忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「さみしい」話。

2011年11月30日 | 過去記事

以前から、朝は「生ジュース」を作っていた。バナナが多い。妻が好きだからだ。ミキサーにバナナ一本、シュガーシロップ、牛乳、氷少々を入れてミキサーにかけると、青い悪魔(スティッチ)が描かれた大きめのマグカップに一杯の「特製バナナジュース」ができる。妻曰く、コレを朝飲むから昼になればお腹がすく、のだという。よくわからんが。

昨夜は「オムライス」をつくった。職場の上司から教えてもらったのだ。なんでも、フライパンをこう、斜めに持ちながら、お皿で「V」を描くように受けて・・・この時のポイントはフライパンを持つ手が下手(逆手)になるように・・・とすれば、私の如き不器用な不惑であれ、こんなに美しいフォルムのオムライスが完成する。数分前には卵だったとは思えない。これにクリームソースをかけると妻が大喜ぶ。ちゃんと真面目に食べる。

その前は「ホイコーロー」だ。キャベツはひと玉全部使った。食べ盛りを過ぎた倅も、バイト帰りにがつがつ喰っていた。妻には「餃子スープ」もつける。犬には「ちくわの炒め物」だ。味付けはなしだが、焦げた風味がたまらない、と「りーちゃん」が目で訴えていた。「むーちゃん」は、オイラ、生のほうがいいかも、と仕草で訴えていた。

風呂上がりにビール片手に台所に立つ。最近、ふと気付けば「料理本」などにも目を通している。心なしか、鍋を振るう、あるいは包丁を持つ手も板についてきた(ように感じる)。それに私は巷のクッキングパパと違い、後片付けも大好きなタイプだったりする。ま、これでも飲食店の店長をやっていたし、短い間だがBARもやったから、水仕事に抵抗もなければ、どちらかというと嫌いではなかったりする。「男子厨房に入らず」は、その中身の意味だけ知っていればいい。何もできない男の言い分けのためにあるのではない。

今の仕事をし始めた御蔭で、洗濯物をたたむのも早く、上手くなった。大量の洗濯物を仕分けしてたたんで整理する仕事があるからだ。私のような引っ込み思案の初老からすれば、当初、洗濯ものを干すだけで大変だった。綺麗に干せないから、どうしても適当にぶら下げてしまう。いつも物干しに不気味なオブジェを作るから笑われた。しかし、心優しいオバサン職員らは、もう!これやからオッサンは!などと言いたいのをぐっと堪え、あらら、と教えてくれたりもした。御蔭様で巨大なシーツからハンカチのたたみ方、効率的にスペースを使いながらキチンと洗濯物を干す匠の技まで、今ではばっちりである。

先日、施設で運動会があった。運動会とは言っても、正々堂々と戦います、と宣誓した選手代表は96歳だ。副代表は、七夕の短冊に「長生きしたい」と書いた103歳の凄腕である。もちろん、通常の運動会のように棒倒しやら騎馬戦、100メートル走などを行えば、次の日から当施設は空き部屋だらけになる。走り回って汗を流すのは救急隊員だ。合わせて、もうすぐ年の瀬だというのに葬儀屋が忙しくなる。「借り物競走」などすれば、当施設の参加選手は何を借りてくるのか想像もつかない。それに確実に戻って来ない選手もいる。新聞に載る。「綱引き」もできない。それに、当施設の参加選手は常日頃から「命の綱引き」をしている。いきなり死にかけたり、と思えば、戻って来てヤクルトを飲んでいたりする。

そんなジジババが70名ほど、紅組と白組に分かれて「ボール運び」などの地味な種目で雌雄を決した。結果は、私がいた「白組」が16万800点を記録して勝利した。敗した「紅組」は750点だった(最終種目の得点が16万点)。「玉入れ」の玉を、過半の参加選手が「喰うのか?」と勘違いしていたのが大きな敗因だ。運営側の説明が足りなかったと猛省すべきである。赤いから「とまと」だと思った可能性もあるが、それよりも紅組だ。30名ほどのジジババが全員、赤い鉢巻きをして真面目な顔で座っているのがシュール過ぎてアレだった。場所が場所なら完全に「高齢者の座り込み」である。私は思わず、周囲に「介護報酬をあげろ」とか「野田総理はオムツとオツムを換えてください」とか「米軍基地は日本の呆け老人を受け入れろ」などという幟がないか探してしまった。

