忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2011.2.3

2011年02月03日 | 過去記事
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110201/plc11020119240022-n1.htm
<枝野氏「今後は献金断る」 革マル影響下労組から>

<枝野幸男官房長官が、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)の影響下にあるとされる労働組合から過去に献金を受けていた問題について、枝野氏は1日の衆院予算委員会で「今後は『李下に冠を正さず』ということもあり、献金などは断らせていただく」と述べた。自民党の柴山昌彦氏の質問に答えた。
 
問題の労組は、全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)と東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)で、平成8年以降、断続的に計約800万円を枝野氏側に献金していたとされる。枝野氏は両労組との関係について「連合加盟の各産別との付き合いの範囲内で、それ以上でもそれ以下でもない」と釈明した。
 
政府は昨年5月、「(両労組には)影響力を行使しうる立場に革マル派活動家が相当浸透している」との答弁書を閣議決定している>


私がパチンコ屋で働き始めた頃はまだまだ設備が古かったから、役職者などが定期的に「両替機を回って集金する」という業務があった。その際、千円紙幣をスロットコーナーの両替機に補充したりするのだが、中には破れたり汚れたりして「読み取れない紙幣」が混ざったりする。そういう紙幣が混ざらぬよう、思わずポケットに仕舞い込んで、あとから事務所で報告する人もいたりした。もちろん、悪気はないのだが、これがお客目線からすれば「小遣いにしやがった」と見られることもあるかもしれない。それに閉店してから1000円マイナスが出れば、あいつ、そういえば破れた千円札をポケットに入れていたぞ?という目撃情報などから、夜中に呼び出されることも無いとは言えないから、私の管理していた店舗では「ともかく、そーゆーことはするな」と徹底させていた。いわゆる『李下に冠を正さず』である。

ちなみに同じ意味で『瓜田に履を納れず』というのもある。いずれも「疑われるようなことをするな」という警句であるも、これを民主党の官房長官様が言うのは如何なものか。これは民主党というところ自体が「李下」であり「瓜田」であり、そこで議員をしているということ自体が「冠を正す」ことであり「靴を納れる」ということであるから、枝野新官房長官も無理難題をふっかけられたものだ。

警察から「極左暴力集団」として認定され、警戒されている組織をして「いろんな組織とお付き合いがあるから」と言われて納得する国民がいないのと同じく、この政党には何を言っても今更であり、疑われることをするな、というレベルにはなく、もはや、何を言っても信用するな、というところにいる人たちだ。「バレたら捕まるというリスク」を負って犯罪を行う泥棒に申し訳ない。盗られたのは「すもも」や「うり」ではあるまい。







http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110201-00001094-yom-pol

<与謝野経済財政相は1日の衆院予算委員会で、民主党が政権交代前に作った2009年衆院選の政権公約(マニフェスト)の財源捻出策について「民主党は無知だったと言わざるを得ない」と答弁した。

同党のマニフェストは、各公約の財源について、予算組み替えやムダ削減などで16・8兆円を捻出する方針を掲げたが、与謝野氏は著書などでもこの点を批判していた。

答弁の直後には、菅首相も「一部は過大に見積もっていたところもある」と追随し、与謝野氏の考え方が首相に影響を与えている様子をうかがわせた。与謝野氏周辺は、「誤った財源論に固執する民主党の呪縛を与謝野氏が解放してあげているのだ」と指摘する>

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110202-OYT1T00265.htm
<与謝野氏、脱税王発言を釈明「野党だったので」>

<与謝野経済財政相が自民党議員時代、当時の鳩山首相を「平成の脱税王」などと批判したことについて、1日の衆院予算委員会で厳しい追及を受けた。
 
与謝野氏は昨年2月の同委で、鳩山氏が実母から巨額の資金提供を受けた問題で鳩山氏を激しく攻めた。これについて、1日の答弁では「(「脱税王」と)お呼びしたことは事実だが、税務当局が厳格に税の執行を行ったと思う」と論点を外した。そのうえで「野党だからそのぐらいの迫力でモノを言わなければいけないと思った」と釈明した。
 
