忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「沖縄慰霊の日」

2008年06月24日 | 過去記事
■2008/06/23 (月) 「沖縄慰霊の日」1

この日記でもチラリと取り上げたが――――――

「毎日新聞英語版」・・・こんな問題ばっかりだったわけだww

<http://mainichi.jp/life/weekly/quiz/news/20080613wek00m040011000c.html
秋葉原通り魔事件で、7人が死亡した。「通り魔」を英語で?
http://mainichi.jp/life/weekly/quiz/archive/news/2008/06/20080531wek00m040005000c.html
硫化水素による自殺が多発し、世間を騒がせている。「自殺」を英語で?
http://mainichi.jp/life/weekly/quiz/archive/news/2007/10/20071026wek00m040001000c.html
アメリカでは銃乱射事件が頻発しているが、「銃乱射」を英語で言うと?
http://mainichi.jp/life/weekly/quiz/news/20080618wek00m040002000c.html
岩手・宮城内陸地震で多く発生した「土砂崩れ」を英語で?
http://mainichi.jp/life/weekly/quiz/archive/news/2008/05/20080523wek00m040012000c.html
サイクロン犠牲者の子供達は「人身売買」の危険にさらされている。これを英語で言うと?>

最低だな。これはただでは済まんだろう。

で、まとめサイトもできたようだ。深呼吸してから読んだほうが良い。
http://www9.atwiki.jp/mainichiwaiwai/

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で――――

昭和20年6月23日。
筑紫の誕生日でもあるww。73歳。おめでとうございます。

この日は沖縄で「組織的な戦闘」が終わった日。もちろん、アメリカ兵が星条旗をあげてガッツポーズをしているときにも、散発的な戦闘行為は行われ続ける。

本土防衛の礎となった沖縄。そして圧倒的な米軍を相手に戦った日本軍兵士と沖縄県民に、心から追悼の意を表したい。

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さて、「沖縄慰霊の日」ということで毎日新聞も特集を組んでいる。

http://mainichi.jp/select/wadai/graph/okinawa1945/
<沖縄戦:「鉄の暴風」死者20万人、徹底抗戦で「捨て石」に>

22日。京都・護王神社にて行われた「沖縄を考える京都の集ひ」に参加させていただいた際、この「鉄の暴風」の「雨粒」となった砲弾に直接触れる機会があった。半分ほどの「かけら」になってもまだ、これほどの重さとは・・・こんなものが雨あられと降り注ぐ地獄絵図を想像するだけで、アメリカが行った国際法なんぞ歯牙にもかけぬ非道、無差別大虐殺がどの程度のものだったのかと理解できる。

「2」へ

■2008/06/23 (月) 「沖縄慰霊の日」2

アングロサクソンの残虐性とは、我々の想像以上なんだろう。この記事にも、「米兵が女の子に水を飲ませている」写真が使われているが、これこそまさに、過日の虹の総会で河内屋顧問が言っていた「アメリカはかわいそうな人が好きなんです。」という最低の偽善を見た気がする。他にも毎日新聞さん(笑)が載せているので「偽善の山」を見ておくことにしよう。

それにしても、だ。島が割れるほどの艦砲射撃を繰り返し、殺しまくってから上陸してきて、哀れみたっぷりの上から目線で「かわいそうに・・・」とは、いやはや恐れ入る。

オンナをボコボコにしてから風俗で働かせ、帰ってくる時間に「味噌汁」を作って待つヤクザのようなもんだ。恐怖と感謝が入り混じり、心を崩壊させるやり口である。

で、日本が大嫌いな毎日新聞さん(笑)は、ドサクサにまぎれてこんなん載せる。

http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20080623rky00m040002000c.html
<慰霊の日:中国と共通歴史体験を 佐喜眞美術館でシンポ>

聞きに来たのは70名だと。ということは、半分以下、30名くらいだったんぢゃないか?こんな小さい集まりを報じるとは、よほど気に入ったわけだww

ま、まあ、ともかく、読んでからだ。読んでから。

<仲里氏は、沖縄戦と「集団自決」(強制集団死)をテーマにした月刊誌「世界」臨時増刊号に掲載された韓国・聖公会大学教授のクォン・ヒョクテ氏の論考を取り上げ「ヒョクテ氏は、沖縄戦や『集団自決』、教科書問題は、東アジア共通の問題と提示している」と指摘。当時、沖縄に駐屯した日本軍の大半が中国大陸から移動してきた点に触れ、「沖縄戦も、中国への侵略戦争と同じ文脈の中で語り直していく局面に立たされていると痛感している」と語った。>

