F1が面白くない。
ファンの方には悪いが,私の嫌いなハミルトンが1人勝ちというのが気に入らないし,ルノー勢の不調と,下位チームで苦しむ可夢偉を見るのも辛い。
F1を見るようになって20年以上になるが,やはり90年代半ば迄が感情移入も出来たし,綺羅星の如きスターたちの競演も,魅力的だった。
プロスト,ピケ,マンセル,そしてセナ・・・(もっと古いと,ラウダ,フィッティパルディ,ハント,アンドレッティ,ジョーンズ,ピーターソン,ロイテマン,ヴィルヌーヴ・・・と,とんでもない時代だった・・・)と,ドライバーが個性でならした良き時代であった・・・。
今改めて振り返ってみると,マンセルがGPシーンを席巻した92年と,プロストが最後の戴冠となった翌93年が,個人的に一番F1にのめり込んだ時期だったと思う。
マンセルとプロストの速さ・強さが際立っていたが,それが潰えたラウンドでは,セナ,シューマッハー,パトレーゼ,ベルガー,ヒルといったドライバーが星を拾っていった。
いずれもグレーテッドドライバーに相応しい面々だった。
この時期のF1は,アクティヴサスペンションやトラクションコントロールシステムに代表されるハイテク武装によるスムーズな走りが特徴だった。
特に,車体上部がキャメルカラーに彩られたウィリアムズルノーの速さは卓越しており,古舘伊知朗をして「最強のアングロラテン同盟」と言わしめた程だった。
マンセルのドライブしたFW14B,そのコンセプトをそのまま踏襲し,プロストが最後の栄光に輝いたFW15Cは,偉大なるチャンピオンマシーンの称号を,今も恣にしていると言っても差し支えないだろう。
そして,その系譜に連なる94年のマシンFW16は,アイルトン・セナという不世出の天才を得て,その年のGPを1人勝ちする・・・と,誰もが予想した。
勿論,私もその1人で,ま,セナが落とした分を,シューとヒル,或いはベルガーあたりが拾うだろう・・・ぐらいに考えていた。
ところが,3月下旬,サンパウロ郊外のインテルラゴスサーキットで始まったブラジルGPから,何やら様相が尋常ではなかった。
前年までのハイテク装備が一切禁止となり,アクティヴサスもトラクションコントロールも装備されていないFW16は,何ともナーバスでピーキーなものとなっていたようだ。
それでも,開幕から3戦連続でポールポジションを獲ったのは,セナというドライバーの力だったろう・・・。
しかし,我々はここで気付くべきだったろう。
否,気付いてはいたものの,どうにもならなかったと言うべきだったのかもしれない。
ハイテク禁止+給油という新しいレギュレーションが課せられた94年のF1から発せられる,何かしら得体の知れない歪みのような尋常ならざる何かを・・・。
予選で最速ラップを刻んでも,決勝でのトラブルよって(インテルラゴスではスピン,2戦目の英田では,スタート早々アクシデントに巻き込まれた)開幕2戦を落としたセナとしても,第3戦サン・マリノGP(イモラサーキット)は,何としても落とせない1戦だった。
セナが落とした2戦で,ポディウムの頂点を得たのは,次代の帝王と呼ばれていたシューマッハーだった。
空力特性に優れた吊り下げ型フロントウイングが特徴であるベネトンB194の心臓は,軽量コンパクトで究極のV8エンジンと言われたFORD ZTEC-R(ゼテックR)。
シューマッハー独自のセットアップが決まると,とにかく速かった。
そして,運命の5月1日が訪れる。
否,GPウィークの最初から,イモラは異常な空気に包まれていた筈だ。
前々日の予選では,2年目の若手ドライバー,ルーベンス・バリチェロ(伯:ジョーダン・ハート)のマシンが,ヴァリアンテ・バッサシケインで,縁石に乗り上げて,空を飛んだ。
ドライバーは,鼻骨骨折により,出場辞退。
4月30日には,2コーナーともいうべき(3コーナーか?)トサのヴィルヌーヴカーブで,ローランド・ラッツェンバーガー(墺:シムテック・フォード)がクラッシュ。
原形をとどめないほど大破したマシンからは,尋常ならざる様子が看て取れた・・・。
ドライバーは,ほぼ即死・・・。
そうした重苦しい空気の中,決勝はスタートした。
スタート直後,エンジンストールしたJJ・レート(芬:ベネトン・フォード)のマシンに,ペドロ・ラミー(葡:ロータス・無限ホンダ)が追突。
パーツが四散し,観客席の観衆を直撃した。
このアクシデントにより,スタート直後にセフティーカーが導入。
速度を落とした各マシンのタイヤは冷えて,グリップを低下させることになる。
隊列を率いたセフティーカーがピットに入り,インディカーのようなローリングスタートとなった時,先頭のセナを2位のシューマッハーが追うという開幕戦と同じ展開となり,2周にわたってシューがセナに追いすがりながら,ロスマンズカラーのウィリアムズはマイセンカラーのベネトンを従えて,高速の1コーナー,タンブレロへと入っていった・・・。
私が見たのは,深夜の中継での録画だった。
残念極まりない訃報は,その直後に入った。
クラッシュの瞬間,頭を押さえるパトリック・ヘッドの姿が映し出され,ランオフエリアからウォールに激突した後,反動でコースまで戻ってきたマシンを見て,誰もが絶望を感じたのではなかっただろうか・・・。
今まで幾度となく述べてきたが,私はセナというドライバーが好きではなかった。
深夜まで見ていたモナコGPでセナが勝つと,只でさえ辛い月曜日が尚更しんどくなったし,あの神経質な走りが,どうにも好きになれなかった。
レース巧者のラウダやプロスト,そしてアドレナリン垂れ流しで突っ走るマンセルの方が遙かに好きだったし,セナ亡き後は,前年より贔屓にしていた僚友のヒルに感情移入していった・・・。
只,やはり今は,セナという不世出の天才ドライバーと時代を共にして,その走りを見ることが出来たことを有難いと感じる。
特に,非力なカスタマーエンジンによるマシンで臨んだ93年の第3戦欧州GP(ドニントンパーク)で見せたオープニングラップ牛蒡抜きは,まさに天才の証しの走りであったと言える。
思えば,91年のバブル経済崩壊と中嶋悟の引退,93年のJリーグ発足とドーハの悲劇等によるサッカーバブルによるF1人気の凋落は,セナを失うことによって,いっそう拍車がかかったのではないだろうか・・・。
セナの後を襲ったシューマッハーも,昨年末以来意識不明で生死の境を彷徨っている。
ヒル,ヴィルヌーヴJr,ハッキネン,アロンソ,ライコネン,ハミルトン,バトン,そしてベッテルと,多くのチャンピオンがこの20年で出たし,和製スクーデリアの活躍と撤退も有ったが,私が日曜深夜を心待ちにしていたあの時代のときめきと興奮は帰って来なかった・・・。
2年前より,リアルタイムでFPから決勝までを視聴できるという,当時とは比べものにならない恵まれた環境にあるのだが・・・。
F1がモータースポーツの頂点の1つとして,今後も夢を紡いでくれることを期待しながら,脈絡のない駄文の筆を置くが,いずれ1/20のFW16を組んでみたいものだ・・・。
仕上げる自信は無いけど・・・。
でもって,さらに余計なことを述べるなら,この翌日,私にとって更なる痛恨事が待っていたのだった・・・(謎)。
故に,94年5月1日は,忘れたくても忘れられない日となった・・・。
そして,本日のBGMは,何と言っても↓でなくてはならない・・・。
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