今はもうなくなったが、以前は何度か注意しても、玄関の前に傘が置いてあることがあった。雨に濡れた傘を立てかけているのだが、その雨水はぽたりぽたりと玄関前の共用部分を濡らす。もちろん、たかが傘だから、そんなザブザブ流れるほどの水は出ない。傘の周囲に丸く跡がつくだけだ。向かいの家の玄関にも2~3本あった。
私が帰宅すると傘と一緒に玄関に入る。そして一言だけ注意する。母親がするから倅もする。一日中降り続く雨の日ならば、玄関の横には2本の傘が立っていることになる。また、我が家にも一応、傘を収納する場所くらいはあって、そこに水が溜まるのが嫌ならば、しっかりと雨水を切って収納するか、もしくは、雑巾で拭きとればいい。
私の注意点はひとつだけだ。「共用部分に私物を置くな」である。一見すると、誰の迷惑にもなっていないかもしれないが、それはそれ、これはこれ、してはならんということはしてはならんのである。おそらく、妻も倅も「そんなことなら、もう、傘をさすことを禁ずる」とか言われて、玄関先の傘だけではなく、お気に入りの傘も含めて、家中のすべての傘を叩き折られると判断したのだろう。私はそういうことをするタイプのお父さんである。だから、我が家の玄関先が雨水に濡れることはなくなった。
「人様に迷惑をかけてはならない」
実践し続けるのはなかなか難しいことだが、昔の日本人はこれを指針として教えられた。相当、いい加減に生きてきた私ですら、オカンと祖母の口癖がこれだったと記憶している。また、この上げ足を捕らえた「人の迷惑にならねば何をしても良い」は、往々にして「結果的に迷惑をかけること」になることが多いので賛同しかねるが、いずれにせよ、じゃんじゃん迷惑をかけるよりはマシなのかもしれない。もしくは、堂々と迷惑をかけておいて開き直り、迷惑をかけることが当たり前、それを迷惑と思うなど許さぬという精神にまで堕すならば、己の勝手で援助交際でも何でもやって、野良犬のような生活ながらも生きている「家出少女」の方が真っ当な精神なのかもしれないと思う。すなわち、「未成年の少女を買春する変態」のほうが公共心という点においてはマトモなのかもしれないのだ。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100104/biz1001042246045-n1.htm
<“ごね得”許した「派遣村の品格」 費用は6千万円大幅超の見込み>
これはもうパブリックニューサンス、いわゆる「公害」である。高度成長における環境汚染などの公害と同じく、新たな「人権公害」が発生している。これはもう「環境災害」である。水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病、光化学スモッグなどは人々の健康を害するものであったが、同じく、これはモラルを破壊する意味で社会に有害なものだ。
<「不平を言えば融通が利く。みんな“ごね得”だと気付いている」。4日閉所した東京都の「公設派遣村」を出た男性(34)は“村”での生活をこう皮肉った。派遣村では開所以来、行政側と入所者の衝突が絶え間なく続いた。職員の口のきき方への不満に始まり、昼食代の現金支給を求める入所者…。当初、目的だったはずの就職相談は不調に終わり、職員は最後まで入所者への対応に右往左往した>
奈良の鹿でも煎餅もらえば頭を下げるが、人権という毒にやられた汚染物体は、馬よりも使えず、鹿よりも忘恩を恥じない。もう「オンナよこせ、酒飲ませろ」というまでもう少しである。日本人としては、実に深刻な病状である。
日本は公害対策の技術などを、それこそ「売るほど」に研究してきた。それは技術云々、知識云々よりも、いわば「日本人の道徳観念」をモチベーションの下支えとし、世界でも有数の環境保護国となった。製品を作って売れば金になるが、言うまでもなく、環境対策などは金にならない。それでも日本は発展しながら公害を退治し、今や日本が大嫌いな人らも「日本は環境保全の技術を途上国に差し上げろ」というまでになった。
今度も同じだ。世界でも有数の友愛国家、脅威の人類皆兄弟、人権や平等、平和や友好を大量生産する上で、このような「してもらって当たり前」というだらしのない人間、社会にとって有害でしかないカスどもが増えすぎた。左巻きのくるくるパーに言われるまでもなく、これは早急に対策を講じねばならない。対策といっても、昼間からうなぎ弁当やとんかつ弁当食わせろというのではない。エアコンの効いたワンルームを提供することでもない。「自分らしい仕事」とか「やりたい仕事」がみつかるまで飼ってやることでもない。
<利用者数は当初の想定を超え、約6000万円と考えられていた費用も大幅に膨らむ見込み。費用はすべて国の負担で、都の幹部は「結局、政治のため」とぼやいた>
