蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

電子辞書

2005年10月08日 05時00分29秒 | 彷徉
本は大好きだが重いのには閉口する。原材料が木材なのだからしょうがないといってしまえばそれまでなのだが、とにかく体力勝負には違いない。むかしの本はもっと大型で装丁も頑丈でおまけに紙のかわりに羊の皮を使っていたのだから、これは現在の比ではないだろうと思う。"Sapientia in corpore forti est"「体力在るものに知性は宿る」ってか。随分と前に"Die Religion in Geschichte und Gegenwart"七巻本を買った話を書いたがこれを運ぶのも一苦労だった。崇文荘で段ボール箱二つに作ってくれたがこれをわたしは手に持って自宅まで運んできた。当時はまだ横須賀に住んでいたが、重いのと持ちにくいのとでさすがにギブアップしてしまいJR横須賀駅からタクシーをひろったので、買値の八千円が一万円を超える結果になってしまった。だからといってわたしは損をしたとはけっして思っていない。書痴は支出をトータルで判断するようなことは金輪際しないというわけだ。
最近ではあまり辞書、辞典類が売れないらしい。なんでもかんでも電子辞書化されてしまい、そちらを購入してしまうからだそうだ。従来型の辞書と電子辞書ではどちらがより学習効果があるのだろうか。まだ目立った結果は出てきていないので、何ともいえないが、でも普段からいろいろな辞書辞典類のお世話になっていると、電子辞書では情報が少なすぎて使い物にならないことが多々ある。ジャパネットタカタのテレビコマーシャルを見ているとこれでもかというくらいいろいろな種類の辞書辞典が一機の電子辞書に入ってます、といって喧伝しているけれども、わたしにしてみればあれっぽっちではとても使用に耐えない。それに辞書辞典って改訂があるってことを忘れちゃあいけない。電子辞書のばあいどうするのだろう。え、テーブルを入れ替えりゃあいいって。でもそのころにはハードのほうがとっくに生産中止になってるんじゃないかな。
わたしはあいかわらず重くて大版の古い辞書辞典類を愛用している、というより愛用せざるを得ない。インターネットで検索した情報は最終的にはオーソリティの所在が不明なので、信用してよいのかどうか判断できない。だからそれを調べるため結局従来の辞書辞典を引くこととなる。これではなんのためのインターネット情報かわからない。しかしわたしがインターネット情報を頼らない最大の理由は、そこにはわたしの欲しい情報がないからなのだ。
インターネットってのはいろいろな情報が流通していて、そのなかには有益なものもあればとんでもなく胡散臭いものまである。こうなってくると利用者に全ての結果責任を負わせるのも酷なように思えてくる。コンピュータウィルスやワームなどは専用ソフトである程度対処できるとしても、コンテンツそのものの信頼性となるとこれは閲覧者の見識で判断するしかない。有害サイトの規制が求められている昨今、では「有害」とはなにを指していうのか、これって結構難しい。たとえばエロサイト、わたしは某エロサイトの常連だが、少なくともわたしにとってこのサイトは結構参考になる。つまり欧米人のアジア女性にたいする好みは日本人のそれとは明らかに異なることが判るから。ということは日本人の欧米人女性についての好みが浮き彫りになるということでもあるんですねえ。たとえばオードリー・ヘップバーン、この女優は日本でこそ死して今だに人気のある人ですが、欧米では大したことはない。逆にキャサリン・ヘップバーはあちらで人気が高い。わたしの好みとしてはやはりキャサリンさんのほうが好きですが。
ま、それはさておくとして、読者諸賢におかれてはインターネットはどれほど重宝しているのだろうか。わたしもたとえばGoogleなんかでいろいろと知らないことを調べたりするのだが、Googleは検索数の多いサイトから表示する作りになっているようで、必ずしも必要な情報が先頭に検索されるというのでもないらしい。アクセスが多けりゃ正しい情報を発信しているのかって、違うだろ。偶さか要求どおりのサイトに当たったかと思えば、今度は素人さんの作文だったりマッド博士の宣伝サイトだったりで、つくづくげんなりしてしまうこと再三なんです。
どこかの会社でもっと使い物になる検索システム、つまり検索したいものを検索できるシステムを開発してくれないものだろうか、と真剣に願っている。

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