忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

橋下は沖縄県知事になれば面白いかもね

2011年11月29日 | 過去記事

大阪ダブル選挙。大方の予想通り、大阪維新の会の圧勝だった。維新の会会長、橋下新市長のやり口は同じ。論点を集約しての一点集中、YESかNOか、という問いかけ、合わせて「変えねばならない」という改革強調、いわば小泉純一郎とバラク・フセイン・オバマを足して「きつねうどん」で割ったような戦い方だった。比して、破れた平松陣営は「独裁は許さない」をアピール。橋下はダメだとやった。既成政党相乗りながら、辻元やら佐高という「色のついた連中」の応援も頼んだ。大阪の人々は橋本氏を「独裁者」ではなく「リーダー」と見込んでいた。相も変わらず、既得損益に絡む連中と有権者との「意識の乖離」は凄まじいモノだが、為政者が民主主義を玩具にして、裏でこそこそ悪さばかり、価値相対主義という民主主義の宿痾にもうんざり、対策も対応も遅々として進まぬ馬鹿らしさから、もう、少々強引な「独裁的なリーダー」の登場を期待するのは仕方がない。

各新聞は「圧勝」と書いた。民主主義における「人気」とは圧倒的を意味する。だから平松氏も有利だと言われる「現職候補2期目」ながらも圧倒的敗戦を喫した。もはや、既成政党の小物どもは適わない。「橋下人気」にあやかろうと小物どもが尻尾を振る。

そういえば朝日新聞が社説で威張っていた。タイトルは<橋下旋風―政党は「敗北」から学べ>である。みんなの党の渡辺喜美代表や国民新党の亀井静香代表が<橋本氏に連携を呼びかけている>と指摘しながら<各党は心しておくべきだ。政治理念や政策のすりあわせを後回しにして、橋下人気にあやかるかのような接近ならば、既成政党への失望をさらに深めるだけだ>とくぎを刺している。ま、これはいつものように、羞恥心を殺さねば朝日新聞などで働けないという証左でもある。どの口で言うのか。

2008年10月。橋下氏は大阪府知事として兵庫県伊丹市にある陸上自衛隊伊丹駐屯地で行われた「陸上自衛隊 中部方面創隊48周年記念行事」にて、その祝辞の中で<口ばっかりで、人の悪口ばっかり言っているような朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる>と述べた。これは朝日新聞社説の<橋下TV発言 弁護士資格を返上しては>(2008年10月3日付)を受けてのモノだった。散々小馬鹿にしておいて、あることないこと書き殴って攻撃しておいて、いま、同じ紙面で<各党は心しておくべきだ>とは笑わせる。<心する>のは朝日新聞も同じだろう。


ところで、朝日新聞も「橋下氏は敵を作る」と指摘しているが、コレは言うまでもなく、小泉劇場の際に吊るされた「抵抗勢力」のことを言っている。今回のダブル選では平松氏陣営が「抵抗勢力」だった。「改善しようとすれば既得損益に埋もれた連中が邪魔をする」というわかりやすい悪者である。私はこの単純な「対立の構図」が必要なときはあると思う。「相手の意見も尊重しよう」とは聞こえは良いが、その実、何も進まないし、相手の悪意を計り損ねれば手痛い失態に結び付く場合もある。大物気取りの調整型もよろしいが、それも時と場合、相手によるわけだ。日本の外交的失敗における原因の過半はコレだ。




沖縄防衛局長が更迭された。琉球新報に狙い撃ちされた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111129-00000600-san-pol
<田中氏を更迭 女性や沖縄を侮辱>

更迭された田中氏は、沖縄の基地移転反対派や同調圧力を発するマスコミの対応もしていた。地元住民との「調整役」も仕事だったわけだ。

田中氏は<発言は報道と一致しない>と言うが、反日反米の巣窟にて「オフレコの場」があるなどと思ったこと自体、手段を選ばぬ沖縄左翼からすれば、いつでもどーにもできるタイプの官僚だった。発言したという<(女性を)犯す前にこれから犯しますよと言うか>も、発言内容が事実、もしくは、似たようなことを言ったとすれば、ノンキャリアながら防衛施設庁に入り、その後、自力で上級職国家公務員試験を突破、キャリアとして改めて防衛施設庁入りしたとは思えぬ安易、且つ、稚拙な発言であるという他ない。要するに油断し過ぎである。また、田中氏はこれ以外にも重大なことを語っていたようだ。

<政治家は分からないが(防衛省の)審議官級の間では、来年夏までに普天間の移設問題で具体的な進展がなければ(普天間の代替となる)辺野古移設はやめる話になっている。普天間は何もなかったかのようにそのまま残る>


お粗末に過ぎる。だから「自称・素人」の防衛大臣は、自分も「弁解の余地はない」ほどの不見識ながら、田中氏の発言を受けて<弁解の余地はない>とさっさと更迭した。自分が環境影響評価書の提出時期を明言しないことを犯す、あるいは殺す、盗む、でもよいが、つまるところ、明確なる自覚的「犯意」に基づく無為無策を露呈されたからだ。

政治家は選挙が、すなわち民意が怖くて主義主張は出せない。だからメディアは民意を作るし、そのためには誰でも吊るす。反日メディアには明確な敵意があり、その目的もある。仲井間知事も<コメントしない。口が汚れる>とのことだが、それはそれとして、沖縄県民に明示せねばならぬことはあろう。民主党政権に辟易するのは仕方がないが、県民の代表であり、日本の国益も大いに絡む基地問題については「口を汚してでも」語らねばならぬ真意があったはずだ。沖縄左翼の御用メディアを「抵抗勢力」と断じ、真っ向から敵対し、厳然と引かぬ強いリーダーが、沖縄にも東北にも必要なのだ。

もういい加減、リーダーシップを発揮すればファシズム、有権者から支持を受ければポピュリズムという安易な批判は通じない。その証明が大阪だった。平松氏は橋下氏の発言で「独裁容認」があったと危惧していた。これは正確に言うと<日本では一言目には、独裁を許すな!となるが、ねじれ国会になると、政治がリーダーシップを発揮しろ!となる。
今の日本に必要なことは政治が力強さを持つ制度。今の議院内閣制がダメなことは国民皆が知っている。日本のリーダーを選ぶ権限を、何で国会議員に白紙委任しなければならないのか!>という橋下氏のツイッタ―のことだ。大袈裟な人はナチスが台頭する1930年代のワイマール共和国の知識人の危惧を持ち出して不安を煽る。橋下はヒトラーだと。

別にヒトラーでもビンラディンでも結構だが、要するにそれなら「歴史の必然」というものだ。判然とする敵が存在するならば、それを指し示す者がリーダーとなる。妥協もなければ懐柔もしない。「オフレコ」を信じて気を許すようなお人好し、大阪でなくともいらない。まあ、もっとも、言ったことに責任を持たず、奴隷根性丸出しの売国政治屋はもっといらない。大阪がよくなるか悪くなるかはともかく、この選択はとりあえず、何かを動かすのだろう。


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