また、なにが嬉しいのか、職員のテンションも上がり、一応、大盛況で終わった運動会であったが、そのあと、70本ほどの紅白の鉢巻きが残った。コレを洗濯してアイロンをかけるのである。もちろん、通常ならこの類の仕事は私に回って来ない。この仕事を私以外の誰か、に頼まねばならないだけであるのだが、周囲を見ればヒマそうなのは私だけでもあった。だから、なんとなくやってみた。すると、である。

「アイロン、したことある?」

ときた。オバサン職員である。何を失礼な、そんなものは、やったときない、と開き直ると、水は入れているのか?などと基本的なことまで心配されはじめた。私が冷静沈着、水とは何だ?水なら飲んだ、と述べると、半ば呆れた表情のオバサンは手とり足とり、アイロンの先っちょはなんで尖っているか、あんたのもちょんがっているのか、などのちょっとしたエロチズムを交えながら、私に教えてくれるのだった。なるほど、である。

わかった、わかった、わかりましたから一度ヤラせてください、と頼んだ私は、見よう見真似でやってみた。するとどうだ、先ほどまでとは鉢巻の伸び具合が違う。私は先ほどまで、この鉢巻は老人のエキスを吸って腐っているのかと思っていたが、それがどうだ、いまではしゃきっと、ばりっと伸び切っているではないか。それに半分を過ぎた頃から、私の手の動きは板についてきていた。実にスムーズ、これはもはやクリーニング屋の娘婿、先っちょを這わせてから、向こう側にスッと伸ばしていく・・・そうそう、この感じである。

~♪と機嫌良くアイロンを操る私に、齢72となる「女性職員」が近づいてきた。この人は毎年夏になれば、グアム・サイパン、沖縄などに泳ぎに行くほどのシュノーケル高齢者なのであるが、自分が介助する利用者が「年下」だったりすることを、若干、ハズかし自慢としている。ちなみに、私はこの72歳職員さんの仕事をフォローすることを「介助」と言ったら叱られた。散歩に出たときも、ある意味「お約束通り」に、この職員さんの手を引くと、だからわたしはまだちがう!ひとりであるける!!とも叱られたのである。

その72歳の職員さんが「手慣れてるやん、家でもやってるの?」と褒めてくれた。私は大威張りで、そんなもの、やったときない、と言ったら、もっと褒めてくれた。この人は以前、私の前職などをどこかで聞いたらしく、私にいろいろと心配してくれたこともあった。

先ずは収入だった。だいじょうぶなの?ということだった。たしかに薄給であるこの仕事からすれば、以前、私が得ていた収入は高額なものだ。実質80%程度削減となる。年収で言えば更に削減、仕分け人もびっくりの削減ぶりだ。正直、今現在の給与くらい、私は平然と一晩で使うこともあった。

それに「立場」もそうだ。以前は事務所で威張っていてもよかった。女の子にコーヒーを入れさせ、偉そうに新聞を読んでいてもよかった。しかしながら、いまは自分の娘くらいの年齢の女の子にダメ出しもせず、敬語を崩さず、朝は自分から、もしくは自分だけ、おはようございます、と挨拶をする。夜も自分からおつかれさまでした、本日も一日、ありがとうございました、と頭を下げる。

当時は基本的に出勤時間も自由、休みも自由、社の経費も自由、実質、オーナーよりも好き放題、カジノで86億円は使えないが、ある意味、自由業だった。しかしながら、いまはシフト管理されている。休みは少なくないが、ツレと飲みに行くのも「シフト」を確認せねばならない。旅行などの予定も組まねばならない。以前のように、思い付きで何日も遊んで帰る、などということは許されない。たしかにそうだ、以前と比すれば雲泥の差、天地が逆さま、見事な落ちぶれっぷりである。ぶれっぷり。

