忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2009.1.27

2009年01月27日 | 過去記事
大阪国際女子マラソン。私はその日、その時間に行われていることも知らず、仕事のために自動車で付近にいた。用事を済ませ会社に戻ろうとするのだが、あちこちで道路が封鎖されており、方向音痴な私は難儀した。思わず、沿道を覆う観衆に皮肉交じりに愚痴をたれた。説明し、誘導してくれた警察官に対しても憮然とした表情だったに違いない。▼しかし、戻ってから報道を見るに、なかなか感動的なレースだったようだ。惜しくも2位になった赤羽選手の逸話などには目頭が熱くなった。夫でもあるコーチと娘さんに支えられ、「今日失敗したらマラソンをやめよう」と決意を込めた走りだったと産経新聞にあった。少々、帰社する時間が遅れたことも、それなら仕方があるまい。▼スポーツに人が感動するのは、その姿勢が健気であり、儚いものだと知っているからだ。ふてぶてしい横綱でも優勝するには大変なんだろうと思うし、出来の悪いチンピラボクサー兄弟も練習していることだけは事実なんだろう。それは結果もそうだが、それよりも「嘘をつけない部分」というものが、スポーツ選手には厳然としてある。▼もちろん、会社の経営者でも普通のサラリーマンでも「フェアプレイ」は基本ではある。しっかりとしたコンプライアンスに基づいた運営、勤める側も自身の役割を理解し、しっかりと責任を果たす姿勢は社会人としての条件でもあろう。そして、それは同じく「健気で儚い」もののはずだ。▼またそれらは「スポーツマンシップ」という言葉が象徴するように、厳しい練習を乗り越えた者同士、正々堂々と戦おうということを誓い合うという意味もある。サラリーマンでも経営者でも、他社(他者)を蹴り落としてまでという行為は(日本ではとくに)軽蔑される。成功したとしても一過性のものだ。知っている人は知っている。▼茨城県の医師会が、定額給付金を民主候補に献金しようと呼びかけている。理由は「抗議のために自民党の政策で民主党に資金が回る一番皮肉なことをやろうと思った」ということだ。こいつらはスポーツをやったことがないらしい。

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