このボケが痛感するのは勝手だが、なにをどうして「同じ文脈の中で語り直す」のかを全く説明していない。なにをして「共通の問題」と威張っているのかを説明しない。

「3」へ

■2008/06/23 (月) 「沖縄慰霊の日」3

で、更にもうひとりの阿呆はこんなことを言う。

<目取真氏もまた「南京大虐殺、従軍慰安婦問題、集団自決は、日本軍の名誉を汚す3点セット。政府は戦後60年プロジェクトとして、教科書の記述を変えてきている。中国との流れの中で集団自決もある」と指摘、「沖縄人もアジア侵略の一方の担い手であったことを忘れてはいけない」と提起した。>

誰か説明してくれんか。私の読解力は3の倍数のとき以外でも阿呆になってしまったようだ。わけがわからん。もう「日本人」とか「日本」というだけで「無条件に断罪されるべき」と言っているとしかわからない。何の脈略もない。根本的に、意図的に曲げているし、そこから更に捏造を飛躍させるからもう、むちゃくちゃだ(笑)。

それに、相変わらず「強制集団死」などという、おかしな日本語はいかがなものか?なんとも破廉恥な表現ではないか。もちろん、沖縄タイムスも書いているがな。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080623.html#no_1
<バトンは私たちの手に>

バトンだとww

どうでもいいことだが、売国左派の歌とかには「バトン」がよくでてくるなww

「襷(たすき)」はなんか嫌なのかww?

<沖縄は昨年来、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する高校歴史教科書検定問題で揺れている。その中で、誰にも話したことのない忌まわしい記憶を、語り始めた体験者たちがいる。自らの体験と周りの証言を重ね合わせることで、初めて自分の記憶の本当の意味を知る人もいる。教科書検定問題で、文部科学省は「集団自決」について、軍の関与を示す記述の復活は認めた。が、「軍の強制」という表現は、どの教科書にも盛り込まれなかった。>

もう、どこも「軍命」とは書かない。薄汚い奴らである。先の沖縄集団自決冤罪訴訟の地裁判決においても「軍命は認められない」としながら、「関与はあったと判断する」として名誉棄損という訴えを認めなかった。もう、いい加減、ちゃんと誠実に対応したらどうか。

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しかし、これはもう「悲鳴」に近いものを感じる。言葉ではなく「音」に近い。

「4」へ

■2008/06/23 (月) 「沖縄慰霊の日」4

東京新聞なんかもう、どうするんだ?これ?

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2008062302000094.html
<東京新聞・筆洗>

筆洗いか筆おろしがなんかしらんが、なんともまあ、話が変わってしまったようだ。

ゲーテなんぞを持ち出し<過去は静かに立っている>としてからこう続ける。

<(前略)▼沖縄は今日「慰霊の日」を迎えた。六十三年前、沖縄戦での日本軍の組織的な戦闘が終結した日に当たる。マラリアでの病死や餓死などを含めると、県民の犠牲者は四人に一人に相当する十五万人前後と推定されている▼もう六十三年たったのだから、過去は語り尽くされていると誤解されやすいが、そうではない。あまりに過酷な体験ゆえに、口にすることができない人が少なくない。まだ六十三年しかたっていないのである▼地元紙の『琉球新報』に、聞き取り調査を何度頼んでもこの四十年間応じなかった人たちが、今年になって応じたとの記事が載っていた。「集団自決」から生き残った体験談である▼教科書における集団自決の記述が揺れ動いたことへの危機感が、重い口を開かせたのだろう。体験したことでも沈黙を続けていれば、なかったこととして扱われかねない▼日本軍による沖縄での「住民虐殺」を早くから証言してきた人は「歴史は残そうとする努力があってはじめて残るもの」だという。同じ過ちを繰り返さぬため、いつまでも努力を続けよう。過去は幸いにして、永久に静かに立っている。>

「5」へ

■2008/06/23 (月) 「沖縄慰霊の日」5

私は驚いた。

<日本軍による沖縄での「住民虐殺」を早くから証言してきた人は「歴史は残そうとする努力があってはじめて残るもの」だという。>

もう、日本軍が「住民虐殺」をしたという話になっている。(。゜ω゜) ハッ

なるほど。それで毎日新聞は「中国との関連性あり」というわけだ。どちらも加害者は日本軍であるということだな。で、連携プレイ。朝日新聞きましたコレ。

http://www.asahi.com/national/update/0623/TKY200806230089.html
<沖縄戦語り部、大城盛俊さん引退へ 「残酷なのは戦争」>