妻の友人も口を揃える、という。会社が倒産したり、リストラに遭ったりして、以前の職位や収入から大幅ダウン、今更ながら厳しい市場に放り出されて、なんでオレがあんな無能な奴らに、なんであそこまで行った私がこんな馬鹿らしいことを、と腐ってしまう御仁は巷に、ハローワークにたくさんいるのだというが、なんで、あんたの旦那は「今まで毎日、家に帰れなったからごめんね」と自宅で夕食まで作り、他人の下の世話まで安月給でやりながら、どこをどうすれば「楽しい・ありがたい」と言いつつ生きていけるのか――あんたの亭主は馬鹿なんじゃないか―――

私が72歳の職員さんと楽しく話しながらアイロンをしていると、物珍しげに他の職員も来た。手が開いたなら代わって欲しいのだが、残る鉢巻もあとわずか、コレはもうやり切るしかあるまい。私はさらになめらかにアイロンを滑らせる。


別の女性職員が珍しい動物を見つけたように笑った。

「楽しそうww」

72歳の職員さんが代弁してくれる。「楽しいねんて。な?ちよたろさん?」

はい、楽しいですよ。

若い・・・といっても30代半ばの女性職員だが、彼女も面白がって問うてくる。

「ちよたろさんって、前の仕事、パチンコ屋さんのとき、給料たくさんあったんでしょ?」

はい、いまの5倍以上。

「聞いて・・・・いいですか?」

はい、どうぞ。

「バカらしくないですか?いまの仕事、とか給料とか・・」

バカらしくないですよ。

「あ、そうなんですか・・・でも、なんで・・・?」

72歳の職員さんは笑っている。私はこの大先輩の肩を叩いて、こういう人が褒めてくれるからですよ、と言った。72歳は、ちょっと照れて、私の背中を叩いた。いわゆる「いちゃいちゃ状態」であった。おかしゃん、ごめん。

しかし、若い女性職員は腑に落ちないようだった。



最近――――大手企業の醜聞が喧しい。歴史ある立派な企業が姑息な手段で市場を欺いたり、くだらぬ見栄と自尊心で世間を学ばず、カモられ騙され、好き放題して訴えられる馬鹿がメディアを騒がしている。メディアの妖怪と化した老害もお家騒動で恥を晒せば、政治家は相変わらずの不見識を晒す。どれも社会的地位、金や名声は得たはずの立派な御仁のはずだが、不思議と誰からも羨望されない。その理由も簡単だ。

それは「同じところにいる」からだ。


ところで、私は先ほど述べたように、以前、10年間ほどパチンコ屋で働いていた。その際、後半の7年ほどを一緒に働いた親愛なるメンターが、あるときに発した「言葉」は私の全ての疑問を晴らしてくれるほどの助言だった。私の中で芽生えた疑念、疑惑が見事に溶解していく「言葉」だ。これは今でも、どの場面においても適用される。すべて片付く。




非常にもったいないが――――

こんな拙ブログを覗いてくれる読者諸賢にだけ、特別に紹介しよう。特別だぞ。






「みんなさみしいんですわ」




である。まさしく至言、名言だ。これほど奥に深く、広がりを見せる言葉を私は知らない。




なんであいつはこんなことを言うのか、なんで彼は彼女はこんなことをしたのか――どうだ、すべての「動機」がそこにある。みんなさみしいのである。ここから非常に大切なことがわかる。真っ当に生きる知恵が隠されている。チェックポイントがわかる。つまり、


さみしいかどうか


である。「金もある、地位もある、でもさみしい」は危険だということだ。「金もない、何もないけど、とくにさみしくない」はセーフだ。すなわち、人生の歩き方とは「さみしくない」を維持することだとわかる。



妻も子もいる、でも、さみしい。仕事もある、重宝されてもいる、でも、さみしい。毎日忙しい、でも、さみしい。毎日ヒマですることがない、でも、さみしい―――ま、いろいろある。そして、どのケースにも当てはまる。








