忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

韓国の新聞が「いっそ独島は日本に差し上げたらどうか」と書く日

2011年12月18日 | 過去記事

世界から非難轟々という前代未聞、暗黒のオリンピックといえば、2008年の「北京オリンピック」となる。日本でも「長野事件」が記憶に新しいが、そのスローガンを「一つの世界 一つの夢」と日本のメディアは紹介した。英語では「One World One Dream」と表記されていた。支那語なら「同一個世界 同一個夢想」だった。支那共産党の北京五輪組織委員会は、このスローガンを支那語と英語で発表したが、つまり、日本語表記は英語を訳したモノだとわかる。支那語だったら「同一個」を「一つの」とは訳せないからだ。

これは良い意味で解釈すれば「共通」とも読める。戦後の日本政府の如く、もっと馬鹿みたいに無理矢理の善意で解釈すれば「共に」ともなる。しかし、普通の支那人が読めば、その発音は「統一」となる。そもそも「みんな同じ世界にいるじゃないか」と表現したければ、東京オリンピックのように「世界は一つ」とすればよろしい。しかし、世界どころか、大陸内で他民族を虐殺しながら覇権を広げる支那共産党からすれば「世界がひとつ」ならば、他民族を弾圧したり、他の国を侵略する理由がなくなるから困る。だから本音は支那共産党が「統一」した世界、それが支那人の「一つの夢」なのだとして、支那はオリンピックが終わってからも、他国の海域で好き放題する。

その所為で韓国の海上警察のひとりが殺されたが、そんな韓国の五輪、ソウルオリンピックのスローガンは「韓国を世界に世界を韓国に」という迷惑千万、非常識極まりないものだった。世界が韓国になる―――など、冗談とはいえ酷いスローガンもあったものだ。

しかし、その冗談を真に受けている国がある。日本だ。NHKの「きょうの料理」はついに「インスタントラーメンにキムチをトッピングしましょう」という「料理?」をやっていた。朝鮮料理のレパートリーがなくなったのか、ひと番組の製作費が170万円といわれる歴史と伝統あるNHKの長寿番組とは思えぬ馬鹿さ加減だ。それなら無理をせず、他の民放の料理番組のように、飽きもせず「キムチ鍋」と「豚キムチ」を交代でやればいい。それにまだ「犬鍋」が残っておろう。アンモニアが香しい「ホンオフェ」もある。

もうすぐ紅白歌合戦もあるが、そこにK-POPが3組も入る、とかで話題になっている。中でも「独島は我が領土」を歌う「少女時代」もいるとかで、私の職場の「韓流おばさん(本物)」も興奮気味だ。録画予約してでも観るという。職場にテレビはあるし、入所者のジジババが観るから、いつも画面には何か映っていて、最近では韓国の大統領が野田総理と首脳会談したとかで、画面からは「日韓」とか「韓国」という文字も音声も響くのだが、これらにはまったく反応を示さないのも不思議な特徴だ。それほど韓国を愛するならば、テレビで流れる「領土問題」というフレーズや、売春婦の像が立ったという話題などにも興味を持ってほしいところだが、わざとなのか、これらにはまったく興味がない様子だ。

ところで、その首脳会談は京都で行われたらしいが、約1時間の会談で40分も戦時中の売春婦の話をしていたそうだ。日本も韓国もそれほど呑気な状態ではないと思うのだが、ともかく、日本の野田総理は「わが国の法的立場は決まっている。決着済みだ」と普通のことを言い、そのあと「これからも人道的な見地から知恵を絞っていきたい」といらぬことも言う。在韓日本大使館前に建てられた無許可の像については「誠に残念だ」と残念なことも言い、最後にはもちろん「日韓関係に悪影響を及ぼさないよう、ともに大局的見地から努力したい」と大局的見地を失ったことを言う。まあ、予想通り。こんなものだ。

それにしても、この外交センスの無さは凄まじい。「難しいことは知らない。KARAが好きなだけ」という馬鹿以外、誰が見ても李明博が困り果てていることはわかる。政権末期、大統領周辺に逮捕者が出るのもお約束ではないか。李明博も実兄の秘書、嫁さんのいとこなどが逮捕されている。次の選挙で落ちればどうなるかわからないから、李明博も必死で「歴史カード」を切る他なかった。ここで日本が強行に(普通に)対処すればどうなるか。

李明博はもう八方塞となる。韓国内の世論は「日本憎し」と「政権交代」で沸騰する。次期政権を狙う韓国の政党も、もう、日本との関係修復が念頭に来て、竹島でコンサートするような馬鹿もやれない。ソウルではまた、日の丸が切り裂かれ燃やされる、という「日常風景」が繰り返されるだけだ。「日本と戦争しよう」という世論も巻き起こる。もしかしなくても「K-POPは引き上げろ」という声も出よう。さて、それで誰が困るのか。

日本国内では先ずはメディアだ。朝日新聞は廃刊となる。それと売国政治屋。庶民では希少な「韓流ファン(本物)」だけとなる。5兆円の日韓スワップも白紙、原油の備蓄を韓国へ、も中止。ついでに孫正義から100億円取りあげて被災地へ送る。多くの日本国民は拍手喝采、野田政権の支持率は跳ねあがる。韓国は悲惨だ。次期政権は「対馬を取り戻す!」と言わねばならない。北朝鮮から砲撃され、支那人には海を荒らされ、それで日本に軍事行動できるならすればいい。

