忘憂之物

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             渋沢栄一

生活保護受給者、4カ月連続で過去最多更新 リーマン・ショック以降増加傾向

2012年11月22日 | 過去記事



生活保護受給者、4カ月連続で過去最多更新 リーマン・ショック以降増加傾向

<厚生労働省は21日、全国で生活保護を受けている人が8月時点で213万1011人と、4カ月連続で過去最多を更新したと発表した。受給世帯も155万5003世帯で過去最多となった。

 受給世帯の4割以上が65歳以上の高齢者世帯だが、母子世帯や障害者世帯などの受給も増加。平成20年のリーマン・ショック以降、増加傾向が続いており、厚労省は「高齢者の増加に伴って、今後も増加していく可能性が高い」と分析している。

 東日本大震災の被災世帯では、9月までに計1394世帯が生活保護を受けている>








「トリス・バー」の店を出すとき、一応、保健所の検査をした。「一応」というのは、その検査自体が「一応」だったからだ。注意すべきは2点。調理場に洗面台はあるか、客席とのあいだに「仕切り」があるかどうか。

店舗があったビルの管理会社に連絡すると、非常階段の踊り場に洗面台と「仕切り板」があるという。観に行くと埃をかぶったそれらが置いてある。しかし、これをどうやって取り付けたものかと難儀していると、いまもまだ「某焼肉チェーン店」で頑張っているのだろうか、懐かしい「工作員2号」がさらっと取り付けてくれた。でも、本当に「取り付けた」だけだった。水も出ない。「仕切り板」は「置いてあるだけ」。

しかし、管理会社は「それでいい」と言う。他の店もぜんぶそうだったと。

保健所の職員が来た。眼鏡をかけた兄ちゃんだったが、検査時間は1分未満。店に入って来てちらりと見ただけだった。それで検査料の1万円か2万円だったかを持って帰った。これも「お役所仕事」かと妙に納得した。パチンコの新台検査よりもやっつけだった。

今の施設にも監査が来る。しかし、所詮が老人施設。各居室のチェックもなし。ベランダの緊急避難口は物置状態。スロープの先は段ボールの山。実際、火災になったらどうやって逃がせばいいのか。車椅子を押して脱出するのは不可能。持ち上げて階段を降りるとしても数十人は無理だろう。はっきり書いておくと現状、利用者は焼け死ぬ他ない。救助作業は困難を極める。つまり、職員も危険なのだが、いい加減なモノだ。

また、監査の度に故障した車椅子やらを廊下の端に。そこはカーテンを閉めて「風呂場ですから、どうぞご容赦を」でOK。パチンコ屋の各種検査のほうがよほどシビアだった。

地域の福祉課から検査も来る。用意された書類に目を通して帰って行く。民生委員かなにかの調査員も来る。施設をウロウロと歩いて帰る。調査結果には「挨拶がなかった」とか「愛想が悪い」とか職員の悪口を書く。何度も同じ施設に足を運んでいるのに、毎回、同じ利用者に「お名前教えてください」とやる。どちらが認知症かわからない。

先日は「理事会」の見学があった。左巻きの天下りは緊張の面持ちで「挨拶は徹底してください」と何度も念を押していた。ちゃんと頭を下げてやってくださいと内線まであった。もちろん、私の知る限り、全職員は普通に挨拶している。中には「うぃっす」みたいなアレもいるのだろうが、そんなことは普段から注意指導の対象になるはずだ。常日頃、放っておいていまさら何を、となる。それより「そんなこと」を見に来ているのか、と不思議に思う。あと、医者もそう。

先日、ターミナルの利用者が死にかけた。というか結果、亡くなったわけだが、容態が急変したから、マニュアル通りに専属の病院に連絡したということだった。私は仕事が終わっていて帰るところだったが、顔も知っている爺さん、最後かもしれないからと残っていた。女性職員が数名いた。時間は21時を少し過ぎた頃だった。

若い男性の医者が来た。たぶん、彼も勤務明けだった。とてもイライラしていて、職員に対する態度が酷かった。私は通路から見ていたが、ちょっと笑ってしまったほどだった。

彼は部屋に入るなり、で?と言った。女性職員らが困っている。「で?」って言われても、何と返答したものかわからない。ともかく、脈や呼吸が弱くなり、わかる範囲の数値も異常を示していたから呼んだ。ひとりの女性職員が言った。「先生、でも、辛そうなんです」。

そんなの見ればわかるでしょ、だった。つまり、この若い医者は「死んでから呼べや」と言いたかった。「死亡診断書」を書く段階で呼べや、ということだった。

この若い医者はいま、まさに消えようとしている目の前の命に何ら関心を示さず、どうしろっていうの?ターミナルでしょう?なにもできないよ?ったく、とか愚痴を垂れてから、酸素吸引のメモリを上げて、瞳孔をチェックし聴診器をあてた。つまり、職員らはそういうことをしてほしかった。