<大城さんは沖縄戦当時12歳。「男の子は日本軍に何をされるか」と案じた父が少女の格好をさせていたが、食べ物を持っていこうとした日本兵に殴られて右目失明などの大けがを負った。米軍に手当てを受けている写真を、琉球大教授だった大田昌秀・元沖縄県知事が「うつろな目の少女」と名付けて本の表紙に使い、大城さんは84年に「これは私」と名乗り出た。>

なんだろう・・・これは・・・

<「男の子は日本軍に何をされるか」と案じた父が少女の格好をさせていたが>

反対はよく聞く。例えば沖縄でも、米兵にレイプされるから「女の子も丸坊主」にして男の服を着せるというのは知っている。無論、日本軍がホモだったということにしたいわけでもあるまい。そして、ならば、どういうことなのかと想像してみると、これって学徒隊(※沖縄戦では白梅隊・名護蘭隊・積徳隊・瑞泉隊・でいご隊などの学徒隊が組まれた)に入れられるのを避けたかっただけぢゃ・・・?もちろん、学徒隊に召集されるのは15才からであったが、状況が状況だけに、当時、12才の男児ということだから、その可能性も否定できん。で、血気だった日本兵に女装がばれて殴られたとか・・・?

「6」へ

■2008/06/23 (月) 「沖縄慰霊の日」6

更に、

<沖縄住民は「我々が皆さんを守る」という日本軍に住まいや食糧を提供し、道路や陣地作りに動員され、最後は米軍の砲弾の嵐から逃げまどった。日本兵は、壕(ごう)から出る時には住民を先に立てて“盾”にした。大城さんの実母もスパイと疑われて殺された。>

これらもよく聞く話である。で、実際、そういうこともあったんだろう。

そしてこれらも、「軍隊とは国対を護る」という世界共通の常識さえ教えていれば、悲しくも悲惨な過去として認識すれど、現在の日本政府に賠償を求めたり、腐れ売国奴の反戦イデオロギーに悪用されたりすることはなかったと思う。軍隊は警察ではないから「町の治安」を護るために存在しているのではない。

あくまでも国家、国体こそを護るために存在するのである。その延長線上、その結果として「国民の生命も護る」ということと知れているのだ。無論、だからといって「住民を盾に」しながら米兵に向って行ったということが正当化されるわけではない。

しかし、あくまでも人間として、ヒューマニズムの観点からであれば「それはなんとも酷い話だ・・・」と憤ることもあろう。尚且つ、現代のこの平時において、過去の凄惨な戦場、比類なき激戦を振り返るに、理解に苦しむこともあろう。

そして、これら各紙が書く、

「戦争は悲惨」
「繰り返してはならない」
「平和のありがたさ」
「生命の尊さ」

などの奇麗な言葉が本当ならば、悲惨な犠牲者は住民だけでなく、いや、むしろ、兵隊さんも国民だったのだと思い返し、安穏たる現在の平和から、激動の時代を生き抜いた「当時」を断罪するような愚は止めて欲しい。

「7」へ

■2008/06/23 (月) 「沖縄慰霊の日」7

支那人が「侵略戦争を仕掛けた!」と過去の日本を断罪しようとすることは勝手だが、日本に住む日本人が、ちゃんと勉強もせず「そうだったんだ!」とびっくらするのは止めてくれ。現在の平和が、あなた達の大好きで大切な平和とは「どうやって維持されているのか」をちゃんと考えて欲しい。そして、それが「どのように壊れて行くのか」も考えてみて欲しい。

ともかく、だから「武器を持たないでおこう」という考えは「本当に可能ならば」素晴らしいことだが、もう、そろそろ現実というものを観て、その大切な平和を「維持する」覚悟を持たねばならないのではないか?

「沖縄慰霊の日」

我々が思わねばならんことは、

「かわいそうに。今みたいな平和な時代に産まれてくればよかったね?」

というアングロサクソン的な上から目線で同情することではあるまい。

本土を護るために犠牲になった沖縄に学び、沖縄県民の覚悟に学び、日本の兵隊さんの御苦労に学ぶことではないのか。「もう、あんな目に遭いたくない」と声高に叫ぶより、「よくぞ、あんな目に遭いながらも、勇敢に闘ったものだ。」と感銘を受け、その「意義」というものに気づかねばならんのだ。数多の掛け替えのない命から学ぶことが、

「戦争は嫌だ」

という、餓鬼でもわかることだけであっていいはずがない。

国家とはなんなのか。日本国とはなんなのか。

日本人とは何なのかを考える日にしたい。

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