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koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

公衆電話事情

2007年02月20日 21時18分05秒 | 時事問題,ニュース

公衆電話が激減している。
そう言えば,最後に使ったのはいつだったか覚えてすら居ない。
多分,携帯を忘れたときに使ったのが最後だったと思うが,ここ10年でひと頃の半分にまで激減したという。
もしかすると若者の中には,一度も使ったことのない者も居るのかもしれない。


だいたい,私の子どもの頃,周りでは固定電話ですら持っている家が少なかった。
商売をやっている家とか金持ち,或いは旧家など極限られた家にしかなかったと思う。
私なんか父の仕事の関係で官舎住まいだったせいか,父が建てた家に引っ越した翌年の小学校5年の秋に初めて固定電話が付いたくらいである。
多分,電話の権利が安くなったのだろうが,無くても別段困らなかったし,無いなら無いで何とかやりくりできたというものは豊かではないがのんびりした平和な時代だった。


当時,父は隣県に単身赴任していたため,父との連絡は市外通話のかかる赤電話(金色の帯が付いていた)や電話ボックスの緑電話に限られた。
電話ボックスが近所になかったので,酒屋をやっている同級生の家の前の公衆電話まで10分以上歩き,父や母の実家へ市外通話をしたものだ。
冬の寒い時期は母に連れられて公衆電話へ出かけた。
防寒着を着た兄弟3人が公衆電話の周りで遊んでいる光景は,今では絶対考えられないものだろう。
夜9時近くになってもやっている店で,帰りに何かを買って貰うのも楽しみの一つだった・・・。


ここ数年で私は何度か大きな地震に遭っているが,そんな時役に立ったのが公衆電話である。
こちらを見ると,見覚えのある我が町の駅2階の公衆電話に群がる人々の画像が載っている。
平成15年5月の地震の際の映像だ。
確か,一晩携帯が繋がらなかったと思う。
携帯は万能ではない。
1キロメートル四方に1つ,公衆電話の設置は義務づけられているようだが,決して撤廃などにならないようにして欲しいものだ。
断固として携帯電話を持たない人たちも居るのだし(私も前世紀はその一人だったのだが・・・),何よりも緊急用としてライフラインの確保に大きな役割を担うことになる故・・・。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (わかば)
2007-02-22 16:37:32
こんにちは。
昔の情景が浮かんでくる文章を懐かしく読ませていただきました。
わが家でも、私が小学校3~4年生の頃に固定電話がつきましたが、それまではお向かいのお宅の電話を貸していただいていました。学級名簿でも(呼)がついていたものです。それ以前は「電話」の欄自体がありませんでしたね(笑)。のんびりした時代でした。

最後に公衆電話ボックスに入ったのは15年くらい前になると思いますが、実は操作方法がわからなくてかけられませんでした(汗)。グレーのおしゃれな外見の電話機だったのですが、電話番号をプッシュしても繋がらない。なんか、最後にどこかのボタンを押さなくてはならなかったらしいのですが、そんなこと知らないから……(汗汗)。もはや私には公衆電話さえ難しいシロモノになってしまったようです。
10円玉が落ちるたびにビクビクしていた赤電話、プリーズ・カムバック!!(笑)
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良い時代でした・・・ (koshi)
2007-02-22 23:12:38
わかばさん,今晩は。
最近の公衆電話は多機能になりましたね。
受信音量調節が付いていたのにはびっくりでした。
私が記憶している,というか鮮明に覚えているのは,四方が硝子張りの電話ボックスではなく,屋根が赤く開口部が上半分,ドアの取っ手が丸くくり抜かれたベージュのやつです。
映画の画面で発見した時は記憶が一気に蘇りました。

昔,固定電話の無かった時代は,確かに(呼)でしたね。
私のところは近所のお店に頼んでいました。
別段それで困ることもなければ,不便と感じることも有りませんでした。
まさに,有った方がよいものは無くても良いもの,ということでしょう。
物は豊かではありませんでしたが,平和でのんびりした良い時代でした・・・。
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