忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「恋愛感情」

2010年12月13日 | 過去記事
「恋愛感情」

産経新聞に60代男性からの投稿があった。「悩み相談」のようなものらしく、これに31歳の住職が答える。悩みは「ハイキングに行ったら案内役の30代女性が優しく接してくれた。次もハイキングに参加したいとの手紙を送ったら“楽しみに待ってます”と返事をくれたのだが、これはもしかすると期待してもよろしいのでしょうか?」という内容だ。

この60代男性は独身で結婚願望がある。でも女性は苦手で声をかけられたこともなければ、声をかけても逃げられるという。この60代男性に対して31歳住職はアドバイスする。

「過剰な期待は禁物。どちらにせよ、もっとわかりやすい手紙を書けばどうでしょう。“あなたのことをもっと知りたいので、二人きりで出かけましょう”などとして、はい!喜んで、と言われたら結構、いや、それはちょっと・・・とされたら、傷つきますけれども、それだけ早く次の機会に気持ちを切り替えることが出来ます。どちらにしても良い方向に向かうことになります」

なんともマトモな意見であるが、この投稿した60代男性は手紙を書かずに、また、ハイキングに行ってニタニタドキドキしていることだろうと思う。そのほうが楽しいからだ。

そもそもどうして「恋愛相談」に「お寺の坊さん」が答えることになったのかはともかく、恋愛の相談というモノは「期待していいかね?」と聞かれたら「期待してもよろしい」と答える他ないことになっている。意地悪で「どうかな?案内役ということだったら、還暦過ぎた男性がいれば気になるだろうし、案内することが役目だと自覚もしているだろうから、そんなことで期待するのはどうかと思うよ?」とでも言えば、その期待してはならぬ根拠の説明を強要されることになるし、還暦過ぎた独身男は悪いのか?と喰ってかかられることも予想できる。つまり、どうであれウザったいことになるから、そういう場合は「いいんじゃないか?」と言っておいて、見事に振られたら「脈ありだと思ったけどね~」と無責任なことを言っておけばよろしい。

また、我が妻もよく観ているが、テレビドラマなんかで「恋愛モノ」をやる。いろんなのがあるが、ともかく、登場人物は「恋愛を中心」にして生活をしている。出張先に片思いの相手が来たり、仕事場で「昨日のこと」を思い出してぼーっとしていたりする。嵐の中を追いかけたり追いかけられたり、好きだと思って付き合っていた人ではなく、いつもそばにいる友人みたいな異性が好きだと気付いたり、道路に飛び出して「僕は死にません」と言ってみたり、死んだ彼氏とそっくりな人が出てきたり、友人がやっとお見合いで結婚したと聞けば、その相手が前の恋人だったりする。まあ、24時間、好きだ嫌いだとやって今日も明日も過ぎていくわけだ。

テレビドラマでの「恋愛モノ」が面白いのは、つまるところ、登場人物全員の「精神が病んでいる」からだ。「恋愛感情」とやらに支配されている状態は、一種の精神錯乱状態と言っていい。これに反論する人は、どうぞ「失恋で自殺してしまう」こととの関連性を述べてほしい。私は「失恋したくらいで死ぬなどは精神錯乱状態」だと思っているからだ。

また、恋愛中!という状態は往々にして冷静な判断ができなくなり、思考は硬直して一点集中となりやすい。ときには反社会的行為に走ることも決定してしまうほど、前後の見境を失った状態にも陥る。

だから、今の韓流ドラマとやらが70年代の日本で流行った「ドラマ」を再現したようなモノだというのも頷ける。交通事故や記憶喪失は欠かせないし、愛する二人を引き裂く「運命」は準主役のようなもので、次に流行るのは「不倫モノ」かもしれない。

小説でも「恋愛小説」というジャンルがある。少々旧聞だが「失楽園」というのも映画化されたりした。ジョン・ミルトンではなく渡辺淳一の「失楽園」だ。ちなみに、私の娘が幼き頃に「父の日」ということで、近所のバザーで買ってプレゼントしてくれた小説でもあった。「お父さん本が好きだから」とのことだった。上下巻で20円だったが、何かと皮肉を込めたのであろうか(笑)。

「失楽園」であれ「楽園喪失」であれ、これらの物語の主人公らは禁断の恋愛をしたがために「楽園」を失うことになる。元々は聖書に出てくる「アダムとイブが禁断の実を喰う話」だから、やはり、ラストには多くの「失う」が用意されている。小説では命も失うことになっているが、現実の社会であれば、失うモノはもうちょっと生活感のあるモノだ。仕事とかな。

こんなのは「麻疹」と同じ――――だと誰かも言っていた。子供のころになるから注射一本で治るが、大人になってからのソレは命にかかわる、という点でも同じかもしれない。また、恋愛などというモノは流行性感冒と同じようなもので「免疫」がなかったり、体調が優れなかったりすれば冒されやすくもなる。いずれにしても、あまりよろしくないものだと認識しておいた方がいい。結婚して子供もいるオッサンが、いつも立ち寄る居酒屋の女性店員相手に「胸がキュン」とすれば心筋梗塞の疑いがある。そうでなければ、ただの交感神経の刺激だから気にせずともよい。また、それは体が「距離を開けなさい」とシグナルを送っているのだ。「良いことなど一つもない」と教えてくれているのだ。

