忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

好評!鳥の胸肉のレモンソテー!

2011年12月24日 | 過去記事

「残念なお知らせがある。今日のクリスマスプレゼントはない。それは買い忘れたからだ」


イヴの夜だった。コタツの上にはカセットコンロ、土鍋がぐつぐつと煮えていた。「鳥鍋」をしていた。娘が小学校2年生くらい、倅は4つ下だから5歳ほどだった。

倅はわけがわからんから、とくに反応せず、クリスマスケーキを顔面で喰っていた。娘は大人びていたから泣き喚くでもなく、しかしながら、明らかなショックを隠すことも出来ず、うろたえながらもお母さん、つまり、私の妻のほうを見ていた。

当時の我が家は2階建てのハイツの1階、間取りは2LDKだったが狭かった。ただ、お気に入りは「庭付き」だったことだ。正確な広さは不明だが、それなりのスペースがあった。隣近所の人は小さな畑を作っていたり、ビニールシートをかけて物置にしたりしていた。妻は今でも草花が好きだから、そのときもいろいろと怪しげな植物を育てていた。妻には植物を巨大化させる、あるいは活性化させる能力があるらしく、金正日のように「枯れた花」を復活させるのを私は何度も見た。最近では、京都市役所の玄関を入ってすぐの横、何やら知らんが、忘れられて枯れかけた花があった。妻はそこに「捨ててあったヤクルトの空き容器」で水をやり、何やら不気味な呪文(?)を唱えていたが、次に私が訪れた際には見事に咲いていたから仰天したこともあった。妻に確認すると、単に「がんばって咲きやー」と言っただけ、とのことだが、おそらくコレはウソだ。何やら魔界の臭いがする。あの植物はもうすぐ人を襲うはずだ。





「しゃーないやん。忘れたんやから」

妻は何も言わない娘に言った。そんなことより、鍋もケーキもあるし、クリスマスをしようじゃないか、と私も言った。倅はわけがわからんから、小皿に入った鶏肉にかぶりついていたが、娘のほうはやはり、ちょっと気まずそうだった。えぇ~なんでプレゼントないのぉ~と言いたいところだが、ここはお母さんの顔を立てて、何も言わずに黙って良い子を気取らねばならない、とでも考えていたのか、口元は笑っているが目は寂しそうだった。娘はまだ、私のことを「店長」と呼んでいた。一緒に住み始めて最初のクリスマスだった。

鍋を喰いながら発泡酒を飲んでいた。それは忘れられない味、サントリーの発泡酒第一号「HOPS」だ。当時はまだ、私にいろいろとあったから、なんやかんやで総額800万円近い借金を背負っていた。笑いながら書くが、それはもう、それなりに大変だった。スーパーの店長、とはいえ、真面目に借金を払うと金は残らない。「払い過ぎた利息が戻る場合もあります!」という弁護士も知らなかった。私が借りたわけではなかったが、私が払わねばならないとされている金だったから、私が支払うのは当然だとも思った。妻も協力してくれた。しかし、まあ、金があるかないかはともかく、今と変わらず、楽しくやっていた。そのイヴの日もそうだった。

鍋を喰い始めて少し経つと、倅がソワソワし始めた。お姉ちゃんに何やらヒソヒソ言っている。もしかすると、なぁ、やっぱり、プレゼントはないんかなぁ?とか阿呆なことを言っている可能性は高い。私が無視して発泡酒をぐびぐびやっていると、また、倅は落ち着かないそぶりをし始める。しかし、最初はお姉ちゃんも取り合っていなかったが、今度は姉弟で一緒になってごにょごにょやりだした。食事中、賑やかなのは結構だが、やかましいのはダメだ。だから私が咳払いして、おい、と言いかけたら、二人共から睨まれた。人差し指を唇にあてている。



「鈴の音がする・・・・」



ん?鈴の音だぁ?ほんまか??