介護職員は知識があるとかないとか、経験があるとかないとかではなく、医療行為は出来ないことになっている。酸素の量を増やすことくらいは出来る。しかし、この状態でどの程度のことができるのか、わからないのである。せめて「苦しまないように」と願っている。痛みがあるならとってあげたいと考える。しかし、それが出来ない。

若い医者は、呆れた表情で「もうダメだよ、これ」と言った。こちらを馬鹿にして半笑いだった。でも、もちろん、そんなことは知っている。だから家族には連絡してある。いま、向かっている。医者はそれから白々しい大きな溜息を吐き、なんと、なんで呼ぶかな、と捨て台詞だった。邪魔臭そうに、面倒臭そうに。

私は廊下にいた。隣にいた女性職員に対し、何の脈略もなく、いきなり「ねえねえ、ところで、せんせいって呼ばれる仕事っていろいろあるけど、看護婦さんとか介護士は呼ばれないよな~」と大きな声でやった。女性職員は目を丸くし、部屋の中にいた職員も外を見た。

「威張らなくても、まわりは“せんせい”って呼ぶンだよなぁ~」

若い医者はこちらをみた。私はくるりと回転、反対側を見ながら「無駄に偉そうにする馬鹿はホントに馬鹿みたいだな~」と聞こえる声で呟いた。それから女性職員に「ねえ?そう思うでしょ?」とやった。女性職員は下を向いて何も言わなかった。後で謝った。

それから部屋に入り、ぜいぜいと苦しそうな爺ちゃんの手を握った。もうすぐ、息子さんとか来るぞ、頑張れ。あとちょっと、頑張れ、と言ったあと顔を上げた。それから無論、言葉には出さないが「殺すぞ、小僧」という念を込めて、時間にして数秒、若い医者の目を見た。医者は「あ・・・」という蚊の鳴くような声で何か言ったが、私は気にせず「痰の吸引」と言った。してもよろしいですよね?

女性職員が器具を用意すると、その医者が吸引し始めた。それから間もなく、爺ちゃんは逝った。息子夫婦、孫もいた。息子は泣きながら「ありがとう」を繰り返した。職員にも「ありがとうございました」と述べていた。それから若い医者にも。

帰り支度をして表玄関に出ると、先ほどの若い医者が介護主任と話していた。介護主任はお礼を言っているようだった。私も近寄り、深々と頭を下げた。「せんせい、今日はどうも、ありがとうございました」。

「い、いえ、・・・」


<厚生労働省は21日、全国で生活保護を受けている人が8月時点で213万1011人と、4カ月連続で過去最多を更新したと発表した。受給世帯も155万5003世帯で過去最多となった>

恥を忍んで役所に泣きつくことをせず、我慢して我慢してあきらめて死ぬ世帯には、お願いしますからと頭を下げてでも受給させねばならない。同じ熱意で不正受給は絶対に許さない、とも決意せねばならない。人の生死が重く乗る。やっつけ仕事でやれる範囲ではない。決まってますから、で流せる受給停止も不正受給も根は同じく「お役所仕事」だ。

この若い医者もそう。せっかく医者になったのに、ドラマのような展開は期待できず、毎日毎日、退屈なジジババ相手の外来で疲れ果て、激務が終わればタイミング悪くジジババが死にかける。家に帰ってゆっくりしようと思った矢先、どうでもよろしいターミナルの死にかけのため、若い自分が走らされる不条理に苛立ち、眼前の命に対する尊厳を失念する。あたふたする介護職の無能どもに嫌気がさし、自分の優秀さを理解せぬ末端職員どもが馬鹿に見えて仕方がない。

その安モノの精神は、どうにもしょうがない、としてヤクザに生活保護を支給する愚と同じ。居座る不正受給者に窓口でカネを渡す保身も同じ。所詮は税金、オノレの腹は痛まないと考えたとき、その職業倫理は瓦解している。

本当に困窮する世帯を見過ごし、安易な手口の不正受給は止まらない。社会福祉の敵は社会福祉を食い物にする連中であり、社会的弱者を利用する輩である。いくら優秀な人材でも、その単純な構図を見失うとき、せんせいもお役人様も無能以下、ただの馬鹿と化す。

来月16日の総選挙。ただの馬鹿に使われる馬鹿政治家を見抜いて落とす。しかし、そう悲観することもない。日本には優秀な人材が山といる。最近、ちょっと馬鹿が増えすぎただけだ。その比率が大事、ちょっとだけ優秀を増やすだけのことだ。




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