蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

絶不調の一日

2006年02月20日 06時43分12秒 | 彷徉
先週の土曜日に都丸支店を覗いてみた。店内の棚にはたいして面白そうな品はなかったが表の廉価本棚を見渡したら"Proverbi Toscani"が見つかった。体裁としては天地左右が260*180、180頁ほどの本なのだが紙が厚めなので束が2.5センチほどもある。題名は「トスカーナ地方の諺集」とでもいうのだろうか、値段が五百円ということもあったので読めもしないのに購入した。このところイタリア語の本を時々買っている。いまはまだイタリア語は読めないが、少しずつ勉強はするようにしているので、いつかは読めるようになるだろう(と期待している)。妙な話だけれども、若い頃より外国語の学習が苦ではなくなってきている。外国語といったって所詮は人間の話す言葉ではないか。例えばアラビア語は世界でも難しい言語の一つだと何の根拠もなくいわれている。だったら日本語はどうなのだ。文字にしても片仮名、平仮名、ローマ字に漢字、しかも漢字には呉音漢音に和音のほか、国字なんてのもある、更に発音に至っては年々変わっている、これほど学びにくい言語もないと思うのだが、そのような言葉を日常的に操っているわたしたちに、最早「難しい」言語なんて存在しない。このような思いが年を取る毎に募ってきているからだ。マックス・ヴェーバーは四十代でロシア語の勉強を始めたそうだが、要すれば必要性が生じれば結構憶えるものなので、ということは外国語の勉強そのものが目的の外国語の勉強というものはそうそう長続きしない。だから「ナントカ留学」の学校に通ったってそれだけで外国語が堪能になるわけではない。つまるところ大事なのは目的意識ってやつだと思う。
ところでこの日は体調が頗る悪く、歩いていても踵からくる振動が腹の中にまで伝わってきて、それが吐き気を誘発しかねない状態だった。自宅を出るときにはそれほどでもなかったので高を括っていたのだけれども、高円寺のルック商店街を歩いているときはかなりきつくなってきていた。このときばかりはさすがに自分の判断の甘さを恨んだものだったが、なんとか都丸支店までたどり着くことができた。和書の廉価本が並べられた棚には、毎度のことだが先客が三四名、本を漁っていた。いつもならばわたしも一通りチェックを入れるところなのだがさすがにその元気もなく、洋書廉価本棚だけをチェックしてから店内の品を見て回った。
都丸支店では結局"Proverbi Toscani"しか成果がなかったので、JRで御茶ノ水まで出て東京古書会館にいってみたが古書展は開催されてはいなかった。ぐろりや展は来週開催だった。このような間抜けな間違いをしでかすのも体調が悪い証拠だ。小川町の崇文荘も覗いてみたがどうもいけない。これ以上ぶらぶらしていないでさっさと帰って横になったほうがよいという天啓かもしれない、そう考えたわたしは信山社で今月刊行の岩波文庫を購入した。念のため日本特価書籍で新刊書のチェックをした後、地下鉄半蔵門線に乗り込んだら途端に疲れが出てしまい、だらしなくもシートにへたり込んでしまった。顔が火照ってしかたがないのは熱があるためだったのだろう。九段下、永田町はほとんど憶えていない。表参道で目が覚めてあわてて銀座線の渋谷行きに乗り換えた。


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