忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

2011.12.2

2011年12月02日 | 過去記事

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111202-OYT1T00069.htm?from=main6
<「今、出撃なら帰れない」と小沢氏が衆院選展望>

<民主党の小沢一郎元代表は1日夜、都内の日本料理店で小沢グループのメンバー約20人と会食した。出席者によると、元代表は「来年選挙になる可能性は十分ある。特攻する兵士を見送る指揮官にはなりたくない。今、出撃したらほとんど帰ってこられないだろう」と述べ、現状のまま衆院選に踏み切れば、民主党は惨敗するとの見方を示した。
(2011年12月2日07時55分 読売新聞)>


今年の5月末、小沢一郎は福島第一原発の事故に関し<原発は安定していない。爆発しないようにしているだけで放射線を垂れ流している。根本的な対策を取らなければ大変なことになる。決死隊を送り込んで完全に押さえ込まなければならない。政治が決断することだ>と述べていた。事実、福島原発では事故発生当初から、汚染された事故現場の復旧作業員として50名が非難しなかった。それは「決死隊」と呼んでも大過ないほどの危険が伴う作業を行うためだった。欧米メディアも「フクシマ50」と称賛し、Facebookには「Tribute To The 50 Heroes of Fukushima Nuclear Plant(福島原発の英雄50人への賛美)」というページが作られたが、東京電力はこれを3月中、181名に増員している。つまり、本当は「フクシマ181」だった。今なら「フクシマ2000」を超えている。瓦礫ひとつ片づけるわけでもない小沢に言われるまでもなく、福島原発には今も変わらず、身の危険を覚悟で懸命に作業に徹している英雄がいる。頭が下がる思いであるが、今度はなんと、小沢被告とやらが自らのチルドレンを「特攻隊」とし、自らを「指揮官」に喩えているようだ。僭称が過ぎるにもほどがあろう。極めて不愉快である。なにが「指揮官」か。支那人民解放軍日本支部の野戦隊長如きが、なにが「特攻隊」か。読売も「元代表」ではなく「被告」とすべきだ。そもそも「一兵卒」は止めたのか。

いつの間にやら「失言」が「不適切発言」と言い換えられて久しいが、頻発する民主党一味の「問題発言」とやらは、本当に言葉のセンスがないと痛感する。溜息が出る思いだ。その精神性の不様が口から出ただけの粗野、粗暴は実に不愉快である。まさに「日本語が使えるだけ」というレベルでモノ申している。政治家は言葉が命だとも言うが、連中の場合は日本語、国語に対する冒涜である。どうか「祖国の言葉」で話してもらいたい。

それに特攻隊には「戦果」というものがある。命を犠牲にした成果というものがある。それは敵艦を沈めた、というだけのことではなく、その崇高な精神は何十年、何百年経とうが色褪せることは無く、神聖化して日本人の心に沁み込まれている。民主党が惨敗するかどうかなど、そのような汚らわしい事由において、喩えであっても触れてほしくない。

チルドレンが夏の蚊の如くぼたぼた落ちるのは自業自得であり、自民党という「敵艦」もぐらぐらして沈みかけている。馬鹿みたいに飛び出して「民意の海」にぼちゃんと落ちるだけのことを、なにを偉そうに抜かしているのか。まったく不愉快である。

これが「フクシマ50」を喩えていれば、と考えればよくわかる。叩かれただろう。約20名のチルドレンがいたらしいが、現状のまま総選挙になれば「オザワ20」になる、とでも言えばどうなのか、と考えれば、この馬鹿さ加減がよくわかる。一緒にするな、という声が出て当然だ。つまり、そのレベルの無礼極まる戯言なのである。嗚呼ぁ気分悪い。






http://www.asahi.com/international/update/1201/TKY201112010659.html
<「大根あげます」に1万人殺到 イモや野菜も略奪 中国>

<大根を300トン、無料で差し上げます――。中国河南省鄭州の農民がこんな呼びかけをしたところ、1万人以上が殺到し、畑が荒らされる事態に。ホウレン草やサツマイモなども、無断で持ち去られてしまった。
 農民の韓紅剛さん(37)の約4ヘクタールの畑に、今年約300トンの大根が育った。ところが生産過剰による価格暴落で、出荷しても採算が取れないと判明。腐らせるよりはましと、地元メディアに「無料で市民に食べてもらいたい」と連絡した。
 これが報じられた11月25日から、韓さん宅の電話が鳴り響き、人々が畑に殺到。大根は翌日昼には無くなった。すると今度は「だまされた」「ガソリン代を損した」などと詰め寄られる事態に。数日の間に約1万人が押し寄せ、近くの畑からホウレン草、サツマイモ、唐辛子などを勝手に掘り起こして持ち帰った>


