忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

読者の意見

2011年11月17日 | 過去記事

最近、サッカーとバレーボールが盛り上がっている。女子バレーボールは連勝でよろしく、サッカーでは平壌に5万人の観客が入ったとか騒いでいる。惜しくも日本は敗れたが、産経新聞には「勝ったらどうなっていたか、怖かった」という日本チームのサポーターの声もあった。北朝鮮の人民軍も日本製のデジタルカメラを150台も没収するチャンス、大いに盛り上がったに違いない。連絡はホテルの電話のみ、ということだったらしいが、盗聴していた北朝鮮も、心の底から本当に平和呆けている日本人の会話に戸惑ったのではあるまいか。「観光したい」とかな。それに拉致問題が解決どころか、進んですらいないのに、こいつらはサッカーしに来るのか、それを日本の国民は反対もせず、政治とスポーツは切り離すべき、とか綺麗事をやって黙認するのか、なんという扱いやすい国なのかと。

また、1995年だったか、平壌でアントニオ猪木がリックフレアーと試合した日は、テレビ朝日のアナウンサーが「ここ平壌のスタジアムは19万人の観客で埋め尽くされています」と何度も叫んでいた記憶がある。今なら5秒でバレるウソだが、当時はまだ、テレビでなんでも好き放題出来た「良い時代」だ。しかも視聴者は心の広いプロレスファン、細かいことを言うナンセンスは持ち合わせていない。もちろん、当時も日の丸はなかったが「新日本プロレス」とか「アントニオ猪木」と書かれた幟はたくさんあった。持ち込みが許されていたのだろう。24歳当時の私も中継を見て、北朝鮮人民から大声援を受けるアントニオ猪木を誇らしく思ったものだ。我ながら救えないバカだった。

ミスターアメリカ、金髪の貴公子リックフレアーが「降参ポーズ」をする。猪木は拳を固めて北朝鮮人にアピールする。大歓声が湧く。猪木がナックルでフレアーを責める。フレアーは派手なパフォーマンスで吹っ飛ぶ。最後はトップロープからニ―ドロップ、引き起こしてからの延髄斬りでフレアーはノックアウト、プロレスなど見たこともない北朝鮮人民はそれだけで興奮する。テレビ朝日のアナウンサーも思わず、将軍様のお膝元で安心したのか、本音が漏れて「アメリカを倒せ」と言ってしまってもいた。今思えば、なんのことはない。1995年、北朝鮮はまだ、力道山の街頭テレビの世界(時代)にあった。

まあ、プロレスはともかく、巨人軍は少し前の自民党みたいなことになっているし、有力選手、スター選手を大リーグに持って行かれるし、ということでプロ野球の元気がない今、北朝鮮はともかく、サッカーでもバレーボールでも盛り上がることはよろしい。公然と「日本頑張れ」「日本最高」と言っても右翼扱いされぬ風潮は、ある意味、偏狭なインターナショナリズムが目立つ日本には丁度よろしいリハビリにもなろう―――とか考えながら新聞を読んでいると、TPPに関連すれば朝日新聞レベルと堕す産経新聞に面白いのがあった。

オピニオン欄だ。書いているのは五十嵐徹氏だが、この御仁も他には良いコラムもたくさん書くのに、TPPを取り上げればおかしくなる傾向がある。ちょっと貼っておく。


http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111115/fnc11111507510002-n1.htm
<論説副委員長・五十嵐徹 強者相手でこそ強くなる>

<スポーツ選手の海外移籍は今や日常茶飯事だ。最近も、プロ野球ヤクルトの青木宣親外野手がポスティング(入札)制度により、米大リーグを目指すと宣言した。
 
サッカー日本代表の顔ぶれを見ても、大半は海外リーグ移籍組だ。サムライブルーが目に見えて力をつけた理由の一つに、こうした選手の積極的な海外進出があるのは間違いない。強い相手の中でもまれてこそ、自らも強くなれる。これは何もスポーツに限ったことではなかろう。
 
野田佳彦首相がやっと環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加方針を表明した。「交渉参加に向け関係国との協議に入る」と表現はまだるいが、ともあれ日本の生命線である自由貿易体制について、しっかりと堅持する姿勢を内外に示せたことはよかった。
 
TPPについて日本では、「米国の利益のためになぜ自分たちの市場を差し出さねばならぬのか」といった根拠なき被害者論がまかり通っている。だが実態は、必ずしも日本の交渉参加がもろ手を挙げて歓迎されているわけでもないのである。
 
