蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

我愛欧羅巴影片(六)

2005年10月07日 05時18分26秒 | 昔の映画
ヨーロッパ映画はどれを取っても魅力的な作品が多い。だから何を選んだらよいのか、まよってしまう。フォルカー・シュレンドルフの一九七九年度作品「ブリキの太鼓」なんかどうだろう。
わたしはこの原作を集英社版の高本研一訳で読んだ。これですっかりギュンター・グラスにはまってしまった。グラスのダンチッヒ三部作にはこのほかに「猫と鼠」「犬の年」がある。「猫と鼠」は他の二作品にくらべて短くわかりやすい。「犬の年」は象徴劇みたいでちょっとわかり難いところがある。「ブリキの太鼓」も歴史的背景を知らないで読むとなんだかよくわからないところもあるけれども、それでもストーリー展開の面白さは充分に伝わってくる。
映画では主人公オスカルによって語られる、自分の母の誕生にまつわる物語のシーンから始まっているが、原作は違う。冒頭部分を引用すると、
"Zugegeben:ich bin Insasse einer Heil-und Pflegeanstalt, mein Pfleger beobachtet mich, läßt mich kaum aus dem Auge; denn in der Tür ist ein Guckloch, und meines Pflegers Auge ist von jenem Braun, welches mich, den Blauäugigen, nicht durchschauen kann."「告白するするならば、私は療養院の収容者であり、私の看護人が私を監視していてほとんど目を離さないでいる。というのも扉には覗き穴がついているからだ。そして私の看護人の目はあの褐色からできていて、その目は私を、この初心な青い目の私を覗き見ることはできない」(注1)。どこかにあるには違いないのだがどうしても集英社版が見つからず高本訳を載せられなかった。拙訳なので原作の雰囲気をなかなか伝えることができないが、ここで「あの褐色」といわれているのはもちろんナチスの制服の色を意味する。この場面は戦争後、オスカルが療養院(おそらく精神病院)の個室で自伝を書き始めるところ。また映画ではオスカルが戦後ふたたび成長を開始する部分が省かれている。まあそんな違いはあるにしろ、映画だけを観ても結構おもしろかったし原作の雰囲気をかなり忠実に出していたと思う。そもそも映画と原作を比較することは無意味なのかもしれない。
なぜ「ブリキの太鼓」かというと、じつは最近までかかっていた映画"Der Untergang"とどうもダブってしょうがないからなのだ。どこに共通点があるのだと聞かれても、ちょっと説明できない。共通点というよりこれらの作品は互いに逆方向にむかっているようにさえ思える。それでもやはり似たもの同士の感が否めない。まあ結論を急ぐのは止しにしよう。この件についてはもっとじっくりと考えなければならない。
わたしがこの作品で最も印象に残っているシーンは、海水浴場の更衣室でも、ノルマンディーのトーチカの上を行進するフリークス一座でもない。それは馬の頭を餌にしてうなぎを捕るところ。海から引き上げられた馬の頭から何十匹ものうなぎがにょろにょろと出てくるのにはびっくりした。そもそもあんなうなぎ捕りの方法があるなんて知らなかった。映画の中でもオスカルの母アグネスはこれを見て嘔吐していたっけ。
ついでに書き添えると、その日の夕食はうな丼だった。

(注1)"Danziger Trilogie" s.9 Günter Grass Deutscher Taschenbuch Verlag 1999.12

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