せっかくの機会だ。もう少しだけ掘り下げておこう。

「さみしい」とは「さびしい」とも言う。漢字で書けば「寂しい・淋しい」となる。「さびしい」は万葉集の「さぶし」が平安時代に「さびし」となり、それから「さみしい・さびしい」と広がる。私の個人的主観から使い分けると、例えば「ふところが」は「さびしい」となる。もっと単純に言えば、もうすぐクリスマスだが、クリスマスツリーがないのは「さびしい」が、一緒にチキンを喰う相手がいないのは「さみしい」となるわけだ。この辺り、御理解いただけると思う。

「何かが物足りない」は「さびしい」となる。晩酌で「もう一品欲しい」というようなときだ。日本酒を注ぎながら「なんや、今日は、えらいさびしいがな」と言ってもよい。しかし、メンターの彼が言ったのは「さみしい」である。ここが彼の凄いところだ。

「さみしい」というのは「満たされているかどうか」を問わない。また、恐ろしいのは「あっても足りない」という欲に塗れた喪失感だけではない。換言すれば「あるかどうか」すら問わない。状況や環境も問わない。問われるのは「こころ」なのである。コレが怖い。

先ほど、アイロンをかける私に「バカらしくない?」と問うてきた30代の女性職員はつまり、私に「さみしくないの?」と問うているのだとわかる。以前からすれば、いろいろと「足りなくなった」はずなのに、つまり、「さびしくなった」はずなのに、あんたは、そのような「誰にでも出来る仕事」をさせられて「さみしく」もないのか?と問うているのだ。

考え方はいろいろある。「晩酌にもう一品欲しい」は「さびしい」わけだが、ここで「仕事が終わって晩酌できること」自体に価値観を置けば「さみしくない」ことを意味する。先日、また職場の人と飲みに行ったが、連中から皮肉交じりに「すいませんね、安い居酒屋で」と言われる。これは「以前の私の状況、環境」をある程度知り得た彼らが「ちよたろさんは、さびしいはずだ」と決め付けた結果、安モンのニヒリズムからおちょくっているのである。たしかに私は「某・白木屋」で集まって飲むことに消極的だった。ちょっと小馬鹿にして笑った。露骨に「えぇ~~」という表情も浮かべた。しかし、その理由として「某・白木屋」がチンピラの吹き溜まる安居酒屋だからではなく、同チェーン店舗を運営する株式会社モンテローザが、某宗教団体の大作の妻の親戚、公明党の白木義一郎(故人)の財閥の会社だから、とか言わないのである。それに、私を知る人らは、私がどれほど「安酒場」が好きなのか知っている。コレも情報不足による決めつけ、自分の足りない物差しで測った安易な「さびしい」はずだ、の結果である。実に浅薄である。



七夕の短冊に「長生きしたい」と鉄板ネタを書いた103歳のお婆さんが、オムツ交換を終えた私を拝む。手を合わせて「あしゅぃかとぉ(ありがとう)」と言われる。私は恐縮して、勘弁してください、もったいない、許して下さい、とお願いする。別の職員は違う。「ありがとうは?」と面白がって催促する。子供に言わせるソレのように、食事介助をしても「ありがとうは?」とやる。昭和6年生まれの認知症のお爺さんに「(食事を)ください」と言わせていた職員もいた。心の底から見下げ果て、半ば呆れて理由を問うと冗談交じりに「しつけ」だと堂々と言った。「躾」が必要なのは貴様のほうだが、要するにこの馬鹿も道徳観念が腐っている。つまるところ「(何かと)さみしい」のだとわかる。ずっとこの先、未来永劫、満たされることはないとわかる。不満と愚痴、文句と悪罵で綴られる人生を送るのだとわかる。

「真善美」という言葉がある。「真」は学ぶことができる。本を読んだり旅に出たりすればいい。「善」も学校で事足りる。文科省の仕事の範疇だ。これらがわからなければ、警察に捕まったり、社会から放り出されてしまうかもしれない。しかし「美」は追求せねばならない。自分の「美学」というものを創り続ける「こころ」を養わねばならない。これは無くとも生きて行くことはできるが、往々にして「さみしい」からは逃れられない。たかが「人生の浮き沈み」如きで惑わされることなく、一貫した価値観を見いだす「こころ」は自らが育まなければならない。ある程度、これがわかれば人生は「さみしくない」のかもしれない。だからこれは難しいし、最後に書いてあるのかもしれない。








30代の女性職員はまだ納得できない様子だ。アイロンが終わった鉢巻を箱に入れながら、まだ、自分だったらバカらしくてやってられないと思うけど、とぶつくさやっている。



―――いいこと、教えましょうか?



