名のもとに生きて

人の一生はだれもが等しく一回かぎり。
先人の気高い精神に敬意を表して、その生涯を追う

理想と憧れのロープシャ宮殿

2016-06-09 00:07:43 | ブレイク
古く質素で気品漂う
ロマノフ家のロープシャ宮殿
過去と現在

Ropsha palace

私の個人的な趣味の話になりますが、上の1枚の写真を見たとき、すっかりこの空間の虜になってしまいました。もちろん、ここにいる人物、皇后アレクサンドラとその息子、まだ幼いアレクセイ皇太子、そしてアレクセイの世話係の水兵デレベンコ、この3人の醸し出す穏やかな一コマは、その後の彼らの非業な運命をおよそ想起させ得ない、美しさ或いは素朴な幸福を溢れさせています。その様子を映し出すのに完璧に呼応した見事な背景となる、高貴な館とそれに続く庭の品格は、豪華さを見せつける書割りのような、他のロマノフ家の宮殿と異なり、なんとも言えぬ落ち着きを感じさせてくれます。
この宮殿は現存しますが、すっかり廃墟と化しています。世界遺産の候補として、サンクトペテルブルク及びその近郊の歴史的建造物群の一つに入っている?ようですが、荒れるままにされていました。ようやく修復の予算がついたとかつかないとか。元の姿に戻れるのはいつになることか、まだまだ遠い未来の話かもしれません。



復元模型図

1.ピョートルによる教会堂 2.ピョートルによる木造宮殿 3.18世紀建立の施設 4.オベリスク(塔)5.18世紀の(製紙)工場 6.製粉小屋 7.18世紀の釣り池 8.lower park 9.upper park 10.戦車の記念碑 11.ロープシャの記念碑 12.18世紀の温室 13.売店 14.乗降場



庭に面した東側外観





ロープシャは、サンクトペテルブルクから南西へ49㎞、ペテルゴーフからは南へ20㎞に位置しています。
15世紀のノヴゴロド公国時代、Khrapshaの表記で記録があるそうです。
スウェーデンからこの地を奪還したピョートル大帝は、美しい泉に恵まれたこの地に木造の宮殿と教会を建て、夏の離宮として利用しましたが、のちにStrelnaに豪壮な宮殿を築いてからは、この地を訪れることはなくなり、宮殿は家臣の所蔵するものとなりました。

ピョートル時代建設の教会堂

近隣の池

オベリスク

cascade towel(小滝)

1910年 cascade towel

持ち主により修復改修がなされ、維持されてきた宮殿は、18世紀、女帝エリザヴェータの所有するものとなりました。女帝はBartolomeo Rastrelliに新しい宮殿のプランを依頼したが、着工はなりませんでした。
1762年、クーデターで退位させられたピョートル3世はここ、ロープシャに幽閉されたのち、殺害されました。このクーデターにより、女帝として君臨したエカテリーナは、ロープシャを愛人に譲渡しましたが、不吉な館であるとして、さらにアルメニア系の宝石商に売られます。

エカテリーナの死後を継いだパーヴェルはロープシャを買い戻し、Georg von Veldten設計のネオクラシック様式の宮殿と、それに続く英国式庭園を新設し、宮殿の改名も考え、お披露目のイベントを計画していましたが、1801年、またしてもクーデターによりパーヴェルは暗殺されました。
その後、この宮殿は代々の皇帝に受け継がれましたが、あまり利用されることはありませんでした。ただし、最後の皇帝ニコライ2世は、周囲の森での狩りと、鯉や鱒がたくさん棲む大きな池での釣りが楽しめるこの宮殿を比較的よく利用したようです。

来訪した皇族の方々と思われますが不鮮明なのでどなたかの判別がつきません

右から3人目 ニコライ2世

皇后と皇女 左からマリア、アナスタシア、皇后、オルガ

南側アルコーブに立つマリア、手前に皇后

アナスタシアと皇后、奥にニコライ

オルガ アルコーブにはソファが置かれている

ロープシャの池で楽しむニコライと子供達 左からマリア、アレクセイ、ニコライ


ニコライ2世の妹クセニア大公女は、父の従弟のアレクサンドル・ミハイロヴィチと結婚した際、この宮殿で新婚の日々を過ごしました。

クセニアと夫アレクサンドル・ミハイロヴィチ

ロープシャ宮殿内部のイメージ

革命をへて、ロシアからロマノフ家が消え、宮殿も戦乱に巻き込まれていきました。
主戦場になったレニングラード攻防の重要地点として、ロープシャはドイツ軍の砲撃隊の基地に使われ、ヒトラーの駐留地ともされていたと言われています。



しかし、独露の熾烈な攻防の爪痕は深く、宮殿の内部は無残に破壊され、その後の長い年月の間にも、徐々に崩れていきました。
崩壊は内部だけではなくなり、外観も崩れてゆき、とうとう昨年にはシンボルの列柱も崩折れてしまいました。

2012年 東側正面

2012年 西側





木部の天井も床も落ちて太陽の差し込む内部には草木が生えてゆく



ドア枠のアーチが奇跡的に往時の美しさを保っている

2015年 ファサードの要の列柱が崩れる


100年前、全ての窓に美しくカーテンが掛けられ、ロシアの皇室関係者を迎えたのを最後に、宮殿としての時間は止められ、戦争になぶられ、緩やかに死にゆく建築物。
修復が完成して甦った姿を見るもよし、森の中に静かに姿を消すにまかせるもよし、過去の時の流れはただ、池面に浮かぶ泡沫のように、しばし漂い、やがて見えなくなるでしょう。
絢爛豪華なペテルゴーフの宮殿の大噴水は、ロマノフ家の栄華の側面を、きらきらと象徴している一方で‥。


ニコライ2世ファミリーの写真アルバムより ロープシャ宮殿のページ







8 コメント

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遅くにこんばんはです。 (ふーちゃん)
2016-06-09 01:01:42
待ってました!