できるわけないのである。その代わり、韓国政府はできることをやる。すなわち、反日教育の撤廃だ。日本が引くから「使える」わけだが、日本が普通に「勝手にしろ。馬鹿」と切り捨ててしまえば、どうにもならぬのは韓国だ。韓国政府は人も金も使って、自国民の洗脳を解かねばならなくなる。すいません、今までの話はウソでしたと、本当は台湾よりも日本に感謝せねばならない国でしたと、韓国政府、並びにメディア、教育界などが頭を下げる。それで何人かの韓国人は発狂して死ぬだろうが、それはもう、自業自得、仕方がない。それよりも、本当の「日韓関係の構築」のために成さねばならぬことがある。

何人か先の韓国大統領が何人か先の台湾総統と、日本の首相と一緒に靖国参拝する。いつかは一緒に戦った仲間じゃないか、同じ「日本人」として戦ったじゃないか、と英霊に頭を下げる。もちろん、速やかに竹島は謝罪と共に、お気持ちだけですが、と100億くらいの賠償金も付けて、韓国人からなる「竹島を元通りにして日本に返そう」という市民団体が、ちゃんとキレイにしてから返還する。また、それからの話だが、ちゃんとルールを守るなら、安倍政権が尖閣諸島で台湾漁船にやろうとした「入り合い制度の海」を竹島にも適用、韓国は漁船を出してもよろしい。ならば「少女時代」でも「アガシ時代」でも来るがいい。「KARA」でも「KAMA」でも尻を振るがいい。日本の普通の国民もコンサートに行くかもしれない。ドラム缶焼肉もやるがいい。私は喰いに行く。さて、それで困るのは誰か。


ま、いずれにせよ、日本の過去の「戦争犯罪」やら「侵略戦争」やらというインネンには付き合う必要はない。日本は整然と歴史的事実のみを羅列して、淡々と、且つ、冷淡に「違うモノは違う」と言い続けるべきだ。アメリカもとくに相手にせんでよろしい。マイクホンダが米下院議会で「議事録にも残らない」程度の「慰安婦非難決議」を出したところで、喜んで騒ぐのは朝日新聞くらいだ。ニューヨークタイムスに「米国人は黒人奴隷を恥じる必要なし」と書いたのは、ハーバード大学のヘンリー・ゲーツ教授だが、彼の言い分は「黒人奴隷を売っていたのはアフリカ人。アメリカ人はそれを買っただけだから」というものだ。権威あるアメリカの大学の先生様でもこの程度、歴史的事実などハンバーガーにして喰ってしまっている。お人好しの日本人でも、もう、アメリカが京都を空爆しなかったのは歴史的建造物があったから、とか騙されるのは止めよう。原子爆弾の投下第一目標は京都だ。原爆の威力を正確に知りたかったから、ルーズベルトは京都は止めとけ、と言ったに過ぎない。アメリカ人はちゃんと「50万人は死ぬだろう」という試算もしている。

最近、9月3日から2日に変更された、ロシアの「対日戦勝記念日」も恥ずかしいものだ。ソ連でもロシアでもいいが、いつ、どこの戦争で露助が「日本に勝った」というのか。日本の降伏後、アメリカが沖縄を占領するなら、我々も北海道を占領したい、として千島列島の先っちょに攻め込んできたことは知っている。占守島だ。武装解除して意気消沈している日本人将兵など怖くない、と思って上陸したら数千人が殺された。日本側の被害は700名ほど。日本の圧勝と言ってよい。ソ連は慌てて日本政府に取り次ぎ、占守島の日本兵に銃を置いてもらった。北海道をどうする、というレベルではなかった。司馬遼太郎が言っていた「ノモンハン」もウソだった。スターリンはジューコフを司令官にして、戦車も戦闘機も大盤振る舞い、六万人の精強部隊を編成して日本軍に挑んだ。それで日本軍は大惨敗した、ということに長らくなっていたが、ソ連が崩壊した2年後の1993年、グラスノスチで資料がみつかると、実はソ連軍航空機全滅、戦車の過半が壊滅、ソ連兵は3割と少し、二万人強の戦死者が出ていたとわかる。つまり、本当は日露戦争と変わらず、日本にボコボコにされていた。だからスターリンは日本全土が空爆されて、原子爆弾2発が落とされるまで手出ししなかった。ま、それでも勝てぬとは想像もしていなかっただろうが。

支那共産党の「抗日戦争勝利記念日」も9月3日だ。これもいつ、どこで「日本に勝った」のか知らない。韓国の「光複節」と北朝鮮の「解放記念日」は8月15日であるが、何が嬉しくて、自国領が「分割占領」されることになった「記念日」を祝うのかわからない。その所為で今でも分断国家として、世界にご迷惑をおかけしているのに、である。

もうすぐ平成23年も終わる。戦後からもう66年が過ぎる。たしかに「歴史は戦勝国が作る」のだろうが、もう、それもそろそろ終わりだ。先日、自宅で「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」を観た。サイパン島で47名の部下を連れて45000の米軍を翻弄した大場大尉の話だが、その映画の内容、ストーリーにはいくつかの文句もあるが、このような映画が日本の映画館、全国300スクリーンで放映されたのかと思うと不思議になった。2003年の「ラストサムライ」からだが、日本人に「武士道」やら「英雄」やらが「解禁」されはじめている。相も変らぬ「日本は謝罪せよ、賠償せよ」はずいぶん古臭くみえる。

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