忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

老人ホームで職員切りつける 殺人未遂容疑で85歳男逮捕>2012.5.27

2012年05月27日 | 過去記事

    



http://sankei.jp.msn.com/region/news/120526/akt12052616120001-n1.htm
<老人ホームで職員切りつける 殺人未遂容疑で85歳男逮捕>

<秋田県警北秋田署は26日、入所している養護老人ホームで女性職員2人を切りつけたとして、殺人未遂の疑いで北秋田市阿仁幸屋渡前野7の3、無職佐藤奇造容疑者(85)を現行犯逮捕した。
 逮捕容疑は、26日午前8時25分ごろ、北秋田市阿仁養護老人ホーム「もろび苑」の食堂で女性職員2人の顔や首を果物ナイフで切りつけ、けがを負わせた疑い。2人は軽傷で、命に別条はない。
 北秋田署などによると、佐藤容疑者と女性職員1人の口論が発端となった。佐藤容疑者は2008年11月から入所していた>





最近、老人ホームでの虐待事件が相次いで報道されるから、私の仕事場でも「監視カメラ」には気を付けろよ、という冗談が聞こえてくる。中には「あったほうがいい。こっちがどれだけ怪我させられているか知ってほしい」という職員もいる。

夜中、帰らせろ!と怒鳴りながら「杖」を振り回すお爺さんもいる。男性職員は「殴られる覚悟」で杖を抑える。私はナンセンスだとずっと思っていた。ここは病院じゃない、刑務所でもない。帰りたいならその旨、家族に説明して迎えに来てもらうべき、というスタンスだった。それが相談員、その他の仕事じゃないのかと。ということで昨日、ひとりの爺さんが「帰らされた」。帰る、と言い出して激高し、それを宥める職員をぶん殴った。大声でやるから、他の入所者も眠れない。認知症者も不穏になる。帰らせるしかない。

痣を作りながらする理由はない。血が出るほど咬まれたり、引っ掻かれたり、殴られたりする覚えもない。少なくとも「強要」できるものではない。可能な限り「怪我をしないように対応する。対策を講じる」のが常識である。何もせず、それくらい我慢しろ、という施設からは脱出することをお勧めする。それにそういうジジババは「他の入所者」にも手加減なしだから、コレがとても危ない。何かあったら、それも施設の責任、職員の過失とされる可能性はふんだんにある。

特別養護老人ホームは「生活の場」である。だから「果物ナイフ」も置いてある。この事件も相手が職員だったから軽症で済んだ可能性もある。被害者が他の入所者ならば、碌な抵抗も出来ず、避けることも適わず、マトモに刺されて死んだ可能性は否定できない。

もちろん、刺されるのは勘弁だが、私は殴られても対応する。施設に文句も言わないし、被害者面してわぁわぁやったりもしない。私はそれができる。難儀な相手ならばこそ、やってみようというモチベーションも滾る。しかし、それを強要したり、そうすべきだ、とは言えない。それは私の個人的な職業倫理、仕事観、矜持の問題だ。

すぐに咬みつくお爺さんがいる。この人はすぐに誤嚥性肺炎になる。緊急搬送までは至らぬが、ちょくちょく入院することになる。しかし、半日ほどで帰ってくることが少なくない。理由は「看護師を咬んだ」とか「医者を殴った」になる。じっとしないから治療もできないし、そもそもなにかと通じないし、ともかく凶暴だということで、こんなのしるか、と突き返される。つまるところ、勝手に肺炎で死ね、ということではなく、まあ、大丈夫なんだろうと解釈している。そうでなければ酷過ぎる。

最近、同じ日に3人死んだ。それぞれ入院先で、だった。顔も声も覚えている。若い頃の話や、現役時代の仕事の話、戦争に行った話、いろいろと話してくれた人もいる。1年ほど前、着替えさせる私に「苦労かけるね」と言ってくれていたお爺さんもいた。この1年で入退院を繰り返し、頗る順調に弱り果てて逝った。最後はプリンも喰えなかった。

私が記事の中身で驚くのは<佐藤容疑者と女性職員1人の口論が発端となった>という部分だ。コレはあり得ない。要すれば「興奮させた」わけだ。それから刃傷沙汰、果物ナイフで切られた、とのことで警察沙汰になった。

順番とはいえ、相手はもうすぐ死ぬ。それは今日かもしれないし、明日かもしれない。他人ばかりのコンクリートの建物の中、自分のタイミングで風呂に入ったり、メシを喰ったりも出来ぬ生活が続く。プライドもある。羞恥もある。思うようにならぬ体と頭にストレスもある。そして、どうしようもなくリアルな「死」という不安も可視化される。同じ空間で生活していたジジババが次々といなくなる。わかっていない、理解できていない、と考えるのはこちらの都合、勝手な解釈だ。わかっているが、言わないだけだ。

大したことはしてやれんが、せめて心穏やかに、というのが私の願いだ。コレが私のこの仕事における観念の基本となる。だから情けない話だが、帰らせろ、という他の入所者大勢の「心穏やか」を阻害するようなジジババには帰ってもらう、しか方途がない。口論する以前に、せめて御自宅で「心穏やかに」過ごしてもらいたいと思う。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。