ロシアの宮殿はびっくりするくらいの時代から建てられたものを大切に使っている、という印象があります。

今も廃墟になりつつありながらも、現存しているということが奇跡のようにすごいことと思えます。
きっと宮殿は数々の悲喜こもごもを見てきたのでしょうね。
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Re:遅くにこんばんはです。 (geradeaus170718)
2016-06-09 10:27:14
仰るとおり、宮殿には、一般庶民とは別世界の悲喜があったのでしょうね。
観光客ひしめく表舞台のエカテリーナ宮殿、他方、エカテリーナ台頭のための暗殺があったこの宮殿の廃れ具合。
残るべきか、消えるべきか。

記事見てくださってありがとうございました!
またがんばります
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はじめまして (くま)
2016-06-09 20:18:28
ロシア・ロマノフ王朝のお話に惹かれ、辿り着いたのが、こちらのブログでした。
悲しいテーマも取り上げられているのですが、優しく包み込むようなステキな文章なので、読んだ後に不思議と元気をいただいております。
新しい記事がアップされているのを見つけたときは、嬉しさで飛び付くように拝読しているんですよ(^ν^)これだけ内容の濃い記事を書くためには、並々ならぬご苦労もあるかと思いますが、心から応援しております!!
これからも楽しみにしていますね☆
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Re:はじめまして (geradeaus170718)
2016-06-09 21:17:43
くまさんへ
はじめまして!
コメントありがとうございました。
応援いただき、とてもとても嬉しいです!
過去の人々が、当時の厳しい現実とどう向き合って生きたのか、ときには現実があまりにも残酷で、記事を読んでくださる方の気分を重くしてしまうかも、と心配していました。
くまさんのように、心を開いて最後まで読んでくださる方がいらっしゃることにホッとしました。
励みにして今後もぼちぼち書いていきます
これからもよろしくお願いします
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廃墟もまたそれなりに (あんず)
2016-06-10 00:33:55
はじめまして。

19世紀~20世紀初頭のロシアやロマノフ家に興味があるので、いつも記事の更新を楽しみにしています。

ロープシャ宮殿、気の毒なくらい荒れ果てていますね。でも廃墟は廃墟なりに風情があって私は好きだなあ。修復して欲しいような、して欲しくないような。複雑な気分です。

重箱のすみをつつくようで申し訳ないのですが、投稿ついでに書きますと「アメリカ系の宝石商」ではなく「アルメニア系の宝石商」ではないか、と。間違っていたらすみません!
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Re:廃墟もまたそれなりに (geradeaus170718)
2016-06-10 08:59:41
あんずさま
コメントいただきありがとうございます
まず、ご指摘の誤りについて、確認しました。訂正いたします。どうもありがとうございました。

ロープシャ宮殿は質素で、外観からはロマノフ家の栄華が感じられませんが、自然の風景に溶け込んでいて、皇帝も息が抜ける場所だったのではないでしょうか。
子供を水に入れているニコライの写真、“フツーのおとうさん”になっています。
ロマノフに詳しい方がお読みになると、きっと変なところがいっぱいあるかもしれませんが、お気付きのことがあればまたご一報くださいますよう、よろしくお願いいたします。
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こんにちは! (ハチミツ)
2016-06-13 14:06:52
liebさん
こちらでは初めてコメントさせていただきます。

ロープシャ宮殿の今に姿に衝撃を受けました。
美しく華やかであればある程、朽ちた時の哀れさが際立ちますね。
チェ・ゲバラの記事も拝読させていただきました。
彼の人生を教えていただきありがとうございます。なんて魅力的な人なんでしょう、涙が出てしまいました。
公私混同を厳しくいさめる姿、某知事とは人間の質が違うんですね。

因みに最初の奥さんは彼より年上だったのでしょうか。
引き際の見事さにそう感じました…。

本当にありがとうございます。
また楽しみにしています

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Re:こんにちは! (geradeaus170718)
2016-06-13 14:47:40
ハチミツさま(^O^)
来てくださいましたね!
ありがとうございます!

まず。さすがです。
最初の奥さんは3つ上。この方、離婚後はしっかり身を退きました。お子さん(長女)は新家庭に通わせていましたが、彼女自身が離婚後にゲバラと会って2人だけで会話したのは、長女がチフスだったかで高熱を出した時にゲバラが見舞いに来たそのときだけだったようです。使用人が、静かな調子の2人の短い会話のようすを耳にしていました。

「私たちの結婚がかれの生活を、さらにまた彼の最終の目的をも決定したのだという点からすれば、わたしにはそれは誇りでもありますし、また同時にそれは驚きでもあり、かつ苦しみでもあるのです。妻としてのわたしは、かれが自分の胸に描いていたことを明確に把握させるために貢献したと信じています‥」

妻が母以上にすごい。
最後、ボリビアに行くとき、母の石のキーホルダーと妻のくれた包帯をお守りのように身につけていたんですが、イルダからのものは何もない。
そういうところも超越していたんでしょうね。
女子係数低いどころか、最強クールな“漢”な女性です!

ハチミツさんのナイスなつっこみでオマケ記事みたいになりました。
長いのに読んでくださって、ありがとうございました
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