過去の経緯からも、日本がコメをはじめとする農業分野などで簡単に譲歩はしまいとみているためで、結果的に協定づくりの遅れにつながると懸念する声は米国内でも根強い。実際、そうした意見書が、米議会の超党派議員らから米通商代表部(USTR)に出されている。

市場開放による日本側のデメリットばかりを言い募り、TPP不参加の場合の負の側面には口をつぐむ。自由貿易の恩恵をもっとも受けるはずの国に、その大きな世界の潮流に背を向けよと主張する。奇妙としか言いようがない。
 
TPP反対論者はまた、コメ市場の開放は日本から田園風景を奪い、地方をさらに疲弊させかねないと不安を鳴らす。だが、経済成長の将来図すら描けぬ国が、豊かな田園の維持など、どうやってできるのか。反対論者には、そうした想像力が決定的に欠けている>




上げ足を取るつもりはないが、これはまあ、お粗末に過ぎる。同コラム「風を読む」はいつも楽しみにしているし、同氏の現政権批判コラムも的を得ている内容が多いだけに、これは本当に同じ人物による文章なのかと疑ってしまうほど、ちょっと生意気ではあるが、隙があり過ぎると心配になった。

五十嵐氏も冒頭に大リーグに触れ、続けてサッカーを言う。要すれば、強豪揃いの外国チームでプレイすれば、選手のレベルが上がってほら、日本全体のチーム力が上がるじゃん、WBCもそうだったじゃん、だからTPPも一緒じゃん、どうしてわかんないの?とか言いたいのだとわかる。だが、ちょっとマッテほしい(しゃきーん)。

じゃあ、例えば、なぜ「日本ラグビー」はW杯で20年も勝てないのか。監督をはじめ、チームの4割程度はニュージーランドなどからの「外国人選手」ではないか。つまり「強豪揃い」の中で育ったのではなく、どころか、その「強豪揃い」から「強豪」を引っ張り込んで勝てぬ場合もある、ということではないか。

五十嵐氏の言う理屈は簡単だ。「ホロンの法則」というものがある。「個が集まれば全体となる。このとき個は全体の一部である」というアレだ。更に「いかなる個が存在するかによって全体は変わる」とある。なるほど、この法則だけに従えば、五十嵐氏の言う<強い相手の中でもまれてこそ、自らも強くなれる。これは何もスポーツに限ったことではなかろう>で「強い個」を製造、それを組み入れた「全体」は「強く変化する」と成立する。しかし、ならば「なでしこジャパン」はどうなるのか、と問えば五十嵐氏は何と答えるのか。代表選手の過半以上は「外国チームに所属」どころか、アルバイトしながら練習していた、普通のサッカー女子ではないか。

それに「大リーグで成功しているプロ野球選手」を想い浮かべてみよ。活躍している、あるいは「通じている」選手とは、例えば、先ず、日本人ならイチロー選手を思い浮かべるはずだ。イチロー選手が評価されたのは、大リーグに溢れる「長距離バッターだったから」ではあるまい。体格的には決して恵まれていない。また、松井ファンには申し訳ない、と最初に謝っておくが、高校時代に怪物と言われ、読売巨人軍で3年目から4番を打ち、外れて3番を打ったのは落合が移籍してきたから、という超が付くスーパースターはニューヨーカーから「ゴロキング(内野ゴロが多いから)」と呼ばれた。日本の「怪物バッター」の如きは大リーグに、それこそごろごろいたわけだ。

つまり、誤解を恐れずに書けば、日本プロ野球界で大活躍した選手の中で、アメリカに行っても同じように、あるいは日本時代を超える活躍をした選手は我らが「イチローだけ」なのである。また、WBCで日本が勝つのも同じく、それは世界が認める通り「チームプレイに徹する精神」やら「精密に計算された作戦」などが要因とされる。これは「なでしこ」でも同じだった。テレビは散々「体格で勝る競合相手に~」とやっていた。すなわち、コレの失敗が「日本ラグビー」である。「体格で負ける」というひとつの敗因から、チームの4割以上を外国人にした。しかし、これで「ホロンの法則」でいえば勝てるはず、せめて「1勝」は可能なはずだが、これが前回のW杯でも勝てなかった。無念ながら、カナダと引き分けるのが精一杯だった。後半途中まで8点差だった。日本の「1勝」は目の前だった。しかし、日本は後半35分、カナダのカウンターを喰らって、あっさりとトライを許してしまう。それから自陣で戦った日本は「残り1分」で同点PGを決められる。無責任に言うが、アレは「勝っていた試合」だった。日本としての作戦、あるいは日本としての戦い方が未完成だった、と言わざるを得ない。「同じモノを揃えるだけ」では白人国家に勝てない、ということは、もう、学んだはずだ。それは基本的に「相手のモノ」なのであるから、どこまでいっても絶対的に足りないのである。劣化コピーに過ぎない。



