蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

我愛欧羅巴影片(八)

2006年01月01日 16時54分18秒 | 昔の映画
このシリーズはむかしの映画、といっても戦後一九四五年以降に製作された作品をとりあげている。だからどんなに古いといってもたかだか六十年ほどの前のものに過ぎない。したがって「むかし」などといった表現が適切なのかどうか議論の分かれるところなのかもしれない。でも俗に十年一昔という言い方もあることをみれば「むかし」といったところでさほど的外れではないようにも思っている。いまから四十年前、フランスの映画監督ジャン=ガブリエル・アルビコッコが一篇の美しい作品を撮った。題名は"Le Grand Meaulnes"、日本公開時の題名を「さすらいの青春」という。この作品の原作となったアンリ=アルバン・フルニエの『モーヌの大将』そのものは結構有名な小説で、現在では岩波文庫に天沢退二郎訳があるし、みすず書房からも長谷川四郎訳が『グラン・モーヌ』という題名で出版されている。どちらがより原作の雰囲気を表現できているかは読者諸賢にて判断していただくとして、この作品はフランス語の授業でも取り上げられているそうだから、原文はかなり素直な文章なのだろうと思う。作者であるフルニエは一八八六年に生まれ、一九一四年第一次世界大戦で出征しヴェルダンにて戦死した。"Le Grand Meaulnes"は一九一三年の刊行だから彼の処女作にして絶筆ということになる。どのような物語なのかを延々と紹介するといった野暮な真似はわたしは大嫌いなので、ストーリーに関しては読者諸賢にて本屋さんに足をはこんで本を買って読んで確認してください。
ところで映画のほうだがこれは少々物語を追いにくい。初めて見たときわたしには何が何だかよくわからなかった。この点については直接小説をよんだほうがよい。そのあとでこの映画を観るとかなりの助けとなるのではないだろうか。
アルビコッコの「さすらいの青春」は、わたしの調べた限りでは今現在DVDで販売されていないようだ。今回この原稿を書くに当たって確認のために観たのは随分前にレンタルビデオテープをダビングしたもので(違法行為です。ごめんなさい)画質が良くない。その良くない画質をわたしの頭の中で修正しながら観たものだからすっかり疲れてしまった。

さてこの作品の山場の一つは間違いなくあの上映開始十五分後あたりから始まるガレー家の屋敷での宴会シーンだと思う。印象派絵画のような色の洪水といったらちょっと紋切り型になってしまうがほかに表現のしようがない。屋敷そのものが巨大な玩具箱になり、その中で何日も続けられる子供が主役の結婚披露宴。フランスの童謡がコラージュされた音楽もどこか懐かしさを感じさせる。そして極め付きが、アルルカンが先導してその後を大人や子供が手を繋いで長い長い列を作り、屋敷の中や松明で照らされた庭を踊り行くシーン。このような場面が約三十分くらい続く。わたしはこの光景を観ただけもう充分に満足してしまい、いつもは最後まで観ない。いや本当のことをいうとあのイボンヌ・ド・ガレーの亡骸が抱きかかえられながら階段を降りてくるシーンを観たくないのだ。イボンヌがかわいそうでとても観ていられない。
イボンヌを演じているのがブリジット・フォッセー。ルネ・クレマンの名作「禁じられた遊び」で少女ポーレットを演じていたのは有名な話だ。ところでわたしの個人的な意見として、ブリジット・フォッセーという人は女優には向いていないのではないか。女優というにはあまりに知的で上品過ぎるような気がするのだが、そんな彼女も今年還暦を迎える。
"Le Grand Meaulnes"はなかなか映画化が許可されなかったけれども、ジャン=ガブリエル・アルビコッコによって見事な映像表現が実現した。ところでフランス映画界の巨匠ジュリアン・デュビビエもこの小説を映画化したがっていた一人だった。しかしどうしても実現することができず、その結果代わりに作った作品が「わが青春のマリアンヌ」だった、と淀川長冶先生が言っていた。


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