質問した自民党の稲田朋美議員は「自分が質問した言葉に、立場が変われば責任を持たない。これが与謝野氏の体質だ」と酷評した>


この人は政策通などと言われるが、本質的なところは社労士や会計士などと同じく「専門職」のつもりなんだろう。決して「政治家」としての理念を燃やしてわぁわぁやるタイプではない。条件が整えばどこでも行ってなんでもするのが専門家であるが、これが政治家であると理解し難い言動ともなる。「晩節を汚す」ともなろうが、本人はそんなことを考えているのだろうか。「民主党政権に任せておれないなら、条件を揃えて自分が入り込んでやる」ということだろうが、民主党政権は「マニフェストの見直し」を余儀なくされ、その軟着陸をさせたくてたまらないわけだから、その「条件」とやらもぴたりと揃ったわけだ。また、その効果も如実に表れ始めている。↓


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110201-00001260-yom-pol
<子ども手当「満額」断念、首相「財源過大に…」>

<菅首相は1日の衆院予算委員会で、民主党の2009年衆院選の政権公約(マニフェスト)について、今年9月をめどに行うとしていた社会保障政策の見直しを早ければ4月にも前倒しする可能性を示した。

 具体例として、子ども手当の支給額などをあげ、事実上、満額支給を断念する考えを表明した。マニフェストが掲げた財源については「一部過大に見積もっていたところもある」と認め、問題があったとの認識を示した。

 民主党政策の根幹にかかわる部分について、首相が国会で相次いで修正を表明したのは、社会保障と税の一体改革の推進や、11年度予算案や子ども手当法案など予算関連法案成立に向けた与野党協議を実現させたいとの思惑があるものと見られる>


与謝野氏が民主党政権内で仕事をし、その結果として民主党の詐欺が調整されて、予算の組み替えやらも成され、安定した財源を基にした政策が実行され始めるとしても「民主党がウソをついて政権を盗った」事実は決して消えない。難しいとは思うが、これで日本の景気が上向いても、誰も第二次菅改造内閣の成果だとは思わない。これは「与謝野効果」などとしてマスメディアは書くことだろう。与謝野氏も内閣に入ってからまで「脱税王!」とかやっても仕方がないから、それよりもキチンと仕事をして結果を出そうとしているだけ、であろう。三宅久之氏はテレビで「与謝野氏は政策通であるが政局には疎い」と評していたが、それもその通りなんだろうと思う。気にもしていない感じだ。

つまり、与謝野氏の入閣は民主党政権の延命にならない。私はそこを評価したい。

野党にいて、馬鹿に対して「お前は馬鹿だ!辞めろ!」という仕事も大事であるが、こりゃなんとかせにゃならん、として「中から正す」人がいてもいい。中にいるのに何もできないとぼやく「民主党内保守派」の100人分は立派である。私は前にも「与謝野氏は次の選挙に出ないつもりではないか」と書いた。選挙が怖くないなら「最後のご奉公」には期待できると思っている。一昨年の夏ならばともかく、いまさら、あんな泥船に乗るなど愛国心がなければ出来るはずがない。「大臣のポストに釣られた」というのも当たらない。官房長官から文部科学大臣、通商産業大臣に財務大臣などを歴任してきたベテラン政治家が、3月にも退陣がささやかれる内閣の国務大臣などやりたいと思うはずがない。

「その後の評価」などは、それこそ歴史に任せていればいいのであって、いずれは「あのまま民主党のバラマキが続いていれば・・・」とゾッとすることになると思う。

無論、このような極左暴力集団からの政権奪回は、エジプトのように気合を入れてやらねばならない。ただし、坊主憎けりゃ袈裟まで、とするのは気をつけたい。






http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011020201000166.html
<首相、民主案修正の可能性に言及 年金制度改革で>

<菅直人首相は2日の衆院予算委員会で、社会保障と税の一体改革の中核となる年金制度について「民主党案をベースとするが、そのままスライドするのではない」と述べ、民主党案にこだわらず野党の意見を取り入れて修正する可能性に言及した。2013年8月の衆院議員の任期満了まで消費税率を引き上げないかと聞かれ「基本的な考え方はそういう設計図だ」と述べた。

小沢一郎民主党元代表の証人喚問に賛成するよう求められたのに対し「国会で説明すべきだという考えは変わっていない。最終的には、かかわった政治家自身が自分の責任で対処すべきだ」と述べた。
 
