご自愛の上、秋のさわやかな季節をお過ごし下さい。
ありがとうございました。

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