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ニラと間違え、スイセン卵とじに…一家5人搬送(読売新聞) >2012.5.21

2012年05月21日 | 過去記事

    



ニラと間違え、スイセン卵とじに…一家5人搬送(読売新聞) - goo ニュース

<20日午前8時15分頃、北海道旭川市神楽岡の自営業男性(60)から「家族がニラと誤ってスイセンを食べて食中毒を起こした」と119番があった。

 旭川東署と旭川市保健所の発表では、 嘔吐 ( おうと ) や下痢の症状を訴えたのは男性と母(84)、妻(47)、長男(12)、長女(9)の一家5人。全員病院に運ばれたが軽症で、快方に向かっている。

 一家は同日朝、庭で採取したニラを市販のニラと交ぜて卵とじにし、朝食で食べており、一緒に栽培していたスイセンの葉が交ざっていたらしい。

 同保健所によると、スイセンの葉はニラに似ており、春になると誤って食べる事故が全国で起きているという>







小学校低学年くらいから、いまは亡き祖母に連れられて山に行く。夏休みなどはもちろん、週末もほとんど連れて行かれた。「行かれた」と書くのは、私がそれを希望していなかったからだ。半ば強引だった。私に「何か憑いていた」のだと思われる(笑)。

土曜日の早朝から一番電車で出掛ける。それから山を歩き回ってお寺に泊る。翌日の早朝、叩き起こされて掃除をし、それから御経を唱えている坊主の横に座らされ、ようやく朝御飯が食べられる。そのあとも滝に打たれたりするのだが、祖母はよく、合間を見て山菜取りに興じていた。美味かったのは「たんぽぽ」や「わらび」だ。あと覚えているのは「すかんぽ(イタドリ)」だ。山を歩きながら、喉が渇いたと祖母に訴えれば、これを齧らせてくれた。酸味のある苦い汁が出てくるのだが、調子に乗った私がボリボリ喰おうとすると叱られた。イタドリの生食は食い過ぎると人体に有害なのであった。祖母は知っていた。

2年ほど前、奈良の小学校で「じゃがいも」を皮ごと調理させて17名が病院に搬送される事件があった。「じゃがいも」の表皮や芽にはソラニンというステロイドアルカロイドの一種が含まれる。コレは神経に作用する毒性を持つ、とむかし、学校でも習った。我がオカンも「ソラニン」という言葉を知っていたかどうかはともかく、ジャガイモの芽を喰ったら嘔吐して倒れる、と既知であったから、幼少の頃の私も病院に運び込まれなかった。

今年の4月にも「トリカブト」と「ニリンソウ」を誤認し、北海道函館市の家族が「トリカブトのおひたし」を食べて病院に搬送、一人が死亡する事件もあった。毎年、何人かは山菜やキノコを誤認して毒性のあるものを食べて死ぬことになっている。酒飲んで川にどぼんして死ぬ人、台風に田んぼの様子を観に行ったり、犬の散歩をしたりして死ぬ人も必ず、毎年「一定数」出てくる。記事の「ニラとスイセン」も同じ。過去に「アサツキとスイセン」の間違いもあった。どちらも「ニラの匂い」はしなかったと思われるが、見た目が酷似していることから口にしてしまう、とのことだ。しかし、である。

この北海道の「ニラとスイセン」―――病院に運ばれた5人に「命に別状はない」ということ、さらに「軽症で快方に向かっている」とあるから書くが、この家族、申し訳ないが笑ってしまった。というのも記事を読むと<一緒に栽培していたスイセンの葉が交ざっていた>とあるからだ。

スイセンの致死量は「10グラム」と言われる。育てていたなら花の色も「黄色い」と知っていたはずだ(ニラは白い花が咲くね)。庭で「トリカブト」と「ニリンソウ」を一緒に育てていたようなモノだ。つまり、怖いのはスイセンだけではなく、こういう浅薄な認識だ。