しかし、だ。

世界の中で競い合う、ことに文句はない。世界の強豪の中で成長する、もその通りだと思う。しかしながら、その中で「勝つ」には「勝つなりの理由」というものがあるし、そしてそれはスポーツであれ、経済であれ、戦争であれ「日本的なモノ」を見失っては勝てぬというのだ。日本には日本の勝ち方、戦い方、がある。また、それは決して消極的なものではない。小さい枠組みの中だけで通用する「井戸の中の蛙」でもない。もしかしなくても、世界を一新するほどの威力を持った、およそ、すべての人類の課題を克服する可能性を包含した「理想的」な勝ち方、そして戦い方であった。そしてそれを最も恐れているのが、今も昔も白人国家とその傀儡国家である。

それは外国人からして「そこまでやるのか」と驚愕に値する徹底された分析や管理、個人主義に勝る公的な感覚、連綿と何世代にも受け継がれる技術、心、これらの多くは外国にはない日本的なモノ、それこそ五十嵐氏の言う<これは何もスポーツに限ったことではなかろう>ということなのである。日本は先ず、日本としての勝ち方、戦い方を思い出さねばならない。取り戻さねばならない。話はそれからなのである。



「自由からの逃走」を書いたアメリカ人、精神分析学者のエーリッヒ・フロムは「人間の遺伝子」についてこう述べている。



「人の遺伝子には『持つ能力(to have)』と『ある能力(to be)』がある。これらは人間として欠くことのできない能力である」



戦後日本は言うまでもなく、この「持つ能力」については素晴らしく発揮した。誰でも洗濯機を持っているし、テレビも冷蔵庫も「持っている」ことになった。携帯電話もパソコンもそうだ。比して失われたのは「ある能力」だ。携帯電話の所為で、頭の中には「いくつの電話番号があるか」数えればわかる。自宅はともかく、友人や取引先の電話番号はどうだろう。私もそうだが、パソコンで文字を打つから、読めても書けない漢字が増える傾向にあることも怖い。考えてみれば、読むことはするが、常に「書いていない」わけだから、書けなくなるのは必定なのだ。

同じく、日本の良いモノ、良いことは、すべからく「あった」になりつつある。無論、言うまでもなく、TPPはコレを加速させる。TPPに関することになれば、あの産経新聞ですら、国会で晒された野田総理の無知も報じない。理路整然と民主党の危険性を公言する、という「全国紙の役割」のことであるが、コレも朝日新聞には無く、産経新聞には「あった」ものである。五十嵐氏も鳩山や菅は滅多斬りにしたが、野田総理のTPP参加方針の表明には安心して<ともあれ日本の生命線である自由貿易体制について、しっかりと堅持する姿勢を内外に示せたことはよかった>と遠慮気味に評価している。自民党の佐藤ゆかり氏は「(自由貿易体制が)日本の生命線」かどうかはともかく、一国の総理、それも推進すると決断すべき立場の政治家が、その「自由貿易体制」とやらを理解していなかったことに驚いている。「内外に示せた」のは「堅持する姿勢」などではなく、日本には条約の要を理解せぬ頼りない総理大臣がいる、という赤面するほどの「恥」である。

このコラムの最後の方も酷い。反対派に対する批判だ。

五十嵐氏は<(TPP反対派は)市場開放による日本側のデメリットばかりを言い募り、TPP不参加の場合の負の側面には口をつぐむ>と筆を尖らせる。しかし、これは100歩譲っても「水掛け論」にしかならぬと気付かないのだろうか。しかも、私が知る限り、反対派のほうが理路整然と説明できているし、そういう場にも積極的に参加して訴え続けていると思う。賛成派の言う「メリット」なども、尽く粉砕されているのが現状である。大手メディアが示し合わせたように賛同し、結局は交渉参加を既定路線にしているわけだが、その「TPP参加推進連合軍」が謳う「メリット」とやらの根拠は、私からしても脆弱、且つ、浅薄なものだ。つまり、国と国との関係はいろいろあるが「なぜTPPなのか」の説明が全くされていないに等しい。中には「日米同盟を深化させる」しか言わぬ「野田総理レベル」の推進派もいる。こんなんじゃ心配になるのは当たり前だ。



五十嵐氏の名物コラムはこう〆る。

 
<TPP反対論者はまた、コメ市場の開放は日本から田園風景を奪い、地方をさらに疲弊させかねないと不安を鳴らす。だが、経済成長の将来図すら描けぬ国が、豊かな田園の維持など、どうやってできるのか。反対論者には、そうした想像力が決定的に欠けている>


