日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

「愚に暗く茨を掴む蛍かな」芭蕉 

2021年06月04日 07時32分56秒 | 政治
 表題の句は、延宝9年(天和元年)ころ、松尾芭蕉38歳の句とする。「愚に暗く」とは、自分自身のバカさ加減や愚かなことが分からないことをいう。まして暗夜の蛍狩りのこと、暗闇であってみれば視界はゼロ、まわりの様子が分かるわけもい。蛍を捕るつもりが傍らにあったバラの木をつかんでしまって痛い想いをしたのである。人間の愚かさを寓意した句。そういえば、巷では次のような暗愚な話題が評判を呼んでいるという。
 今日ただ今まで、「やるのか?、やめるのか?」が問われ続けていながら、主催国として確たる決心をしたようにもしないようにも見えないままに、東京オリ・パラ大会は文字通りなし崩しに外から動き出した。オーストラリアのソフトボール選手団が大挙して事前合宿の地=群馬県太田市にやってきてしまった。チームは、このままこで練習を続け開会2日直前の7月21日の対日本戦に備えるのだという。そう言えば、なし崩しにコトが始まったのは5月末に福島を出発した聖火リレーがそうだった。
 この「聖火」の明かりを揶揄したのであろう、フランスのクウォリティ紙「ル・モンド」が新型コロナ禍で開催が強行されようとしている東京五輪について、「五輪よりも命を救うべきで、日本人にとって五輪はろうそくほどの価値もない」と厳しく批判しているという。ろうそくと聖火をかけながら、東京五輪の〝火〟は国民の生命の前では取るに足らないものだという指摘のようだ。むべなるかなである。まさに、愚に暗く、日本国民はついに茨をつかんでしまったのであろう。
 今からちょうど80年前、時も同じ今頃、この国の指導者たちは、内政も外交も二進も三進もいかなくなって世界の孤児に追いやられ、あげくの果てが戦争へ戦争へと追い込まれていった。その年も今年と同じようにこの国で「オリンピック東京大会」が開かれるのだったが、かくかくしかじか「中止」となってしまったのである。
 「歴史はめぐる」のことわざどおり、いまあの時代を究極的になぞっているような気がしてならない。「愚に暗く茨を掴む」蛍狩りの子供たちの「暗愚」の果てに80年前の歴史は、その翌年に「真珠湾攻撃」から世界大戦に・・・、果てしもなく泥沼の暗闇に真っ逆さまに堕ちていったのである。
 あの時と少し違うのは、専門家会議という名の中の「学者グループ」から異論が囁かれるようになってきた。これを歴史の進歩の証拠と出来るか否か?そのトキが近い。