長嶋茂雄さん!これだけ国民から愛された人はいない!
そんなスーパースター長嶋茂雄氏が亡くなった。
2025年6月4日(水)の熊日新聞をスキャンしました。(下の画像)

2025年6月4日(水)の熊日新聞をスキャンしました。(下の画像)


1974年長嶋茂雄(巨人)引退セレモニー


◆みんな あなたが好きだった プレーバック 長嶋茂雄の世紀
==NHK・TV放送 2024年12月21日==
「ミスタープロ野球」と呼ばれ、世代を超えて愛された長嶋茂雄。
スーパーヒーローが引退してから50年が経つ。
引退試合を起点に日本人と長嶋茂雄の感動の物語を描く。
戦後日本の国民的スター、長嶋茂雄が引退してから50年。
終戦で日本が焼け野原から復興を果たし、国民が未来に向かって生きていたとき、
長嶋の躍動感あふれるプレーに多くの日本人が励まされ、
野球選手を超えたヒーロー、象徴的な存在となる。
==NHK・TV放送 2024年12月21日==
「ミスタープロ野球」と呼ばれ、世代を超えて愛された長嶋茂雄。
スーパーヒーローが引退してから50年が経つ。
引退試合を起点に日本人と長嶋茂雄の感動の物語を描く。
戦後日本の国民的スター、長嶋茂雄が引退してから50年。
終戦で日本が焼け野原から復興を果たし、国民が未来に向かって生きていたとき、
長嶋の躍動感あふれるプレーに多くの日本人が励まされ、
野球選手を超えたヒーロー、象徴的な存在となる。
番組では引退試合を起点に松井秀喜など長嶋に特別な思い出をもつ人々を取材し、
引退がその後の人生にどのような影響を及ぼしたのか。
ヒーローの魅力と日本人の「長嶋茂雄の世紀」を描く。
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<新生面>さよなら、ミスター 熊本日日新聞 2025年6月4日
昭和の子どもが好きなものは「巨人、大鵬、卵焼き」。そんな流行語の時代だった。
大横綱の大鵬は、プロ野球界のスーパースターと比較されると
「あの人のような天才でもなければスターでもないんだ」と反論した。
▼その存在は、戦後日本で最もまばゆい光だった。
「ミスタープロ野球」と呼ばれた国民的ヒーロー、元巨人の長嶋茂雄さんが89歳で亡くなった。
王貞治さんとの「ON砲」で常勝チームをけん引し、プロ野球人気を不動にした。
躍動する背番号「3」は、日本の高度経済成長期の象徴だった。
▼1958年に巨人入り。デビュー戦は4打席4三振だったものの、
1年目から本塁打と打点のタイトルを獲得した。
翌年の天覧試合では劇的なサヨナラ本塁打。
大舞台にめっぽう強い「燃える男」は、ここぞという場面でいつも輝いた。
▼誰よりも練習を重ねたが、人前では努力を見せなかった。
夢を見せるのがプロという信念があったからだ。
凡ゴロでも派手に捕って派手に送球する。右手がヒラヒラたなびくのが“長嶋流”。
そのアクションにファンが喝采した。
▼“うっかり”の逸話にも事欠かない。本塁打を打ってベースを踏み忘れたり、
前のランナーを追い抜いたり。
監督になった後も太陽のような輝きはあせず、
サービス精神たっぷりのユニークな“長嶋語”で愛された。
▼ヘルメットを飛ばす豪快な三振。ボール球をかっ飛ばしたホームラン。
「記録より記憶に残る」ヒーローの姿に、誰もが未来への希望を重ねた。
ミスター、ありがとう。
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1980年10月21日、長嶋監督が巨人軍の監督を解任されました。
即、アンチ巨人になりました。
アンチ巨人になり、どんどんプロ野球から遠ざかっていきました。
そして、
1993年、長嶋巨人軍が復活すると、また、巨人ファンになりました。
【 巨人・長嶋監督 解任】1980/10/21