その後にキャバクラでも行って、だ。うら若き乙女が艶っぽい仕草をしてムラムラするのは健康でよろしい。しかし、間違っても「この子とデートしたい」とか「この子と一緒になりたい」などと努努思わぬことだ。人生を棒に振る可能性がある。

この独身60代の男性に結婚願望があるならば、この坊さんも速やかに「結婚紹介所」の利用を勧めるべきだ。貯金もあるんだろうから、年相応の女性を紹介してもらって、高級ホテルでデートでもしてくれれば経済活動が活発になるではないか。世の中にはそういう商売があるし、別にそれを利用することが恥ずかしいことだとも思わん。それよりも、還暦を過ぎてまで「傷つくかもしれないが」など気持ち悪くて話にならん。

「人が人を好きなることは素敵」だと言って良い年齢はある。立場もある。独断と偏見で言わせてもらえば、だ。先ず、大前提として独身者であることだ。これは譲れない。世の中には「浮気の相談」をしてくる阿呆がいるが、この際はっきり書いておくと、正直、私はふんふんと聞きながらも、いつも阿呆だと思っている。オトコなんだから「遊びの自慢」ならいい。オレには彼女が数名いる、という話も面白い。しかし、浮気相手に振り回されているオッサンは醜いだけだ。実に阿呆らしい。心当たりがある奴がおろうw

また、年齢だけで言えば「10代~20代半ば」までだ。そして次の段階は「70歳~100歳」となっている。高齢者の恋愛もある。結婚して施設内で同居、などという目出度い話もある。私は微笑ましいと思う。

働き盛りの年齢にありながら、ホレタハレタとやっているのは気持ち悪い。それでもやるならばこっそりとすべきであり、この年でアレなんだけれども・・・という謙虚さは必要だ。「婚期」というものがあるが、私はそれとは別の話をしている。この60代男性も結婚願望があって当たり前だ。しかし、新聞の投稿欄で「期待してもよろしいでしょうか?」はとても恥ずかしい。女性にモテぬのは仕方がない。免疫がないのも不可抗力だ。

しかしながら、もういい年なんだから「結婚したい」のか「恋愛したい」のかは分けて考えることが肝要である。大人になってからの恋愛は遊びか病気だが、結婚は勉めであり本気である。若いころは結婚と言われてもぽわんとしているから、先ずは恋愛で予行演習をすることを許されている。好きだ嫌いだで物事を考えても笑われたりもしない。女性が過去の恋愛歴を晒して「10人の男性と付き合ったことがある」と言われれば、最近の子にしては少ないな、と感じるかもしれないが、過去に結婚歴が10回となれば話は別だ。それは不法入国の支那朝鮮人か結婚詐欺か、もしくはその両方の可能性がある。

そういえば、タイトルも何も失念したが、以前、中高年を過ぎた主婦に惚れてしまう青年が出てくるドラマがあった。その青年は猛烈にアタックを繰り返し、主婦は罪悪感に苛まされながらもついに身を許してしまう。そして徐々に家庭は崩壊して行くのだが、主人公の主婦は「来た道」を戻ろうとするも、そこで「オンナの自分」が否定できずにずるずると引き摺られてしまう――――というストーリーだった。私はエロビデオかと思った。

最後はどうなったか知らんが、私はもし、こんなドラマを妻が録画して観ていたら叱りつけると思う。旦那の権限で視聴を禁止する。問答無用である。

だって嫌だ(笑)。私は妻が褒められると悪い気はしないが、そんなエロガッパが現れたとすれば、かなりの高確率で私はその青年を八つ裂きにして宇治川に返す。また、逆パターンのモノもあった。オッサンが若くて綺麗な女性に惚れられて戸惑うドラマだ。オッサンは紳士的に「若いんだから自分を大切にしなさい」とか説教をくれるのだが、その相手の女性は清楚で可憐だったりするわけだ。それに対してオッサンは「気持ちは嬉しいけれど、ボクのようなオジサンには応えられないんだ」とかやる。実に不気味である。

そんなもん、さっさとラブホテルに連れ込んで剥いてしまえ、と思う。オッサンとはそういうモノだ。いちゃいちゃくちゃくちゃやるなというのだ。それはちょっと・・・というなら「迷惑だから二度と顔を出すな、このブス!」と言うべきだ。それがオッサンである。


この31歳の坊さんも真面目に答え過ぎだ。もうすこし「ずぼら」になっていい。「ずぼら」とは「ぼうず」がひっくり返った言葉で、元々は「ずぼう」と言ったそうな。酒や色に惑溺する坊さんを誹る言葉だが、あの有名な一休さんもそうだった。恋愛に悩める60代独身男性に説教するには必要かもしれない。それほど「失楽園」の黒木瞳はすばらしい。南無。。。。

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