首相は、社会保障と税の一体改革をめぐる協議に野党が応じなければ「歴史に対する反逆行為」とした自身の発言について「若干の言い過ぎがあったとすれば謝りたい」と陳謝。

民主党案の柱である最低保障年金創設に必要な財源について「具体的な数字を固めていない」と述べ、年金一元化についても「難しさは認識している」と答えた。
 
その上で公明党の社会保障改革案を評価。4月に社会保障改革、6月には税との一体改革に関する政府案を提示する考えを重ねて示し、協議への協力を呼び掛けた。
 
環太平洋連携協定(TPP)参加と食料自給率向上の両立については「50%の自給率と両立できる方向性を目指したい」と述べた>



統一地方選を控えたこの状況がわからんのだろう。センスがないというか、客観性がないというか、公明党の21議席が欲しいと喉から足が出ている。実に頼りない。

今までどうやって生きてきたのか知らんが、ともかく、バランスが悪い。タイミングが悪い。いま「ウォーキング用シューズ」で靴底に丸い球体があるモノが売られているが、アレを履くと非常に重心が取りにくいそうだ。要するに、歩く際の「バランス感覚」を養うのに優れている。つまり、バランス感覚を養うためにはアンバランスが必要なわけだ。あのゴム製のでかいボールもそうだが、不安定は安定感を養う。人間も同じく、浅慮な者は悪い意味で安定している。物事がよくわからないから不安がない。自分が不安定だとわからない。自覚がないから反省もしない。そういうのがトップに座ると、具申しても無駄であるから「コケルまで勝手にしろ」と放逐される。鳩山→菅と続く民主党政権だ。

今更「具体的な数字を固めていない」などと吐く無節操は信じられない。票が欲しいから支給額しか言わなかったのだ、と公言しているに等しい愚かな発言である。これはもう、批判する心を折るが如き馬鹿の所業である。なんというバカげた国会なのか。何という馬鹿どもに政権を盗らせてしまったのか。後ろ暗いながらも浅薄な考えで安定してきた不安定な老人など、さっさとバッジを外して田舎で年金暮らしでもしてくれと言いたい。








http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011020200268
<中井予算委員長に抗議=自民>

<自民党は2日昼の衆院予算委員会理事会で、中井洽予算委員長(民主)の議事運営や言動に問題が多いとして「もっと品格ある対応をしてほしい」と抗議した。これに対し、中井氏は「おわびする」と陳謝した。
 
自民党は中井氏が2011年度予算案の提案理由説明を職権で決めたことなどに反発。また、同氏が1日の審議中に携帯電話を使っていたことや、質問に立った自民党の塩崎恭久氏を「塩崎教授」と呼んだことなども問題視し、委員長解任決議案や懲罰動議の提出を検討していた。
 
同党の武部勤筆頭理事は理事会後、記者団に「今後は品位を守って委員長らしく振る舞うと信じたい。イエローカードだ」と述べた>



民主党の国会議員というのは、中小企業の会議でも許されぬ行為を平然とする。こんなの品位もクソも無い。社会人失格なのだ。真面目に仕事するなど、ちゃんちゃらおかしくてやっていられないのだろう。本当に国会から消え去って欲しいものだ。






http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110202/plc11020201310001-n1.htm
<菅首相「尖閣」主張せず 衝突事件後初の日中首脳会談で>

<菅直人首相が昨年10月、ブリュッセルでのアジア欧州会議(ASEM)の際に行った温家宝首相の「廊下懇談」で、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件について「温首相は日本の立場をご存じでしょうから今日は言いません」と語り、一切言及しなかったことが分かった。1日までに複数の政府筋が明らかにした。
 
首相は懇談後、同行記者団に「温首相から原則的な話があり、私も尖閣諸島はわが国固有の領土であり、領土の問題は存在しないという原則的なことを申し上げた」と虚偽の説明をしていた。
 
当時、中国河北省で準大手ゼネコン「フジタ」の日本人社員1人が拘束されていたが、首相は懇談でこの問題にも触れず、社員の早期解放を求めなかったという。
 
日中首脳会談は昨年10月4日(日本時間5日)、ASEM首脳会議の最中に急遽(きゅうきょ)セットされ、廊下を使って約25分間行われた。日本側は別所浩郎外務審議官と山野内勘二首相秘書官、英語の通訳が同席した。
 
