蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

車站的建築物

2005年08月05日 04時19分24秒 | たてもの
パウル・ボナーツ。一九三〇年代を代表する近代建築家である彼の名前をご存知の方は建築を専門的に学んだ方か、あるいは単なる物好か。最近彼の名前を目にしたのは社団法人高速道路技術センターのホームページに載っていた構造物研究部会報告「今後の橋梁設計-欧州橋梁景観設計システムとその事例-」(鹿島建設 鈴木圭)だった。そこではボナーツがアウトバーンに懸かる陸橋のデザインに関わっていたことが報告されているが、要すればこの年代のエンジニアは何らかの形で、多かれ少なかれナチズムに関わっていたということ。逆から見ればナチズムに全く関わったことのないエンジニア、あるいはその他どの分野であれ一流と見なされた人物はまずいなかったのではないか。 いやこの辺りで止めておこう。ここでハイデガーやカラヤンなどのナチズムへの関わりを論じる知識は、わたしにはないし、そもそもこの問題については斯界の優秀な学者先生がそれぞれに論考を発表していのだから。
さて本題に入るとして、我が国でもよく知られているボナーツの作品にシュツットガルト中央駅がある。テオドア・フィシャーの影響を受けたこの作品は石造りのとても美しい駅舎だ。バーデン・ヴュルテンベルクの主都シュトットガルトの名は「領主の馬の飼育場のそばの住居集落」というほどの意味で、すでに一一五〇年にはこの名称が記録されているとものの本に書かれている。シュトットガルト管弦楽団でも知られているこの街の玄関。パウル・ボナーツ、フリードリッヒ・オイゲン・ショーラー共同制作によるこのシュトットガルト駅は南ドイツの黒い森"Schwarzwald"への入り口にあたるこの文化都市の中央駅"Hauptbahnhof"として現在でもその威容を誇っている。なにしろ時計塔のてっぺんにはベンツのマークが輝いているのだから。
さてシュトットガルトと聞いてわたしが思い出すのは、かのドイツ観念論哲学の大御所ヘーゲル先生。むかしむかし樫山欽四郎(樫山文枝のお父さんです)の訳で『精神現象学』を読んで、何がなんだかさっぱり判らなかった。最近出た長谷川宏訳の『精神現象学』を読んでみたがやはり何がなんだか判らなかった。そもそもヘーゲルのいっている「精神」"Geist"なるものが理解できない。多分この"Geist"はわたしたちが日常的に使用しているいわゆる「精神」とは違ったものなのだ。哲学の専門家は簡単に「精神の自己発展」なんぞいうが、あんたら本当にヘーゲルの"Geist"ってわかっているのかいと突っ込みたくなる。ところでヘーゲルって身長はどのくらいあったのだろうか。多分普通のドイツ人のように大柄だったのだと想像する。牛食って豚食っておまけに酢キャベツ食ってさらにワインやビールをガンガン飲んで、そのあげくに重箱の隅を突っつくような事細かい思索にふけるんだから漬物と魚の日本人とではやはりパワーが違う。同じ土俵じゃ勝負になりません。因みにわたしはこと料理に関してはドイツを贔屓しない。
なんだか話が関係ない方に行ってしまったが、今話題となっているのはシュトットガルト駅だった。駅舎プランのためのコンペが一九一一年の春に催されてから十七年後、すなわち一九二八年に完成なったシュトットガルト駅の風景を写した一枚の写真。これはまた何とも幻想な風景だ。
この駅舎が完成した一九二八年(昭和三年)、五月二十日のヴァイマル共和国議会選挙では社会民主党と共産党が大きく議席を増やした。世界大恐慌が翌年襲ってくることなど誰一人想像だにしてはいなかった。

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