支那の田舎から伝えられたほのぼのニュースであるが、実に支那人の特性がよくわかる記事でもある。これを普通に読めば、なんとまあ、支那人というのはイナゴのようだ、凄まじく低い民度であるな、と馬鹿にしていればよろしいのだが、私のような「熱烈な朝日新聞ファン」ともなれば読むポイントが違う。私が記事を読んで「お?ww」となるのは、例えば、この記事なら「農民」という言葉だったりする。また、朝日新聞が使うからこそ意味もある。

この記事を日本で普通に書けば「農家の韓紅剛さん(37)」とか「農業を営む韓紅剛さん(37)」と書く。これは言うまでもなく農業従事者のこと、つまり、職業としての意味しかない。そして日本には職業選択の自由というものがある。だから言葉として「農民」はあるけれども、あるいは「農民カフェ」などとして「用いる」場合はあれども、いまの日本国内において「農民」というカテゴリーに属する民はいない。日教組が大好きな「士農工商」のような四民制度は日本にもあったが、コレは学校で習った通り戦国時代後半、いわゆる「兵農分離政策」から派生した身分制度のことだ。下級武士、足軽と農民の差異がややこしかったから、身分を固定化、強化したわけだが、朝日新聞が生真面目に「農民の韓紅剛さん(37)」と書く通り、今でも「身分制度」に気を使わなければならぬ国がある。支那だ。

豊臣秀吉が百姓から槍や刀を取り上げた「刀狩」は1588年だったが、支那では未だに農民を武装解除しておかねばならない。現在の日本における銃刀法違反は国民相互の安全のため、あるいは犯罪組織の摘発のため、などであるが、支那ではちょっと事情が違う。だから未だに「農民戸籍」というものがある。武装解除はともかく、都市部の人間とは明確に差別されているわけだ。出稼ぎに出ても「農民工」と呼ばれる徹底ぶりだ。また、同じ支那人民であるはずの農民は基本的に職業も選べず、勝手に都市部に引っ越すことも出来ない。朝日新聞には間違っても「農家」などと書けない理由があるわけだ。

しかし、いまの日本でも好んで「農民」を使う団体などもある。この理由は、先ほどの日教組などが行った洗脳教育、その「士農工商」という言葉がもつネガティブイメージだけを悪用するモノだ。日本では不思議と「弱者が強い」という傾向があるから、差別されている、虐げられているというイメージは、支那と違ってありがたく便利なモノだ。

だから、例えば、こういう使われ方をする。
http://www.nouminren.ne.jp/index.shtml
<農民運動全国連合会(略称:農民連)>






「TPP反対」と「憲法9条を守れ」を混同する。一見すると意味不明だ。憲法9条を守るならばTPPには進んで参加せねばならぬはずだ。米軍あっての9条ではないか。しかし、9条を守りながらTPP反対を言えば支那が喜ぶわけだから、彼らの中では矛盾が生じないのだとわかる。つまり、頭の中が朝日新聞と同じだ。「大根を差し上げる」といえば、我先にと群がって畑を喰い荒すのは結果、アメリカも支那も同じこと(支那は人民が大挙して押し寄せて荒らして奪う。アメリカは弁護士が来て差し押さえてから荒らして奪う)だが、それならば、是非とも支那に差し上げたい、という意見も同じだ。

ちなみに「大根」は台湾語で「菜頭(ツァイタウ)」という。これは「幸先」を意味する「彩頭(ツァイタウ)」と同じ発音となる。だから台湾では受験シーズン、合格祈願として大根を供える。一緒に「ねぎ」と「せり」も添える。ネギは「葱(ツォン)」で、これは「聰(ツォン・聡明)」と同じ発音、セリは「芹(チィン)」で「勤(チィン・勤勉)」となるからだ。

1万人だか何万人だかの支那人が、無料で差し上げますという「幸先・ツァイタウ」に群がる。支那人にしては珍しく、善意溢れる気前の良い「農民」は、荒らされた畑を直すのに10人ほどの作業員を雇わねばならないそうだ。ま、いずれにしても、あっさりと風船バブルが弾けた支那経済も、大根はないのか?騙したのか?と憤り、ホウレン草やサツマイモを奪った典型的支那人も、支那人相手に善意を試みた支那人農民も、共に幸先は悪そうだ。



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