忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

日本の政治家は北朝鮮に行け

2011年12月20日 | 過去記事

ある夏の日のこと。偉大なる首領、金日成将軍様は遊撃隊員たちと森の中で休息を取っておられました。そこに通りかかったのは、山中を行進していた「イルチェノム(日帝野郎)」です。遊撃隊員たちを発見したイルチェノムたちは<そこだ!うまく囲め!>と叫んで、泥棒猫のようにこそこそと這っていました。しかし、偉大な将軍様は奴らの動きを既に知っていました。偉大な将軍様はゆっくりと懐から白い紙を取り出し、そこに鉛筆で何頭もの馬を描かれました。そして、その紙を東の空に向かって3度、ぐるぐると回されました。イルチェノムは泰然とした偉大なる将軍様に恐れ戦き、身動きもできませんでしたが、次の瞬間、白い紙から本物の馬がぴょんぴょんと飛び出しました。馬には金色の羽が生えていました。

偉大なる将軍様は白い龍馬にまたがり、そのまま空へと飛び上がりました。この光景をイルチェノムたちは口を開けて目を見張りました。偉大なる将軍様が鞭を振るうと、明るかった空が真っ暗になり、雷鳴が響き渡り、強風が吹き荒れました。空からは石つぶてが降り注ぎ、イルチェノムらは石を喰らって全員が死にました。そのときの雷の音は、偉大なる将軍様がお乗りになった龍馬のいななき、強風は白い紙を折りたたんだ時に吹いたものでした――――

「絵の中の龍馬」である。北朝鮮の小学2年生は全員、国語の時間にコレを習う。だから、その息子である金正日が国内視察すれば「枯れていた花が咲く」ことも不思議ではなく、野鳥が十数羽、一列に並んで「マンセ―」と鳴き始めることもあるのだ。

北朝鮮の子供は「さんすう」では「ミグンノム(米帝野郎)が5人いました。3人を撃ち殺しました。残りのミグンノムはなんにん?」と学び、音楽では「テレビジョンがランランうたうよ!水道がジャージャー溢れるよ、金日成元帥様が作ってくださった社会主義の我が農村は暮らしがよい」と歌う。それだけでも大変だが、北朝鮮の子供らは国語、数学、理科社会・・・よりも重要な科目がある。それは「敬愛する首領金日成大元帥様の幼児期」と「偉大な領導者金正日将軍様の幼児期」と「抗日の女性英雄金正淑お母様の幼児期」だ。この機会に覚えておこう。朝日新聞の入社問題などでも出るかもしれない。


「さんすう」ができなくても叱られれば済むが、これらの科目の成績が悪いと酷い目に遭う。日本の子供のように、そんなのやりたくない。覚えたくない、個人の自由じゃないか、と言ったら「反動分子」のレッテルを貼付されて、一家丸ごと殺される。

しかし、まあ、それは北朝鮮での話。独裁失敗国家が国内で何をやろうがしったことか、と馬鹿にするのも結構だが、日本にもちゃんと「分会学習班講師用提綱」というものがある。1978年に朝鮮総連中央常任委員会が発行した「思想教育用テキスト」だ。「敬愛する首領金日成大元帥様は絶世の愛国者であり、伝説的英雄であり、朝鮮革命と世界革命の偉大な首領である」とはじまるテキストには、そのあと、いくつかの諸点が続く。

1:天下妖術を使う
2:東西南北を飛んで移動する
3:縮地法を使う
4:山、川を縮めて一夜に千里を移動する
5:一度に八か所、あるいは十か所に同時に出現する
6:顔かたちが全く同じの金日成が7人いる
7:瞬間的に千変万化する
8:天に消えたり地下にもぐったりして姿を隠す
9:気象を自由自在に操る
10:古今東西のどの兵書にもない巧妙な戦法を編み出す


―――私は笑えない。日本国民の血税が「こんなの」に使われている事実に笑えない。

ま、ともかく、そんな「偉大な将軍様」やら「敬愛なる元帥様」も死ぬ運命からは逃れられない。今年最後のメシウマニュースは「金正日死去」だった。17日に死んだそうだ。

死因は金日成と同じく「過労による心筋梗塞」とのことだ。「本当は列車で死んでないんじゃないか?17日以前に死んでたんじゃないか?」という疑惑は週刊誌に任せておけばよろしいが、それよりも気になるのは「ンで、どーなるのか」という問題だ。拉致である。

予想通り、メディアは酷いモノだ。さすがに堂々と「お悔やみ申し上げる」ような馬鹿はみつからないが、それでも「これで北朝鮮が民主化すればいい」「良い変化を期待する」「息子は拉致の主犯じゃないから進展があるかも」みたいなことになっている。挙句、日本はいまこそ、人道的支援を行い、日朝国交正常化を目指すべき、という見境のない連中もいる。支那共産党日本支部の志位和夫委員長も20日、民主党の幹事長のように「一国の首脳の死として哀悼の意を表する」と表明して、やっぱり「日本の外交努力が必要。日朝共同声明の意義は重要だ」とかやる。金正日が死んだくらいで朝鮮半島が「平和的、且つ、安定的」に収まるならば、3世紀頃の「三韓時代(馬韓・辰韓・弁韓)」も、4世紀から7世紀の「三国時代(高句麗・百済・新羅)」などない。あの半島はどこまでいっても支那の劣化コピーであるから、いずれかの体制が崩壊するまで「統一」というものはない。南北統一が実現した李氏朝鮮時代にも、ちゃんと朋党の争いがあった。地域差別、身分差別、南北差別、所詮が民族差別の分断国家、安定などしないのは歴史的経緯が示しているとおりだ。今更ながら、日本のメディアの安直さには辟易する。



19日にはイラクから米軍が完全撤退している。金正日が死んだ、とされる日は2日前の17日だ。最高で17万人もの米軍を送り込み、4,500名の死者を出した「イラク占領政策」だったが、これで米軍には金はないけどヒマができた。海兵隊も仕事がない。今年はビンラディンが殺され、カダフィも死んだ年だ。金正日も怖くなって支那に国を売り渡し、どうぞ命だけは助けて下さいと、どーにでもなる三男坊に任せて亡命したんじゃないか―――というのも、職場のオバサン相手の井戸端会議ならウケルが、真面目に考えると面白くない。それより、日本が真面目な国なら、この敵国の不安定な情勢を放っておく手はない。

それこそ国内世論、拉致被害者家族に配慮して「関係ない」と放っておくのではなく、名目上は「哀悼の意を表する」でもなんでもいいから、たっぷりと政治家を送り込んで「北朝鮮内部の捜査」を飲ませるべきだ。もちろん、特殊部隊を紛れ込ませた「捜査団」である。これくらいは普通の国ならばする。支那や韓国、ロシアやアメリカを頼る時期は過ぎている。依頼するのは協力ではなく、もはや、黙っててくれ、と言うのみだ。日本のことは日本で解決するから、邪魔だけはしないでくれ、ということだが、戦後日本はコレが最も苦手な国となった。「円熟」といえば聞こえは良いが、その所為で北朝鮮のようなチンピラ国家にすら舐められる。「恫喝外交」がちょっと羨ましい。


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