玄文講

日記

妄想「夜に自転車」

2006-01-26 16:36:03 | 怪しい話
私は自転車で、人気のない深夜の街中を走っていると、だんだんと寂しくなってきてしまうのである。

私は誰もいない夜の街に違和感を感じ、不安を覚えるのだ。

しかしである。人のまったくいない山道や郊外を走っているときには、私は決してこんな寂しさを感じたりはしない。

むしろ夜の静けさが心地良く、周囲に広がる闇の深さに解放感を覚えるだけだ。

それなのに夜の街はなんでこんなにも寂しいのだろうか。

幾つもの家の四角形の窓からは明かりがもれ、速度をあげた自動車が何台も勢いよく私の真横を通り過ぎていく。

街灯が規則的に並び、遠くでは信号が赤く点滅している。

そこかしこに確実に人がいて、街は普段通りに機能している。

だが走っている間、私はその中の誰一人の姿を見ることもない。

他の歩行者や自転車などともすれちがうことはなく、私はずっと人間の姿を確認できないでいるのだ。

人がいるのに、人の痕跡が見えない。それが私を不安にさせる。

実はここには自分以外は誰もいないのではないかという錯覚に陥るからだ。

あの家の中には本当に人が住んでいるのだろうか?

明かりがついたままの無人のダイニングの中で冷蔵庫が低音を鳴らしているだけなのではないのか。

あの車の中には実際に人が乗っているのか?

無人の車がプログラムされた通りに自動的に動いているだけなのではないのか。

この世界に人間なんてものは存在していなくて、ただ純粋に街の機能だけがつくろわれているのではないのか。

そんなことを思うのだ。バカげている。
それがありえないことだというのは分かっている。完全な妄想だ。

ここには大勢の他人がいる。無人などではない。たまたま私がその中の誰一人とも会わないでいるだけなのだ。

そして同時に、私がここにいても、ほとんどの人はそのことを気にもしていないというだけのことなのだ。

つまり、私がここにいる誰も彼もの存在に気がついていないように、誰も彼もが私を知らないでいる。

それならば、この世界に他人が存在しないと妄想するのではなく、この世界には自分が存在していないと妄想することもできる。

私はいないのだ。

私はいないから、いない者が、いる者たちと出会うことなんてありえるわけがないのだ。

だから私は誰とも会わないのだ。

それで私はいなくなってしまった自分を哀れんで寂しがっているのだ。

ここにいると私はどこかへいなくなってしまう。

私の時間だけが他の人々からずれて、私はこの街の中に取り残されてしまっているのだ。

いない。

いない。

私がいない。ここにいつまでもいると、私はいなくなってしまう。

だから私は自転車のスピードを上げて、夜の街を急いで通り過ぎるのである。