My Life with 統失

僕の統合失調症と向き合う日々の葛藤や、苦悩、嬉しいこと、楽しいことなど、赤裸々に綴っていきます(^^)(^^)

向日葵カーニバル -2- 〜父 幸太郎〜

2018-02-28 14:47:14 | 日記
ある日こんな日があった。

父の幸太郎がテレビに向かって罵声を浴びせているのである。

ここで紹介しておくが父の名前は幸太郎である。


幸太郎は15インチのブラウン管のテレビの両サイドを鷲掴み、

「つかんかい‼︎つかんかい‼︎」

と、ひたすら叫びにラメ合いっこするのだった。


遂には、ローキックが入った。


ガシャンと割れる音がした。


「お前が悪いんやからな‼︎」


琉真はこの時思っていた。

(あの小さな箱の中に誰かいるのかな…)

琉真はこの時3歳。


琉真にとって、父が怒っていることなどどうでもよかった。

ただ、ブラウン管のヒビが入ったディスプレイの中が気になって仕方なかった。


挙句に聞いた。

「誰に怒っとんの⁇」

「本間腹立つやつや‼︎」


耳に入っていなかったようだ。


今度は幸太郎の方から、

「琉真、外、行くぞ。」


外はもう暁(あかつき)色だった。

夕焼けが燃えているように琉真は思えた。


しかし、なんとなくだが幸太郎に対して、琉真は恐怖心があったのだろうか。

この頃から人の顔色を伺うようになり初めていたのかもしれない。


三つ子の魂百まで


なんとなく生きる三年間は一生物である。

向日葵カーニバル -1-

2018-02-22 15:23:50 | 日記
高橋 琉真 33歳。

つぶらな瞳とポカンと開いた口。

短髪に日本人平均身長の170cm。心優しい青年。


そんなごく一般的な彼には大きな悩みがあった。

「仕事ができない」

当然、自立できる訳でもなければ、結婚もできない。

しかし、勉学はある程度できる青年だった。


そんな青年の 向日葵カーニバル  スタート。








彼はたくさんの愛情に囲まれて幼年期を過ごした。

ムーニンマンのCMにでるようなふっくらとした頬っぺたと瞳。

記憶力が良かった。父の影響だったのか。

汽車の本の写真の名前を全部覚えた。

父は国鉄の鉄道マンだった。

とにかく活発だった。そこら中動き回る。とにかく動き回る。

げらげら笑いながら。


これがいわゆる「多動性、小さな発達障害、」なのか。


そんなこと知る由もない。


週末になると父と駅に行く。


のぞみ

ひかり

つばめ


SLの時代は終わった。


誕生日プレゼントは決まってプラレール。


明日はどんな特急が観れるのか。

汽車よりも好きだった、父の車の 助手席。



そんな父は、昼は愛情、夜はお酒、そしてお皿を宙に飛び貸す、少し癖のある頑固お父さんだった。

しかし、琉真はそんな父を尊敬していた。




ー2-に続く









2018年2月。フィクション小説活動、スタート!!

2018年2月 統合失調症について考える

2018-02-05 11:59:34 | 日記
統合失調症と付き合って15~16年。

当事者として、乗り越えかけれている人として、何か発信していきたいと思う毎日。



ここで統合失調症について理解してほしいのは、


この病気は

・妄想や幻覚や幻聴で、会話やデリカシーを考える余裕がなくなる

・精神状態の悪化とお金の出費は比例する

・常に孤独と闘っている

・会話や行動に一貫性がない

・人との距離感をとるのが本当に下手くそになる

・多動性(ADHD)が起きやすい

・自分の感情をコントロールできなくなる

・風邪をひくと薬を飲むように、皆、毎日薬を服用しながら、必しに生きている

・この患者の3人に一人がじさつを試みている

・現代の治療によっては、十分に人並みの社会生活が可能。決して 廃人 ではない

・当事者の周り、特に、家族がどこまで本人を理解するかによって、その人のその後の人生が大きく左右される




この病気になると、手続きによって、

障がい者手帳
障がい者年金

が、あたることができます。


何故か??


僕が思うに、人間誰しもそうですが、人はお金が無くなると余裕がなくなります。

この統合失調症患者は特にその感覚が大きいです。

そして、働いて得る労働安定収入を得る力も難しい物があります。


その障がい者年金を頂き少しでも安定することで、経済的な余裕から、心の余裕が生まれます。

それが、病気の回復につながるのです。




そして、この病気は同時に、「躁鬱」を併用している人がほとんどです。


「躁鬱」は立派な精神病です。


「鬱(うつ)」は心の風邪であり、精神病とは認めてられていません。


「躁」状態になると感情コントロールが難しくなります。



では、なぜ、この統合失調症を発病してしまうのか。

大きく二つ。

遺伝的素因、環境素因の二つがあります。


発症年齢のほとんどが中学から20代の思春期です。

発症率は1%。



幼いころからの、家庭環境が大きいと言われています。


しかし、このような例もあります。


同じ親で、一卵性双生児の双子が別々で育てられました。

どちらの子も統合失調症を発症したのです。


このことから、環境だけではなく、遺伝的要因も十分あることが分かります。



僕も経験がありますが、この病気になると、周りから場合によっては家族からも、

「ややこしい者」

扱いされてしまう事が多いです。


これは僕は非常に悲しい現実だと思います。



そんな中でも、皆必しに前を向こうと頑張っています。




そんな理解が一日でも早く、世の中に浸透していけばと思う、今日この頃です。

17歳 その1 -苦悩の日々ー

2018-02-05 11:16:43 | 日記
妄想と葛藤する毎日。

誰かに狙われている。モニター越しに5人程のスーツを着た大人達が僕を中継している。


学校に行けば、みんなが僕を笑っている。 僕の何が面白いんだろう??やっぱり外見が悪いのかな??

右足裏が歩く度、地面に接触し、顔が引きずる。 うまく会話ができない。




この頃の僕の生活スタイルは、朝5時に起床し、40分かけて自転車で学校に通う。
その後朝から10km近く、走る朝練習をし、クタクタになる。

授業は爆睡。先生に怒られる。周りの生徒に馬鹿にされる。

放課後、猛練習をし、クタクタになり、そのまま一人で進学塾に通う。


当時、その進学塾には、小さな喫茶店がありました。

そこで250円で食べる炊き立てのトースト、あの味とお店の雰囲気は今でも忘れません。


言うまでもなく、塾の授業中も爆睡。

一体何をしに来ているのか。

終わると深夜11時。

家に着くのは、日をまたぐときもあったのだろうか。


心に1mmも余裕はなかった。

早く帰れば、お父さんが荒れている。お母さんにも余裕がない。

そして、僕は常に誰かに狙われている。




6月。


文化祭。

悪夢だった。これが、学校の「文化祭」?? 「お祭り」??

僕には 地獄絵図 にしか見えなかった。


ずっとトイレに隠れていた。





文化祭の帰り、ふと思った。


「もう、こんな思い、する必要なんてどこにもないんじゃないか。」




学校にも居場所がない。

家にも居場所がない。

自分も受け入れられない。





僕が行き着く場所、世界はもう 一つ しかなくなっていた