懇談で首相が尖閣諸島問題に言及しない意向を示したところ、温首相も同調し「中国固有の領土」とする立場を主張しなかった。その上で「両者とも今の状況では好ましくないということで戦略的互恵関係を進展させることを確認した」(首相)という。
 
懇談について、外務省はホームページに「温家宝首相は尖閣諸島についての原則的な立場を述べた。菅首相は尖閣諸島はわが国固有の領土であり、領土問題は存在しないとの原則的立場を述べた」と、首相の説明に沿った内容を掲載している
中国国営新華社通信も、温首相は釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国固有の領土であると主張したと報じた。日本政府関係者は「日中双方が会談内容の公表範囲をすりあわせた結果だ」としている。
 
一方、9月20日に中国河北省で拘束されたフジタの現地法人社員4人のうち、懇談が行われた時点で1人が解放されていなかった。首相周辺が懇談直前、早期解放を温首相に求めるよう首相に伝えたが、首相は「それはできない」と断り、話題にしなかったという




もはや言葉も無い。朝日新聞はこのとき「日中首脳会談へ極秘交渉 仙谷ルート構築」として提灯記事を書いている(2010年10月6日)。これが政治主導だ!といわんばかりに<細野氏は1泊だけして30日に帰国。中国側から伝えられた内容をすぐさま仙谷氏らに報告した。だが、官邸のお墨付きを得た細野氏の動きを知り、日本外務省は慌てた。日中外交の主導権が政治家側に奪われてしまうためだ>とか書いている。阿呆である。

バタバタとうろたえただけのことを<廊下での首脳会談は約25分間に及んだ。急な出来事と装うためか、菅首相の通訳は通常の「日本語―中国語」ではなく、英語だった>と解釈してもいる。阿呆である。いずれにしても<終了後、菅首相は記者団に対して会談を振り返った。「割と自然に、普通に話ができました」>とか言っているのも情けない。これは普通「何も言えなかった」と表現するのが正しかろう。阿呆である。

朝日新聞は続けて、

<4日夜(現地時間)、ブリュッセルの王宮で開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会合のワーキングディナーの後。菅直人首相と中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相の電撃的な日中首脳会談は、たまたま廊下にあったいすに座って偶発的に行われたように演出された。しかし、実際は1日に極秘に行われた菅内閣の要である仙谷由人官房長官と、中国外交を統括する戴秉国(タイ・ピンクオ)国務委員との電話会談が、首脳会談へのレールを敷いていた>

とか書いてるが、もう、みてらんない(笑)。

外務省を通さず、政治主導で外交ルートを確保して、その結果、本当は何も言ってません、日本国民にはウソをついてました、なわけであるから、もう、どれほどのアレなのか。こいつらは政治というか、仕事を何だと思っとるのか。理屈はもういい。1秒でも早い倒閣が望まれる。誰でもいから、ちゃんとした人がやってくれ。











http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110202/crm11020213430016-n1.htm
<「こう押すから、こう倒れてくれ」警視庁が文科省に情報提供>

<大相撲の現役十両力士の携帯電話に、八百長行為に関与していたとみられるメール記録が残されていた問題で、文部科学省は2日、警察庁を通じて、警視庁が押収したメールの内容について情報提供を受けた。文科省によると、「こう押すから、こう倒れてくれ」などという八百長の具体的な打ち合わせとみられる文章が記されていた。
 
文科省によると、警察庁からは力士の実名や人数のほか、メールの内容すべてが提供された。同省では、内容を確認した上で、日本相撲協会に伝え、徹底的な調査を指示した。
 
文科省はメールをやりとりしていたとされる力士の名前や人数は明らかにしていない>



マスコミは嬉しそうだが、視聴者はもう、お腹一杯だろう。いずれにしても、いまさら、誰も驚かないし、やっぱりね、と言うだけだ。お相撲さんを「競技者」としてみるのがおかしいのであるが、それでも「神事」として捧げる伝統芸能を汚したとするならば、さっさと相撲協会など解体して創り直せばいいだけだ。ドスコイの八百長を言う前に、もっと酷い八百長が行われているところもある。国会とかな。








http://www.news-postseven.com/archives/20110202_11374.html
<中国人観光客 ルーブル美術館で展示品をベタベタ触り逆ギレ>

