蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

労働強化

2005年08月09日 03時41分36秒 | 彷徉
このブログは新聞ネタを原則扱わない、ということを随分と前の回に書いたことがある。新聞ネタは新聞紙面に出た瞬間が旬なのであってそれをまた取り上げる、というかそのネタを再び取り上げてももう新鮮さはなくなっていて白々しさだけが目立ってしまう。もっとはっきり言えば退屈なのだ。
しかし腹の立つ記事となると話は別だ。今回は8月7日日曜日付けの日本経済新聞読書欄のこと。ポリー・トインビーなる人物の著書『ハードワーク』についての書評を読んで頗る不愉快になってしまったのだ。いや、書評そのものに腹が立ったわけではない。わたしはこの書評で初めて件の本を知った。書評からこの本が「ジャーナリストとして、現代の権力者の一員でもある」著者が「四十日間、最低賃金で暮らす」体験プログラムに参加した、そのルポルタージュであることを知り、そのこと自体に腹が立ったのだ。わたしの言いたいことを理解していただけますか。
かつてシモーヌ・ヴェイユという女性思想家がいた。数学者アンドレ・ヴェイユの妹だが、彼女は労働者階級の境遇を分かち合おうと一九三四年に工場労働者を一年間経験した。そうなのだ、たった一年間「労働者」を経験し境遇を分かち合おうなどとしたのだ。誤解しないでいただきたいが、わたしはなにもヴェイユがお嬢様階級に属しながら「労働者」になったそのこと自体を非難しているのではない。お嬢様だって一生の内にはそのような経験をするのもなにかの足しにはなるだろうから。そうではなくて、労働者と同じように肉体的に厳しい作業をすることが彼らと境遇を分かち合うことだと考えていたそのナイーブさに無性に腹が立つのだ。
そもそも低賃金長時間労働者を絶望させるものは何か。逆に言えば、例えば高度経済成長時代の労働者はなぜ辛い境遇を我慢できたのか。わたしの父は下町の職人で休みは一ヶ月に一日あるかないか、朝は八時ころから夜は十時過ぎまで毎日働いていた。いま想い起してみてもわたしにはとても耐えられない。では父はそのような生活になぜ耐えることができたのだろう。自分自身が社会に出て働くようになってそれがやっとわかった。要すれば「希望」なのだ。目的意識といってはちょっと味気ない。どうも甘い表現に聞こえそうだが今ではそれが「希望」なのだとはっきりということができる。話を単純化すれば、六畳一間のボロアパートからいつかは鉄筋コンクリート建2DKの団地に住めるようになるといった「希望」、つまり現状から脱出することができる可能性、これこそが厳しい労働に耐えることができた理由に他ならない。本当に慎ましい「希望」なのだが問題はその内容なのではなくで、まさに「希望」つまり現状から脱出することができる可能性を持つことができるという、そのことが大事なのだと思う。そして高度経済成長期にはこの「希望」は実現可能な希望だった。だからわたしの父を含めて皆が耐えられたのだ。ではそのような「希望」がまったく不可能だと知ったとき人はどうなってしまうのだろう。現状が永久に続くとしたら、そう考えただけでわたしは息が詰まってしまう。
シモーヌ・ヴェイユにとって工場労働者から脱出する可能性は、可能性ではなく現実性だった。彼女の特権性はブルジョワ階級に所属しているということにあったのではなく現状からの脱出が保証されている、この一点にあったということができる。『ハードワーク』という本の内容を、わたしはシモーヌ・ヴェイユの行為と重ねて合わせて見ないわけにはいかない。今の労働現場にはもはや脱出することができる可能性などないに等しい。言葉を変えていえば「希望」などまったくない。

最新の画像もっと見る