コレも酷いモノだと思わないだろうか。反対論者が「日本から田園風景がなくなる」と案じているなら、それは「なくならない」という説明を根拠に基づいてなさねばならない。それを「経済成長も出来ぬのに何を言う」で済ませるならば、反対論者の<不安を鳴らす>は正当な不安であり、やはり、TPPによる「日本的なモノの破壊」は杞憂ではないと絶望するだけだ。つまり、五十嵐氏は「TPPに参加すれば日本の田園風景は守れる」と明言できない。できるのは<経済成長の将来図すら描けぬ国が>と祖国を馬鹿にすることだけだ。これでは朝日新聞の論説委員である。


産経新聞は「ウォン安」も報じながら、それでも同じ紙面で「韓国企業に日本が負けた」と何度もやった。日韓スワップを批判しながら、それでも、韓国の輸出が伸びているのはウォンを安くしているから、という常識は書かなかった。これらもすべて「TPP」によって失われた「あるモノ」であった。産経新聞はTPPで「朝日化」しているのだ。

それにどこの反対派が「自由貿易」について反対していると言うのか。

先月、私は台湾旅行の〆で、彭明敏・前台湾総統府資政(最高顧問)による講演会・懇親会に参加させていただいたが、同じテーブルに「お茶の先生」がいた。京都にも生徒さんがいるという台湾在住の日本人女性だった。同会には財団法人国際文化基金会の揚劉秀華会長や台湾最大の発行部数を誇る自由時報の社長・呉阿明氏なども挨拶、というか講演と変わらぬ良いお話をされていたが、それらの合間に「お茶の話」を聞いた。日本でも台湾のお茶は好まれているし、台湾でも日本茶の人気は高い。つまり、どちらも「お茶を飲む国」であるから、互いに関税をかけあっているのだと。

「(個人で買う)お土産は大丈夫」ということだったが、これが6キロを超えると簡単ではない。先ずは「原産地証明書」がいる。それから台湾の経済部標準検験局から発行される「検査済み証明書」も必要となる。では、流通していないのか、といえば、これはすごくしている。台湾の茶は美味いから、日本人でもファンがいる。つまり、需要がある。

日本という国は、日本に留学している台湾人学生が、日本政府が外国人留学生に支給している東日本大震災に関する補助金12万円を受け取ろうとしたら、学校側から「台湾は国家ではないため、台湾からの留学生は補助金を受け取る資格がない」と言われた国とですら自由貿易している。ケタ外れの義捐金、それも台湾政府は地震発生の翌日12日は1億台湾元(2億8千万円)を用意し、救助隊も発生当日の11日に派遣する段取りをしつつも、支那共産党に配慮した日本政府から待機要請を受け、支那と韓国のあとになる14日にようやく現地入り(自力で)した台湾とですら自由貿易しているのである。

韓国政府は4000万円を用意してくれた。物資も送ってくれた。「韓国のり」を225キロも送ってくれた。凄い量だ。その代わり、韓国の金滉植国務総理は地震が発生した3月末の「教科書検定」に際し「今回の韓国政府による支援を考慮し成熟した対応をするように」ともちゃんと付け加えた。それでも3月末、竹島を巡って教科書問題が浮上すると、ソウルで集まった義捐金の8割は「独島守護活動」に回した。そんな韓国とも日本は自由貿易している。

支那は世界の大国らしく、支那赤十字は人道的支援、緊急支援金として1260万円も用意してくれた。さすがは経済大国第二位の支那であった。北京の人々も「日本を助けよう!」として義捐金を集めてくれた。ぜんぶで5000元になった。6万円と少しになる。支那は「過去の遺恨による民族主義は天災や人道とは関係ない」と言ったが、やっぱり、ちょっと無理だった。関係あった。そんな支那とも日本は自由貿易している。自由貿易をしていない北朝鮮は3月13日、労働新聞は大震災の記事と共に「日本は植民地支配の清算をセヨ」と載せたが、サッカー日本代表は試合をしに行った。

このように日本は既に「開かれ過ぎている」と思われる。

五十嵐氏はTPP参加という問題を「自由貿易の問題」などと朝日新聞のように矮小化せず、産経新聞らしく、堂々と日本の国益の観点からメリット・デメリットを論じて頂きたいモノだ。日本は日本らしく、日本特有の戦い方をすれば、先ず、負けない。問題はそれらが薄れ、忘れられ、捨てられていることだ。私が愛読する産経新聞は、そういう視点で記事を書く新聞だったはずだ。一読者としての意見に過ぎないが、TPPに関して言えば、とても残念である。


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