「国の負担」とは「国民負担」のことである。想像してみてほしい。もし、あなたが財布から金を出してメシを喰わせて年を越す部屋を用意してやって「口のきき方」に文句を言われたらどうだろう。約束の期日が過ぎても「なぜ、ホテルを用意しないんだ!」というようなカス、どうやったら相手に出来るのだろう。まったく考えられんのだが、それは私に器量がないだけでもあるまい。こんなの、もう、隔離して矯正するしか思い浮かばん。
もしくは、意図的に利用するかだ。
こんな感じだな。↓
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100104/biz1001042340046-n1.htm
<「公設派遣村」閉鎖 昨冬の「派遣村」元村長「住宅施策が必要」>
友愛政党に取り込まれた極左の革命闘士は、日本国民の血税を使ってこのカスどもの家を用意せよと威張っている。心の底からお断りだ。
<今後の課題については、「住宅のない人が多く、改めて住宅の施策が必要だと感じた。福祉は自治体の負担だが、国がサポートすることも検討してよいのではないか」と話した>
日の丸も君が代もいらぬと、日本はともかく悪くて酷い国だというのに、その大嫌いな日本に対してサポートせよとはどういうことか。まあ、だから「お願いします、ありがとうございます」ではなく「やれ」となるわけなのだが、普通は申し訳なくて、我が家の家賃も国に払ってもらうくらいならば、隠している酒を売ってでも払うのが常識だろう。
「国のために兵隊に行くなんて阿呆らしい」という者どもこそ、国に「おら、養えよ、おら」とやる。これを腐った根性と言わず、何と言うのか。
そういえば、なにかで「デンマークこそが幸せな国」だとやっていた。そこに住む国民の多幸感を競ったものだったと思う。デンマークが一位で、日本は40番目以下だった。
どこまでか知らんが、デンマークでは生活にかかる費用はすべて国が出すと、医療も学費もタダだということだ。ならば派遣村の連中は「平和の船」にでも乗ってデンマークを行けばいいのだが、おそらく、そこでも生きてはいけまい。
もちろん、そんな素敵なデンマークは高福祉高負担だが、それは当たり前としても、デンマークには徴兵制度もある。イザとなれば銃を持って国を護る気概を示さねばならん。帰化するにも7年間は品行方正を求められ、その間に何かあれば、また遡って7年間を要するほど厳しい条件がつけられている。どこぞの友愛国家のように「愛のテーマ」だとかで参政権もくれるわけない。また、帰化する際にはデンマークに関するテストもされる。当たり前の話だが、デンマーク人になるには「デンマークのために命を投げ出せるかどうか」を問われるのだ。びっくりしている人もいるかもしれないが、こっちが世界の常識である。
「してくれて当然」という国民に政党が阿る。諂う。これって民主主義の国では、およそ最悪の状態ではないのか。カプセルホテルで威張っている連中だけではなく、「くれるんだったらもらう♪」とか「タダになるならいいじゃん♪」と投票所に走った人らも安易に過ぎたのではないか。国とはそういうものなのか。政府とはそういうものなのか。
1950年代。冬のロンドンでは「映画館のスクリーンが見えなくなるほど」大気が汚れた。いわゆる「ロンドンスモッグ」だ。その頃のロンドンは路面電車ではなく、ディーゼルのバスが走りまわっていた。その冬はとくに寒く、ロンドンの人々は暖房をかかすことが出来なかった。二酸化硫黄を含んだ大気は上空に集まって溜まっていたが、北海の寒気団がロンドン上空にやってくると町に下りてくる。病院は気管支炎の患者で溢れ、心臓病を患っている人はバタバタと倒れた。そうやって年が明けて春が来るまでに12000人死んだ。
人は自分に害がないと気づかない。
日本でも四日市では、ぜんそくの原因が分からず、工場の煙突を高くした。より上空に煙を吐き出せば何とかなると思ったのだろう。しかし、言うまでもなく、それは全くの逆効果だった。二酸化硫黄を含んだ大気は広がるだけ広がった。当初、工員住宅付近だけだったものが、こうやって四日市全体に広がったわけだ。
人は自分に害がないと気づかない。そして、気付いた時にはもう遅い。
テレビで「気の毒な人がいるなぁ」と他人事のように言えるのは、あと何年か。働かずに家を出せ、メシを出せ、金を出せという連中が、このまま増えるとどうなるか。「一宿一飯の恩義」など鼻で笑い、この俺様がこんな暮らしなのは、国が悪い企業が悪いお前が悪いと、徒党を組んで堂々たる態度で要求し始めている。背後には明確に革命政党がついている。政府与党はだらしなくも、それを放置、あろうことか、それを選挙に利用するとまで考える体たらく。このままだと来年は3千人、再来年は5千人、用が済んで人民解放軍に「(この世から)解放」されるそのときまで増え続けるのだろうか。
なんとも恐ろしいが、ともかく、
