忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2009.1.25

2009年01月25日 | 過去記事
東北楽天イーグルスの野村監督が引退した45歳のとき、決意したのは「自分の打席に代打を送られたこと」ではなく、その打者がダブルプレーに終わったことを「喜んだ」自分に気づいたからだとテレビでやっていた。「チームのことよりも自分のことを優先させた」ということを恥じたからだという。これをそのまま政治の世界なてはめてみる。いやぁ、政治家全体の9割は引退せねばならないかもだ。▼マスコミなどもよく「党利党略のためだ!」とか「政策よりも政局を優先させる」などと批判する。御尤も、という部分もあるにはあるが、実のところ、それは当然なのではないかとも思う。なぜというに、日本の政党制であれば「政府与党にならねば(でおらねば)国家運営を行えない」からである。つまり、自身が所属する政党が優位でなければ、自身の政治理念も公約も果たせないのだ。▼しかし、例えば、拉致問題などは別だ。「速やかなる全員奪還」という目的を最短で達する手段を、国会議員は全員で命を懸けて成すべきなのである。その他、経済などの問題は議論を尽くして、我が党の政策こそが国民にとって資するのだと各党が競い、国民の判断を仰ぐことになろう。▼先ずは、己の所属する政党を守らねばならないはずだ。やたらと「個人プレー」を囃したてるマスコミであるが、要するに「一枚岩」となり、確乎とした理念の元、健全に政治が行われると困るのだろう。▼とくに「辛いとき」こそ、屋台骨を支える人数は必要となる。68%もあるオバマの支持率に驚いていないで、自身の帰属する政党の支持率を1%でもあげる努力を黙々と行うべきではないか。▼「造反」というと騒がれるし、注目も集まるのだろうが、他人のエラーを笑う奴は、すでに「一緒に戦う」資格はないと気づくべきであろう。


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