肉もそうだ。契機は「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件だった。それまで「O157」は肝臓の外側にしかない、とされていた。カンピロバクターやサルモネラと違い、あの恐ろしい「病原性大腸菌O157」は牛の腸管にしかないから、肝臓の内部は比較的安全だとされていた。もちろん、いまでも「比較的安全」ではある。肝臓内部から「0157」が出た牛は「150頭のうち2頭」だけだった。牛の腸管を生で喰うことに比せば、生の肝臓を喰うことは「比較的安全」と言って大過ない。

しかし、近代国家における「食」とは、公園のブランコや遊園地のジェットコースターなどの遊具と同じく、安全100%が基本、最低条件となる。こんなの当然のことだ。焼肉屋や食肉業界は「国が食文化に過剰介入、やり過ぎ」と非難するが、安価な生レバーを子供や年寄りに喰わせる「浅薄な認識」が横行する世の中にあっては国家が禁止する他ない。食肉業界は「これからも死人が出るかもしれないが、それは自己責任」と言えるのか。

そもそも「生レバー」など子供の喰い物ではなかった。「それはちがう」というなら、どうぞ、白い米のメシの上に血の滴るレバーを載せて喰わせてみればいい。カレーに混ぜてみればいい。オムライスの上に載せてみればいい。ハイエナじゃないんだから、普通、人間の子供は血塗れの内臓は「おかず」にしない。アレは100歩譲っても大人の趣向品、酒の肴だった。だから立ち飲み屋では500円であるし、焼肉屋に行けば1000円近いモノだった。

「ユッケ」と同じく、それを「女性客が好む」として安価で提供したツケだ。客は「店が出しているんだから」として100%安心を得たつもりになる。家に帰って子供が嘔吐すれば問答無用で「店が悪い」になるのが、いまの世の中なのである。母親が喰えば子供も欲しがる。だから「一人前ずつ」注文する。職場には「好きだから3人前食べる。子供も食べる」というゾンビみたいな女性もいるが、あんなものは所詮、量を喰うモノでもない、と昔の大人は知っていた。抵抗力の弱い子供や年寄りには「ダメだ」と言える大人がいた。

ニラとスイセンを一緒に育てて卵でとじる家族がいるなら、厚労省が「安全優先」で生レバー禁止も仕方がない。これ以上、死人が出てから「なんで禁止にしなかったのか」とやられたらたまらない。河内屋の親父がコンビニでタバコを買う際、私は20歳以上です、というボタンを押させるとして「オレのどこをみれば未成年?」と憤っていたが、それも店側の過失を指摘する非常識が罷り通る世の中になったからだと自明である。




――――危険とかリスクを察する常識が壊れている。しかし、その結果は往々にして重大、且つ、深刻だ。いま、山の中だけではなく、巷にも国会にも見分けのつかぬ「毒」が紛れ込んでいる。「トリカブト」と「ニリンソウ」のように見分けるのはとても困難だが、言語や見た目こそ「日本人と変わらぬ」ものの、強い毒性を持つのが跋扈している。コレは図鑑を見てもわからないが、周囲に「反日」という毒を撒くから観察していればわかる。

ただ、問題は最近の世の中、これを察知できぬ大人が増えたことだ。




2 コメント

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珍味の思い出 (島根の子年)
2012-05-29 01:24:51
20数年前、JR尼崎駅近くの居酒屋で食したレバ刺しを想い出しました。ごま油と塩で味付けしてあり、一人前が5切れぐらいだったと記憶しております。
それよりさらに昔の学生時代、鮮魚店でバイトしている友人が、売れ残ったウニを大量に持参して飲み会をしましたが、最初は美味い美味い、と大喜びでしたが、丼一杯のウニを食すると、さすがに気持ちが悪くなりました。
珍味はちょこっと食べるから美味いのであって、過ぎたるは何とやらです。
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Unknown (久代千代太郎)
2012-05-29 12:46:17
>島根の子年さん

おひさしぶりです。


ですね、過ぎたるはなんとやらですね。私も若いころ、近所の兄ちゃんがケンタッキーでバイトしてましてね、溜り場に持ってきてくれるんですが、それがもう、勘弁して下さいになりましたね。油っこくて。


なんでも適量がありますな。

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