「人に迷惑をかけない」
これが難しいならば、せめて、
「人に迷惑かけたら謝る」「人様の世話になったら礼を言う」
くらいのことは覚えねばならない。
私が帰宅すると傘と一緒に玄関に入る。そして一言だけ注意する。母親がするから倅もする。一日中降り続く雨の日ならば、玄関の横には2本の傘が立っていることになる。また、我が家にも一応、傘を収納する場所くらいはあって、そこに水が溜まるのが嫌ならば、しっかりと雨水を切って収納するか、もしくは、雑巾で拭きとればいい。
私の注意点はひとつだけだ。「共用部分に私物を置くな」である。一見すると、誰の迷惑にもなっていないかもしれないが、それはそれ、これはこれ、してはならんということはしてはならんのである。おそらく、妻も倅も「そんなことなら、もう、傘をさすことを禁ずる」とか言われて、玄関先の傘だけではなく、お気に入りの傘も含めて、家中のすべての傘を叩き折られると判断したのだろう。私はそういうことをするタイプのお父さんである。だから、我が家の玄関先が雨水に濡れることはなくなった。
「人様に迷惑をかけてはならない」
実践し続けるのはなかなか難しいことだが、昔の日本人はこれを指針として教えられた。相当、いい加減に生きてきた私ですら、オカンと祖母の口癖がこれだったと記憶している。また、この上げ足を捕らえた「人の迷惑にならねば何をしても良い」は、往々にして「結果的に迷惑をかけること」になることが多いので賛同しかねるが、いずれにせよ、じゃんじゃん迷惑をかけるよりはマシなのかもしれない。もしくは、堂々と迷惑をかけておいて開き直り、迷惑をかけることが当たり前、それを迷惑と思うなど許さぬという精神にまで堕すならば、己の勝手で援助交際でも何でもやって、野良犬のような生活ながらも生きている「家出少女」の方が真っ当な精神なのかもしれないと思う。すなわち、「未成年の少女を買春する変態」のほうが公共心という点においてはマトモなのかもしれないのだ。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100104/biz1001042246045-n1.htm
<“ごね得”許した「派遣村の品格」 費用は6千万円大幅超の見込み>
これはもうパブリックニューサンス、いわゆる「公害」である。高度成長における環境汚染などの公害と同じく、新たな「人権公害」が発生している。これはもう「環境災害」である。水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病、光化学スモッグなどは人々の健康を害するものであったが、同じく、これはモラルを破壊する意味で社会に有害なものだ。
<「不平を言えば融通が利く。みんな“ごね得”だと気付いている」。4日閉所した東京都の「公設派遣村」を出た男性(34)は“村”での生活をこう皮肉った。派遣村では開所以来、行政側と入所者の衝突が絶え間なく続いた。職員の口のきき方への不満に始まり、昼食代の現金支給を求める入所者…。当初、目的だったはずの就職相談は不調に終わり、職員は最後まで入所者への対応に右往左往した>
奈良の鹿でも煎餅もらえば頭を下げるが、人権という毒にやられた汚染物体は、馬よりも使えず、鹿よりも忘恩を恥じない。もう「オンナよこせ、酒飲ませろ」というまでもう少しである。日本人としては、実に深刻な病状である。
日本は公害対策の技術などを、それこそ「売るほど」に研究してきた。それは技術云々、知識云々よりも、いわば「日本人の道徳観念」をモチベーションの下支えとし、世界でも有数の環境保護国となった。製品を作って売れば金になるが、言うまでもなく、環境対策などは金にならない。それでも日本は発展しながら公害を退治し、今や日本が大嫌いな人らも「日本は環境保全の技術を途上国に差し上げろ」というまでになった。
今度も同じだ。世界でも有数の友愛国家、脅威の人類皆兄弟、人権や平等、平和や友好を大量生産する上で、このような「してもらって当たり前」というだらしのない人間、社会にとって有害でしかないカスどもが増えすぎた。左巻きのくるくるパーに言われるまでもなく、これは早急に対策を講じねばならない。対策といっても、昼間からうなぎ弁当やとんかつ弁当食わせろというのではない。エアコンの効いたワンルームを提供することでもない。「自分らしい仕事」とか「やりたい仕事」がみつかるまで飼ってやることでもない。
<利用者数は当初の想定を超え、約6000万円と考えられていた費用も大幅に膨らむ見込み。費用はすべて国の負担で、都の幹部は「結局、政治のため」とぼやいた>