<韓国・ソウルを旅行していたニューヨーク在住の華人評論家・陳勁松氏は韓国大統領府である青瓦台前で、中国人観光客らが警官の制止を聞かずに写真を撮っているのを見かけた。閲兵交代式などが観光客に人気の青瓦台だが、実際に大統領が執務している政治の中枢であり、たとえば外国首脳の車列が入るときなどは撮影禁止のルールがある。
 
警官らは中国人観光客に「車列が通り過ぎる10分間だけ待つように」と英語で呼び掛けたが聞かず、写真を撮り続けたので、警官が手を押さえて止めさせようとしていた。ところが中国人観光客は数にものを言わせて強引にカメラを向けようとしていた。陳氏は英語がわからない故のトラブルだと思い、中国語で説明して注意したが、中国人観光客は「なぜいけないのか!」と逆ギレしたという。

「どうしてわずか10分、協力できないのか。中国人はマナーやルールを知らないのではない。知っていて破るからタチが悪い!」と陳氏はきっぱり言う。
 
パリ・ルーヴル美術館でも、中国人観光客の蛮行が目に余ると、他国の観光客からのひんしゅくを買っている。展示品にべたべた触る。彫刻の人物の肩に手をまわしてピースサインで写真を撮るなどやりたい放題。

「引率の中国人女性のツアーガイドに、『ああいうのは止めさせないといけない』と意見したら、『ちゃんと展示物をガードしていないから、仕方ない』と平然と言う。そういう責任転嫁をされると、ほんと言葉を失います」と北京で旅行代理店に勤務する日本人女性は言う>




このニューヨーク在住の華人評論家とやらの評価は甘い。支那人は「知っていて破る」だけではなく、破ることが得することだと思っているから、破らずにおれないのだ。「ルールを守る」ということが通じるのは「秩序ある社会」に限られる。それは「ルールを守ること」がそのまま「自分の権利も守ること」につながるはずだからだ。「やったもん勝ち」の社会では、非常にプリミティブ(原始的)な競争原理が横行することは言うまでも無い。だから、普通の人間社会にはルールがあり、そこで暮らす人々はルールを守るように努めるわけだ。そして、支那人にはこれが通じない。

簡単に言えば「明日」がない。明日がないのに今日を真面目に生きるのは難しい。例えば「明日世界は滅亡する」となれば、社会の秩序はある程度乱れる。それでも心ある人は「最後くらい穏やかに過ごしたい」とか言って、とある日常を繰り返すだけに専念する崇高なる人もいるだろうが、これは秩序正しく、平穏に暮らすことの慶びを知っているからである。一党独裁の管理社会における漢民族の思考とは、わかりやすく、且つ、カッコよく言えば「サバンナ」のそれと似ている。ハイエナに「死肉など喰うな」と言っても通じないのと同じく、支那人に並びなさい、展示品には触れないようにしなさい、と言っても無駄である。これは支那人の悪口でもなんでもなく、差別的な意味合いも全く無い。単なる客観的事実なのである。私は本気で「この理解からしか日中友好はない」と思う。

アングロサクソンが男同士で抱き合うのも、何にでもケチャップをかけてすっぱ不味くするのも仕方がないことならば、支那人がルールを守らないのも同じく、仕方がないことだ。これは帽子やネクタイを身に付けるのと同じで、実に自然な民族的振舞いなのである。これに文句を言ってはいけない。それは民族差別である。

私は支那人と付き合うならば、それくらい我慢しろと思う。支那人に失礼なのである。私は支那人のモラルハザードを擁護したい。「ルールを守らない」のが彼らのルールなのであり、それこそが漢民族としてのモラルであり、誇りなのだ。

ジャングルの奥深くの部族が、下唇に数十センチの皿を入れていても仕方がない。生まれたときに首に輪っかをつけて伸ばしていても勝手な話だ。同じく、支那人は並ばないし、道に唾を吐くし、トイレは汚さねばならない。誰も見ていなければ盗むし、仕事はサボるし、ウソでもなんでも「その場の勝利」を掴まねばならない。これは尊重すべきだ。

それが無理、というなら付き合うな、と言うだけだ。私はお断りだ。



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