妻も「・・・なぁんにも聞こえへんけど??」と不思議そうだ。もう、どーでもいいから、早く鍋を食べなさい、お姉ちゃんは“店長”の発泡酒を冷蔵庫から取ってきなさい、とたしなめた。ったく、どうせ、そんなの隣の家のクリスマスパーティーかなんかだろう。


倅が立ち上がった。叫んだ。「鈴の音!!するって!!」


だから、それは隣の家だろう。私には聞こえないし、妻は元々耳がよろしくない。それはアレだ、あの空耳というやつだ。空耳というのは幻聴のことだ。座りなさい。今夜、お前はまた、喘息の発作でも起こすんだろう。その予兆だ。お前にはまだ難しいが、それは何らかの精神的ストレスが・・・・




「するねんて!!」倅は泣きそうだ。いや、少し泣いていたかもしれない。

妻も知らぬ顔だ。「ソンナノ・ハ・キコエナイ」と、当時から妻の中だけで流行っている「ロボ語」で突き放す。この妻は倅が幼少の頃、医者からもらった風邪薬を飲むとき「この薬を飲み忘れたらお母さんは死ぬ」という意味不明、且つ、罪深きウソを数年間もつき通し、しかもある日、それを思い付きで「忘れた。お母さんは死ぬ。さよおなら」と止めを刺し、とうとう倅を発狂寸前、泣き喚いて「自分が忘れずにお母さんに教えなかったからだ」と後悔のズンドコに突き落としたこともある残虐超人だ。倅は中学生になっていた。

ともかく、鈴の音などしない―――と言っても、もはや、聞かない。倅も、もう、音がする、ではなく、音が大きくなってきた、と騒いでいる。お姉ちゃんも聞こえるのか聞こえないのか、狭い家の中を走り回る阿呆な弟を否定しない。ったく、じゃかましい。だから子供は嫌いなんだ。意思疎通ができない。聞こえないモノを聞こえるなど、話にならない。



しかし、である。


私の発泡酒を取りに行った娘が、ベランダの方を向いたまま茫然と立ち尽くしていた。





娘は小さな声で、窓・・・ベランダの窓・・・と言っていた。私も妻もベランダを観た。







真っ白だった。窓が真っ白に光っていた。大きな丸い光の塊が三つほど、ベランダの窓全体を照らしていた。倅はもう、いてもたっても、という状態で走りだした。お姉ちゃんも続いた。私の発泡酒は持ったままだ。

二人がベランダに飛び出す瞬間、その光は一斉に消えた。お姉ちゃんは「鈴の音が遠ざかっていく・・」と言った。倅は庭に裸足で飛び出していたが、しばらくすると大声で姉を呼ぶ声がした。

「おねえちゃん!!おねえちゃん!!」

倅は大きな箱を持ち上げていた。どうやら他にもあるようだ。その箱は包装紙に包まれ、赤いリボンが括りつけてあった。どうやら「プレゼントの箱」のようだ。


「ろくよんやっっ!!!」



中身を開けて倅は飛び上がった。うむ。たしかにそれは「NINTENDO64」に他ならない。スーパーファミコンの次世代機だ。定価で25000円もするものだが、このあと、例の如く値下げしやがって、最終的には14000円になった。ふざけるなという思いで一杯だ。いや、それよりも、なぜ、こんなところに「ろくよん」があるのか・・・



「どんきーこんぐや!!」


驚いた。なんと、他の箱にはソフトもあったらしい。なんとも不思議なことがあるものだ。

おとぎ話だとばかり思っていたサンタクロースの出現。さすがにうろたえた我ら夫婦であったが、少々、取り乱した私は妻に対し、サンタクロースというのは「聖ニコライ」のことで、コレがオランダ語では「シンクタラース」となって、それが訛って、あるいはロボ語でもいいけど、日本ではサンタクロースと呼ぶことになった。とある貧しい家が「娘を売らねば生活できない」と落ち込んでいた際、聖ニコライは煙突から金貨を放りいれた。暖炉には靴下が干してあって、次の朝、靴下を履こうとすると、中からチャリンとなるわけだ。これで貧しい家は娘を売らなくて済んだとさ、めでたしめでたし―――という話もしたが、なぜだか妻は涙ぐんで、小さな声で私に、ありがと、と言った。



次の日、私は缶コーヒーを3本買って、彼女もいないヒマなアルバイトにプレゼントした。

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