「国の負担」とは「国民負担」のことである。想像してみてほしい。もし、あなたが財布から金を出してメシを喰わせて年を越す部屋を用意してやって「口のきき方」に文句を言われたらどうだろう。約束の期日が過ぎても「なぜ、ホテルを用意しないんだ!」というようなカス、どうやったら相手に出来るのだろう。まったく考えられんのだが、それは私に器量がないだけでもあるまい。こんなの、もう、隔離して矯正するしか思い浮かばん。
もしくは、意図的に利用するかだ。
こんな感じだな。↓
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100104/biz1001042340046-n1.htm
<「公設派遣村」閉鎖 昨冬の「派遣村」元村長「住宅施策が必要」>
友愛政党に取り込まれた極左の革命闘士は、日本国民の血税を使ってこのカスどもの家を用意せよと威張っている。心の底からお断りだ。
<今後の課題については、「住宅のない人が多く、改めて住宅の施策が必要だと感じた。福祉は自治体の負担だが、国がサポートすることも検討してよいのではないか」と話した>
日の丸も君が代もいらぬと、日本はともかく悪くて酷い国だというのに、その大嫌いな日本に対してサポートせよとはどういうことか。まあ、だから「お願いします、ありがとうございます」ではなく「やれ」となるわけなのだが、普通は申し訳なくて、我が家の家賃も国に払ってもらうくらいならば、隠している酒を売ってでも払うのが常識だろう。
「国のために兵隊に行くなんて阿呆らしい」という者どもこそ、国に「おら、養えよ、おら」とやる。これを腐った根性と言わず、何と言うのか。
そういえば、なにかで「デンマークこそが幸せな国」だとやっていた。そこに住む国民の多幸感を競ったものだったと思う。デンマークが一位で、日本は40番目以下だった。
どこまでか知らんが、デンマークでは生活にかかる費用はすべて国が出すと、医療も学費もタダだということだ。ならば派遣村の連中は「平和の船」にでも乗ってデンマークを行けばいいのだが、おそらく、そこでも生きてはいけまい。
もちろん、そんな素敵なデンマークは高福祉高負担だが、それは当たり前としても、デンマークには徴兵制度もある。イザとなれば銃を持って国を護る気概を示さねばならん。帰化するにも7年間は品行方正を求められ、その間に何かあれば、また遡って7年間を要するほど厳しい条件がつけられている。どこぞの友愛国家のように「愛のテーマ」だとかで参政権もくれるわけない。また、帰化する際にはデンマークに関するテストもされる。当たり前の話だが、デンマーク人になるには「デンマークのために命を投げ出せるかどうか」を問われるのだ。びっくりしている人もいるかもしれないが、こっちが世界の常識である。
「してくれて当然」という国民に政党が阿る。諂う。これって民主主義の国では、およそ最悪の状態ではないのか。カプセルホテルで威張っている連中だけではなく、「くれるんだったらもらう♪」とか「タダになるならいいじゃん♪」と投票所に走った人らも安易に過ぎたのではないか。国とはそういうものなのか。政府とはそういうものなのか。
1950年代。冬のロンドンでは「映画館のスクリーンが見えなくなるほど」大気が汚れた。いわゆる「ロンドンスモッグ」だ。その頃のロンドンは路面電車ではなく、ディーゼルのバスが走りまわっていた。その冬はとくに寒く、ロンドンの人々は暖房をかかすことが出来なかった。二酸化硫黄を含んだ大気は上空に集まって溜まっていたが、北海の寒気団がロンドン上空にやってくると町に下りてくる。病院は気管支炎の患者で溢れ、心臓病を患っている人はバタバタと倒れた。そうやって年が明けて春が来るまでに12000人死んだ。
人は自分に害がないと気づかない。
日本でも四日市では、ぜんそくの原因が分からず、工場の煙突を高くした。より上空に煙を吐き出せば何とかなると思ったのだろう。しかし、言うまでもなく、それは全くの逆効果だった。二酸化硫黄を含んだ大気は広がるだけ広がった。当初、工員住宅付近だけだったものが、こうやって四日市全体に広がったわけだ。
人は自分に害がないと気づかない。そして、気付いた時にはもう遅い。
テレビで「気の毒な人がいるなぁ」と他人事のように言えるのは、あと何年か。働かずに家を出せ、メシを出せ、金を出せという連中が、このまま増えるとどうなるか。「一宿一飯の恩義」など鼻で笑い、この俺様がこんな暮らしなのは、国が悪い企業が悪いお前が悪いと、徒党を組んで堂々たる態度で要求し始めている。背後には明確に革命政党がついている。政府与党はだらしなくも、それを放置、あろうことか、それを選挙に利用するとまで考える体たらく。このままだと来年は3千人、再来年は5千人、用が済んで人民解放軍に「(この世から)解放」されるそのときまで増え続けるのだろうか。
なんとも恐ろしいが、ともかく、
「人に迷惑をかけない」
これが難しいならば、せめて、
「人に迷惑かけたら謝る」「人様の世話になったら礼を言う」
くらいのことは覚えねばならない。