忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2009.1.30[2]

2009年01月30日 | 過去記事
ずいぶん久しぶりに「真紀子節」を聞いた。国会中継、衆議院本会議の代表質問だ。朝日新聞はさっそくにも、身悶えしながら喜んで<炸裂した>とか<斬って捨てた>と威勢よく狂っている。▼しかし、あんな「単なる悪口」を国会の場で下品に喚き散らすお婆さんが、未だ国民の人気を得ていると本気で思っているのだろうか。私だけかもしれないが、ただ「不愉快」なだけだった。失笑する優しさも持ち得ない私は、素直に不愉快になった。麻生総理は優しい男なのだろう。▼比して、天晴れだと思ったのは細田博之幹事長である。やはり、国会中継は見るべきだ。如何にマスコミが歪曲しようが、捏造しようが、偏向しようが、一目瞭然とはこのことか。ちゃんとした人が見れば、どちらが「いかがわしいのか」がすぐにわかる。▼今更ながら「真紀子節」などと喜んでいるのが悲しすぎる。「浪花節」や「鰹節」なら国民の役にも立つが、もはや「真紀子節」は使いようがなかろう。また、なぜだか代表質問に立たない党首の代わりに吼える幹事長も哀れである。相も変わらず、ソマリアの海賊対策について「なぜ海上保安庁では対応できないのか。すべて自衛隊に丸投げし、武器使用基準も非公開ではシビリアンコントロール(文民統制)などなきに等しい」などと言う。▼もちろん、日本以外の国も「軍艦」を派遣している。現行法で最低限の武力行使ができる条件とは、正当防衛が成立する場合、緊急避難の必要が生じた場合、禁固3年以上の犯罪行為が行われていると明確なときであるらしい。もう、これだけで海自の隊員が何人死ぬことになるのか、ゾッとする。▼シビリアンコントロールによって「出動せよ!」となれば、そのあとは当然「作戦の成功」が目的となり、その作戦を決めるのも実行動をとるのも、現場の指揮官、つまり「軍」であることは常識かと思う。▼この幹事長も、そこまでシビリアンコントロールがどうのというならば、現場に赴き、堂々たるシビリアンとして指揮をとればどうか。「真紀子節」でも引き連れてソマリアに行き、海賊と対峙して制圧し、逮捕して裁判にかければたいしたものだ。

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