「いいこと??はい・・」



この鉢巻にアイロンをあてる・・・・洗濯物を上手にたたむ・・・上達する、学ぶ、ということを楽しいと感じる限り、まだまだ、その人は腐っていない、ということです。私がこのアイロンをバカにすれば、私はその時点で腐ってしまっているんです。つまり、私がここで働いている限り、同時にアイロンが楽しい、アイロンってすごい、と思う限り、なるかどうかは別の問題ですが、私はどの組織であれトップになる可能性があります。

こんなことくだらない、こんな仕事情けない、と言い出す連中がいれば、それはその連中がくだらなく、そして情けない人間なんです。世の中にくだらない、あるいは、情けない仕事などというモノはありませんからね。あ、犯罪は別ですがね。

ンで、申し訳ないですが、給料が安い、仕事が面白くない、社会が悪い、親が悪い、施設が悪い、政治が悪い、毎日がつまらない、人間関係が、などと文句ばかりの連中、そこらの“ひと山ナンボ”の連中が束になっても、こういう状態の人間、例えば、今現在の私のような人間には絶対に勝てません。これは予想ではありません。自慢でもなければ虚勢でもなく、人間の恣意的な解釈に依らない普遍的な法則、つまり、物理学です。物事はそうなっていますし、そう決まってるんです。簡単でしょ?だから、みんなにもお勧めします。文句言う前に、先ず、楽しくやってみる。今あるモノを数えて感謝する。これですよ。



私はもう一度、72歳の肩を叩いた。


こういう「生きた証拠」がいるじゃないですか。毎日、楽しくて仕方がないでしょう?


72歳は照れながらも、楽しい、と言った。「人生の達人」はそのあと、我々を見ながらけらけらと笑った。瞬間、私は自分の未熟を知り、ちょっと悔しくなった。まだ、甘い。国会中継なんぞを見て腹を立てている場合ではない。修行が足らん。嗚呼、私もいつか、あのように高齢者の特権、つまり「世の中なんかどーでもいい。勝手にしろ馬鹿どもww」と心底思えるほどの楽観を手に入れたい。そして、妻と二人でバナナジュースを飲みたい。あの偉大なメンターのように、貯金を切り崩しながらも年末には「銀鮭」を焼いて、吟醸酒をちびりと飲りたい。いやいやほんま、いや、ほんま。


4 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-12-01 19:28:54
何か言うのも恥ずかしいぐらいですが・・・
いや、すばらしい。
私など、もっと年上ですが貴男の足許にも及ばない。
その辺の三文文士どもに読ませたい名文です。
有り難うございました。
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Unknown ()
2011-12-02 04:56:02
切り崩してきた僅かな蓄えも
本当に『さびしく』なってきましたw

ヘタっている時に、本部長のブログを見て
『こんな凄い人に評価してもらってたんや俺』
と思うと心が幾分回復します。
ありがとうございます。

年明けには『楽しくガードマン』でも
しようかなと思っております。

年末、『銀鮭』と『吟醸酒』と
『しゃぶしゃぶ和牛』くらいは・・・
まだ買えそうでおますw



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Unknown (Sugar)
2011-12-02 11:14:02
「さみしい」・・・・目から鱗でした。

我が家の中が(家族それぞれが)変化してたのは
それだったんです。

その視点で見ると、
今までのことが凄く良く分かるし、納得。

素晴らしいお話が読めて、幸せでしたぁ~♪

有難うございます。
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Unknown (ナミ)
2011-12-03 13:37:44
寺山修二さんの詩集で読んだ言葉を思い出しました。

淋しいという文字は木がふたつ並んでいるのに何故淋しいのでしょう?

いろいろいろいろありますが今日もいい日だと思いたいです。
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