蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

「世界に冠たる」

2006年03月05日 10時16分24秒 | 彷徉
比較的暖かい週末の夜は、明け方の四時くらいまで起きていることがある。こんな馬鹿な真似は休日前日だからできるので、さすがに平日は翌日、ではなくて当日の仕事に差し支えるので滅多にやらない。滅多にやらないということは偶さかやってしまうということなので、そんな時の日中は地獄以外のなにものでもない。
では起きていていったい何をやっているかというと、たいていはヴァグナーなんかを聞いたりしている。「指輪」とか「マイスタージンガー」などを聴いていると精神が高揚してくるものだから、ちょっと気分が塞ぎこんだときなどにはドリンク剤よりはよほど効き目がある(と自分では思っている)。こんなことを書くと批判を食らうかもしれないけれども、ヴァグナーの音楽ってのはなんだか遊園地みたような雰囲気なのだ。だからヴィーンでくすぶっていた頃のヒトラーがヴァグナーの楽劇にぞっこんだったというのはとてもよく理解できる。ロックに入れあげる今時の若者と、社会への反発という点において通底しているということだろうか。断っておきますがこう書いたからとて、わたしはヒトラーと美意識を共有しているわけではありませんので念のため。
まあそんなわけでヴァグナー音楽はイスラエルではつい最近まで演奏御法度だったと聞いている。最近では演奏会も開かれているようだが、ホロコーストを経験した世代にはまだまだ強い拒絶反応があるらしい。ヴァグナー自身反ユダヤ主義者だったことは確かだが、もしもそれだけだったらここまで拒否されることはなかったのではないか。ヨーロッパでは昔も今も反ユダヤの感情は根強く残っている。だからユダヤ人がヴァグナーを嫌う原因は唯々ヒトラーが彼の音楽を好んだ、この一点にあるとしか思えない。自分が死んで六年後に生まれた男に好かれてしまったヴァグナーこそ、いい迷惑だとあの世で思っているに違いない。
ヴァグナーで心が持ち直してきたら今度は国歌を聴く。残念ながら「君が代」ではない。今現在この地球上に国家と呼ばれる体制がいったい幾つ存在するのかわたしは知らないけれども、数ある国歌のうちでポーランド国歌はたいへん美しいものの一つであることはおそらく間違いないものと思う。無伴奏の女性コーラスで聴くと、言葉がわからないということもあるのだが、言われてみなければとても国歌だとは判らない、それほどリリカルなものなのだ。恥ずかしい話だが、わたしはその旋律を思い出しただけで目頭が熱くなってきてしまう。イスラエルが出たから書くのではないが、この国の国歌も独特だ。イスラエル民謡というのは短調の曲が多いがこれはその極めつけで、ふつう国歌といえば心を奮い立たせるようなものが多いなか、このイスラエル国歌は聴いているとなんだかとても物哀しい気分になってくる。もっともこれはわたしが日本人だからそう感じるのであって、ユダヤ人はまた違った感性を持っているのかも知れないが。
ところで一般的に国歌の基本的特徴とはやはり荘厳さと力強さだろう。しかしこればかりが突出してしまうとプロパガンダ臭がぷんぷんしてきて聴いているこっちのほうがうんざりしてしまう。アメリカ国歌、ロシア国歌、フランス国歌、イギリス国歌、それに中華人民共和国国歌、どれもあまり好きではない。そんななかでドイツ国歌には気品を感じる。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲による弦楽四重奏曲『皇帝』第二楽章の主題を基にしたメロディーということもあるのだろう。ところで一番のあの有名な歌詞"Deutschland, Deutschland über alles, über alles in der Welt"はアウグスト・ハインリヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベンの詩によるもので、ナチズムとはまったく関係ない。にもかかわらず第三帝国の時代この歌詞が専ら歌われたため現在ドイツでは耳にすることができない。
ナチズムによる芸術の封殺はいまも続いている。


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