忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

モーガンの警告(41回目・ガラガラへび)

2012年05月22日 | 過去記事

アメリカ独立戦争で有名になった野戦戦術家のダニエル・モーガン。彼はイギリス植民地軍が軍事拠点とするため、アメリカ・インディアンの領土に建設した「ビット砦(後のダンモア砦)」に侵攻。そこでイギリス人ではなく、自軍の上官を殴って鞭打ちの刑に処される。叩かれた回数は499回。普通は死ぬ。

有名なのは「カウペンスの戦い」だ。この時の戦術が大いに評価されて、後世から「独立戦争中の戦術的傑作」と言われることになる。モーガンは自軍をブロード川とパコレット川の間に配置した。これでタールトン将軍率いるイギリス軍が圧倒してきても「民兵」が逃げられない。いわゆる「背水の陣」をやったわけだが、もちろん、これだけで「戦術的傑作」なわけもなく、モーガンは兵隊を狙撃兵、民兵、主力部隊に分けて配置した。

民兵には「2発撃ったら後退してよい」とした。訓練も足らない民兵にイギリス軍本隊、御自慢の騎兵隊の相手は無駄死にとなる。ならば消耗させるだけでよろしいとした。その間、騎兵隊にも大砲にも怯まない大陸軍の主力部隊は隊列を整えた。民兵は順次、2発撃ったら後退して行く。タールトンは追撃する。騎兵隊の陣形が長く長く伸びる。よっしゃ勝ったで!となるイギリス軍だったが、そこをモーガン率いる主力部隊が挟撃する。右側と後方から一斉射撃。イギリス騎兵隊はパニックになる。

さらに引き返したはずの民兵が戻って来て攻撃に加わる。モーガン率いる大陸軍は2000名、死んだのは12名だった。イギリス軍は10倍以上の死者を出し、500名以上が捕虜にされた。大陸軍の完勝である。

イギリスからすれば「仇」のような豪胆であるが、誰にでも「泣きどころ」というのがあって、このダニエル・モーガンは「坐骨神経痛」に悩まされた。バージニア植民地政府が称賛して土地と建物を与えたころ、モーガンは常に痛みを感じる状態だったと言われる。


私もダニエル・モーガンほど豪胆ではないし、戦術家でもないのだが、それでも断崖から20メートル落ちても死ななかったし、フロントガラスから飛び出るほどの事故、横転したトラックから火花が飛ぶ事故も起こしたが、ほとんど擦り傷だけで済んだという頑丈な男だ。それが最近、尾骶骨から背骨にかけてとても痛くて泣いていた。「坐骨神経痛」だ。




もはやこれまで。41歳になる前日をして「明日は医者に行こう」と心を決めた日、その日は「サントリー山崎蒸留所」を予約していた。14時からだった。仕方がないからあきらめた(医者を)。それから予定よりも早く家を出た。鈍間の化身である妻の機嫌を損ねぬよう、上手に急かして3時間ほど前に出た。目的地には1時間ほどで到着するのだが、思うところあって早く出たわけだ。車で1時間ほど走れば、京都府京都市西京区にある寺院「善峰寺(よしみねでら)」に到着する。










天然記念物の「遊龍の松」があった。










先ずはその予想外の景観にやられる。京都市内、比叡山が一望できる。「遊龍の松」の近くには桂昌院の遺髪を納めた桂昌院廟所がある。さらに細い石段の道を進むと釈迦堂、この北側にはなんと、薬湯場がある。お風呂だ。神経痛、腰痛に効能があるとされる薬湯風呂があった。こ、これは・・・と思ったが時間がない。妻はもう「ここなんか好き。サントリーはやめよう」とか言い出している。不思議と善峰寺が気に入ったようだった。






そもそも「その御寺、行こう」と決めたのは妻だった。私は行くつもりはなかった。出発前日、妻にこのブログのコメント欄に「善峰寺に寄ったらいいよ」というコメントがあったと伝えた。妻も名を知る私の古い古い悪友からだと言った。妻は「ふうん」という反応だったが、当日、なぜだか能動的に急いで用意をし始め「その御寺、行こう」と言って来た。とても不思議だったが、ま、いいか、ということで従った。







サントリーには行った。お風呂はまた今度の機会に譲ることにした。蒸留所を見学、さらには山崎10年、12年、18年などの試飲もあった(基本的にたくさん飲める)。みんなハイボールで飲んでいたが、私と白人夫婦だけがストレートで飲んでいた。ショップでは「山崎」と印字されたグラスを買った。山崎も買った。おつまみも買った。その間、ずっとウィスキーにまったく興味がなく、蒸留所でも立ち込めるウィスキーの香りに嘔吐寸前、きぼちわるい・・・しか言わなかった妻は、善峰寺で入手した「神経痛のお守り」で私の臀部から腰あたりを撫でていた。

帰宅してから寝た。山崎の飲み過ぎ、という贅沢な理由もあったが、なんとなく、どっぷりと疲れが出たような感じだった。そして深夜、目覚めると奇跡が起っていた。

痛くない、のである。あれほど痛かったのに、である。介護主任に相談してしばらく休もうかと思っていたのに、である。そしていま、まだ痛くないのである。





(たまには)人の言うことを素直にきいてみる。コレは結構、大事なことかもしれない。










妻は善峰寺におられる「幸福を招くお地蔵さん(幸福地蔵)」の前で喜んでいる。







この地蔵様は300年以上前からここにいらっしゃる。桂昌院が人々の幸せを願い拝んだお地蔵様だ。栞にも「自分以外の人の幸せを願いましょう」とある。妻が困惑しながら「しゃーないから、おとしゃんの幸せでも願う」とネガティブな言い方をしている。旦那の幸せを「しゃーないから」で願われては困るから、こういうときは「いちばん嫌いな人」の幸せを願いなさい、とアドバイスした。こういう皮肉が最大の攻撃となるのだ。

おみくじがあった。50円。100円入れて妻にも取らせる。妻はおみくじが好きだ。

私のも読んでみる。そこには・・・・




中吉―――――・・・・・酒は控えよ



い、いまからサントリーに行くのだぞ・・・・むぅうう・・・妻が善峰寺に着くなり、私があれほど待ち焦がれていたのに「サントリーはやめよう」と言ったのは、もしや、なにかの予言・・・・??そ、それにダニエル・モーガンといえば1791年に発生した「ウィスキー税反乱(※ジョージ・ワシントン政権が国債を償還するためにウィスキーに課税するとしたから、民衆が怒って蜂起しちゃった)」を鎮圧した将軍でもあった。これもなにかの因果なのか・・・


い、いや、コレは違う。これは今日、ここに行けと言った彼に対する御言葉だ。私に言ったわけじゃない。だって私は肝臓の数値もよろしい。




というわけで、山崎は2本買った。グラスも2個買った。こんど、大阪に行くとき持参する。悪友よ。一緒に飲もう。あの公園か、もしくは、あの文化住宅の階段で。

2 コメント

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Unknown (あきぼん)
2012-05-24 13:19:55
「自分以外の人の幸せを願いましょう」
私も心に留めていました。
日本らしいとても良い言葉ですよね。

善峰寺はこれからの季節
はアジサイがとても美しく咲きます。

・・・・酒は控えよ  
コレ多分私に対する言葉でもあります・・汗
この前、社の飲み会で
やらかしちゃいました・・

外飲み禁止になっちゃったけど
あの階段で飲るなら・・・

いっけんのグラスは私が用意します
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Unknown (久代千代太郎)
2012-05-29 12:43:07
>あきぼん殿

あれから1週間以上、坐骨神経痛が再発・・・しません!たいしたものですな。


>やらかしちゃいました・・


ま、まあ、そういうこともありますよ・・・なにをやらかしたのか、は今度聞きますねww


いっけんのグラスよろしく。カフェオレは用意します。
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